コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

真宗カウンセリングが語られる

2010-08-03 10:18:27 | 真宗カウンセリング

日曜の朝、NHKラジオの「宗教の時間」に知人の丸山 顕子さんが出演された。
で、いろいろ感じたことがあるんだけど…

8日の朝にも再放送があるので興味のある方はぜひお聞きください。
で、この先はまだ読まずに、先入観なしで聞いてくださいね。
かなり、私の偏った聞き方で書き込むので…(笑)
8月8日午18:30~19:00 NHKラジオ第2
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丸山さんとは、法座でずっとご一緒してるし、真宗カウンセリングの先輩でもある。
ちょうど私が華光でご聴聞を始めたころと、彼女がカウンセリングから華光の法座に出会ったころと重なってたと思う。
なので、当時の話をされるところは、その情景も浮かんできた。
懐かしくもあり、共感できるもの。

これは、頭では仕方ないと思っているけど、違和感を禁じえない部分でもある。
それがなにかというと、このラジオ収録の「聞き手(金光寿郎氏)」の聞き方。
「ひとりの方の話したいことを30分でまとめる」という大前提があり、それを「万人に伝える」という目的があるから、そう考えると当たり前といえば当たり前なんだが…
とても「操作的」であり、あらかじめ決めてあるゴールに導いていくもの。

彼女が「自死」のことを話題にし、そのことを周囲に「受け入れられない」という告白。
多くが「そうしないためのアドバイス」や「それは駄目」という責めであり、そう考えてしまう自分自身を「そういうあなたなんですね」とそのまま受け入れてもらえず、そのことで苦しんだという話。
そこでであった「真宗カウンセリング」や「西光義敞」師との話題。
そういう流れだったと思うんだけど、「今のわたしをそのまま受け取ってもらえる」というカウンセリングにとっても仏法にとっても重要なファクターを、それこそ「そのままゆっくり」と話題にしてもらいたかったんだけど、そういう出会いの意味づけや、そこからの「生き方」に話題が引っ張られていったという印象が強い。

「死にたい」と思っていることを、「そう思っているあなたがそこに居るんですね」と受け止めてもらえることの大事さ。
「でも、生きていてくれてよかった」という”人”が目の前に居る瞬間の大事さ。
真宗カウンセリングの”要”がそこに語られていたように思う。

もちろん、彼女の話を聞いて「生き方」に悩みを抱えている人の多くが感銘を受けただろう。
でも、そのことよりも、「いま・ここ・わたし」をありのままに受け止めて、自身が気づきの中で成長していくという、真宗カウンセリングの「非操作的」なところが伝わればなぁ、と。


と言いつつ、この放送を聴いて「真宗カウンセリング」に興味を持った人が、真宗カウンセリング研究会やこのHPに出会って、「そのままを受け入れてもらえる」ことを体感してもらえればいいなぁという、至極「操作的」な思惑でこの記事を書いてる気もたぶんにあるけれどね。

まぁ、半分冗談で、半分本気。
真宗カウンセリングのワークや研修会で実際に行われている、「いま・ここ・わたし」を大事にする感覚は、自分自身で体感してもらわないと、言葉で説明しきれるものじゃないしね。

8月の広島でのワークもまだ少し空きがあるようだし、京都では9月から「エンカウンターグループ」の研修も始まるし、10月には1泊のワークショップもある。
また、各地で継続的に学習会やワークを開いている仲間も居るので、興味のある方はぜひお問い合わせを。

真宗カウンセリング研究会のホームページはこちら

また、仏法のほうでの出会いのことならばぜひ華光会の行事へ。

華光会のホームページはこちら。


私自身がもっと広いメディアなんかで何かを伝えることができるような輩だったらいいんですけどね。
そんな力はない。
せいぜい、ネットというメディアを利用して、お取次ぎをするだけ。
「ご縁をつくった」ってことを鼻にかけてる、どうしようもない一面もあるけどね。