コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

第9回真宗カウンセリング・ワークショップ in京都

2010-11-05 00:31:05 | コミュニケーションワーク

先週末、二日間の「真宗カウンセリング・ワークショップ」が行われた。
私は世話人としての参加。

締め切りギリギリまで最低開催人数に達せず、開催が危ぶまれたけど、直前に申し込みが集まり、さらには締め切り後あと定員まで1名というところでお二人同時に申し込みがあり、結果定員を1名超える9名の参加。
地域は広島から福井まで、年齢も20代からウン十代、何度もワークショップに参加されてる方から初めての方まで、実に多彩な顔ぶれ。
それぞれは初対面の方も居られるが、私にとってはみな旧知のかたがた。

各セッション、基本的には「3分間のお念仏-2分間の黙想-今の気持ちの振り返り(順番に回す)-自由な交流-今の気持ちの振り返り-3分間の念仏」という構成。
お念仏も、そのときの気持ちに応じて称えるも聞くも自由。

私としては、自分の腹底に響く自分のお念仏と、周りから耳に届いて意識に働きかけるお念仏が交じり合って心地よい時間。
ゆったり、自分の内なる声に耳を傾ける時間。
様々な話題を、語り合い聞き合いしながら刺激を受けている時間。
どれもゆっくりゆったりできた。

時には具体的な人間関係の問題、時には仏法に関わる信の問題、また時には男女問題や世代問題などの一般的な話題。
どれがメインで、どれがサブと言うことなく、その時々に、その時だから語り合える「ご縁」の具現化されたものとして、自由に話題が進んでいく。
最近の私の感じとして、「私が今望むもの」にとらわれることなく「今、そのままのありよう」というところで様々な場に触れている気がする。
この二日間もまさにそういう感じで、話題が自由に動き回れば私の心も自由に動き回るところで、無理なくその刻々を活きている感じがした。
もちろんファシリテーターの先生がしっかりと流れたしまった時は引き戻して「発言者」を第一にする配慮をしてくださっているからこそ、自由にさせてもらえていた。
自由で居られる安心と、任せておける安心と。
だからこそ、何が起こっても心配することなく、その場をありようのまま経験できている私が居た。


具体的な話題は記さないが、例えば「法座」でよく見かけるような「信に関して外せない真実」をやり取りする場面でも、「発言者を大事にする」カウンセリングマインドが場で徹底されているために、発言者本人が自由に語りたいまま語り、自身の発言を周りのものに確認してもらうことで、自分から気付いていく。
時には長い時間をかけ自身の内なる声を気付いていくこともあれば、時には困惑していることを表明して無理しないことも出来る。
刺激を受けて語りたいものがでてくれば、自身の話として語ることで、最初の発言者も、語っているものも、新たな気付きが生まれる。
まさに響き合っていく。


この心地よさは、やはり言葉では表しつくせない。
体感してもらうしかないものだと思う。

今年度のワークショップは今回で終了。
これから年末にかけて、来年度の計画に入っていく。
少なくとも広島と京都では開くことが出来るだろう。
出来れば、多くの場所にお邪魔して、その場所場所での出会いを果たしたいものだが…


かるーく雰囲気を味わいたい方は、京都で月1回行っている「聞き方伝え方の学び」にご参加ください。
今月は27日(土)午後に行います。