コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

華光大会 ~礎があって今がある

2010-11-25 23:58:00 | 真宗

華光大会の3日目には総会がある。
華光会は同人組織なので、総会による議決を元に活動が成される。

私もかつては深く関わっていたが、この総会ひとつ開かれるために多くの方のご苦労と手間とが費やされる。
そういう一部の人が勝手に動いて成り立っていくのではなく、同人ひとりひとりが深い意思を持って参加することが大事なことは、皆さん分かっているようで結構温度差がある。

今年の議題の中に「親鸞聖人750遠忌法要」の話題があり、その実現のための寄付金に関する話題があった。
その資料の中に、過去の大遠忌法要や慶讃法要のものがあり、そこに「維持講発足」「同人会制度発足」の文字があった。

私が華光会にお参りした時(20代前半)には同人会は組織されており、かなりお年を召したお歴々が運営をされていた。
当然若輩のものには何が行われているか理解することもなく、ただ指示に基づいてお手伝いをさせていただいていた。
30近くになったころ、住んでいるのが会館に近いことや、まだ若く長いスパンでいろいろなお手伝いが出来るだろうと言うことで、運営委員のひとりにお誘いいただいた。
そうすることで今まで見えていなかった多くのことを学ばせてもらった。


華光会の軸は伝道活動であることはハッキリしている。
一番目に映るところは、法座での先生方のご活躍。
ご法話であったり、座談でのお勧めであったり。

そういう法座を行うためには、法座のお手伝いをしてくださる方々が必要になる。
大きな行事は支部による当番制であったり、また近郊有志の事前事後のお掃除などがある。
また、普段先生方のお世話してくださるご家族や、会館や事務を維持管理してくださる事務員の姿もある。
まったくもって、おかげさまだなぁと。

と、ここまでは普通にご恩を感じることが出来るのだが、よくよく考えてみればこれはすでにある会館や行事があり、それを甘んじて受けている状況での、現在進行形でのおかげさまだ。

しかし、当たり前のように通わせてもらっている会館も初めからあったわけではない。
当番でお世話する支部にしても、その成り立ちには多くのご苦労があったはずだ。

私が聞いていて把握している範囲では、最初は伊藤康善先生の下に集まった数名が、座を持って仏法談義されていたものが”会”の前身であり、伝道活動ということで言えば「華光誌」というものを作成するところから始まっている。
それが広がりを見せるとともに、人が増え、座が増えてきて、友同行が集まれる場所が必要になってきた。
華光会館という「資産」を持つことに対しても紆余曲折あったようだが、熱い意思の元に建立・維持されてきた。

そしてただ集まるだけでなく、建物の維持・組織の維持として「維持講」そして「同人会」と広がってきたようだ。
私もいろんな集まりで経験しているが、複数の人の意思をまとめて、継続していくことはとても困難が伴う。
ましてや、なにもないところから作り上げるのは並大抵のことではない。


ここ数年、新しいご縁がひろがり、15年ほど前の「華光会館再建」事業にでさえ関わったことのない方が多く居られるようだ。
そう書くと、同人が増えて拡大しているようにも聞こえるが、実数は横ばいだったりする。
亡くなられた方や、高齢化でお参りできなくなって来ている方も同様に増えているからだ。
私が運営委員にお誘いいただいたときに、先にたって活動してくださった方々の顔を浮かべてみる。
ほとんどの方が、上記の理由などで今目の前に居られない。
そのころはかなり先輩だと思っていたお歴々の年齢にいつの間にか近づいていることをふと感じてしまう。
先輩方のご苦労のホンの一端でも引き継いで、何かを成すことは出来ているだろうか…。


目の前で法を相続してくださる先生方のご苦労は、もちろん一番に感謝すべきことだ。
また、今裏方としてご苦労してくださっている方々への思いもハッキリしている。
それらと同様に、今ある聞法道場や同人組織が成り立つ意味を忘れないでいたい。
会った事のない方のご苦労など計り知ることは出来ないけれど、今ここに在ることは当たり前のことなどひとつもない。
今ここで私が聴聞させてもらえていることが、先達のご苦労の証拠だ。

維持のお金や、お手伝いの身の苦労ばかり問題にして、あれやこれや愚痴を言ったりしてしまうのが私の本性だが、当たり前にしていることの根っこのところで、多くの礎があることをなかったことには出来ない。
いや、なにも物や組織の維持のことではない。
先生方がご法を相続してくださるご縁に会える事も、それらの礎なしにはありえない。

総会の最後に恩徳讃を歌わせてもらうのだが、最後列から前に並んだ役員席を望ませてもらったときに、K河さん、Tさん、T本さん、S田さんらの姿が見えた。(ご存命の方も居られますのでお間違えなく)
このときだけは、如来大悲や師主知識のためではなく、先達を思い偲んで涙が流れ、声が詰まった。
いや、これら先達こそ、如来のお姿であり、師主知識のお姿だ。