コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

噂の真相

2011-06-22 00:05:00 | 日常雑感

 

かつてそういうタイトルの本があった気がするが、これは別のお話。

 

PTA活動や、いろんな集団に所属しているといろんな噂話に遭遇する。

いやそのエネルギーたるやすごいもので、よくこれだけネタがあるなと。

近しい人の話題から、政治界、芸能界のネタまで。

ネットでは「2ch」などで根も葉もない噂が流され問題になったりしているが、なにもそんな最新メディアを持ち出さないでも、過去より井戸端会議なるコミュニケーションツールで持って同じことが成されてきたように思う。

 

ただ、先にあげたネットと言う「一手間で多くに同時に情報伝達」できることが、その頒布能力に加速度を与えている。

 

しかしよく考えて欲しい。

その噂を広めているのは、コンピューターが勝手にしているのではなく、そのモニターの前に座っている人間なのだ。

 

 

で、この噂だが、その多くは伝達過程で尾ひれが付く。

まぁ最初は誰かが”気になる”ことをつぶやいたんだろう。

「Aさんは○○じゃないだろうか?」

ここには何も確証はない。

気になることを疑問形で発信しているだけだ。

それを聞いていた相手にもそれなりに気になることがあれば

「そういえば△△って話も聴いたから、○○なんじゃない?」

と、これも自分なりの解釈を加えて「○○」という想像を深めていく。

そして最初の発信者に「△△」という情報が加わる。

 

これが関西人だとさらにややこしい言い回しが加わる。

「Aさんは○○らしいで…知らんけど」

これは、「○○」と断定しているのじゃなく、「知らんけど」を付け加えることで自分は特定していないと言う逃げ道を作っている。

しかし、聞いている人は「○○らしい」の”らしい”を断定の言葉として受け取りかねない。

かくして「Aさんは○○」という規定路線で話は伝わっていく。

 

また、その情報源についてもいろいろ問題がある。

たとえばテレビで得た情報が「正しい情報」と思い込んでしまう。

まぁ、ワイドショーもそれなりに取材して事実性を高めてはいるんだろうが、そこには”演出”が加わり、いけにえを見つけて集中攻撃をする。

見ている人も、自分が正義側に回りたくて、少しでもエラーをしたものを責め立てる。

違う意見を言おうものなら、いけにえの味方をしていると決めつけられ、攻撃対象にされてしまう。

それも多くの場合は当人の前では笑顔で、本人不在のところで「あの人は悪の味方だ」と陰口で広がってしまう。

 

 

もうひとつよくあるパターンで「みんなが言ってる」という言い回しの問題。

”みんな”まで行かなくても、自分以外の「BさんやCさんが言ってたんだけど」というパターンもある。

じつはその多くは、本人が想像していること…特に確証をもてないことを、自分以外の”誰か”が言っていることとして情報発信する。

そうまでして情報発信したい性があるのだ。

これも先の「知らんけど」と同じもので、自分が特定したということを避けて、責任逃れしたい姿だ。

以前聞いた講演で、「みんなが言ってます」という話に対して、「みんなって誰?」という受け答えをする話を書いた。

「あなたは見たんですか」

どこにいるか分からない「誰か」が発信している話を、事実のように触れ回ってしまう…怖いと思いません?

 

 

で、ここに潜んでいる問題はさらに奥深いものがあって、そういう発信者は特に深い意識がなくても、噂されている対象は非常に傷ついてしまうということ。

 

極端な例で言うと、殺人を犯した加害者がいたとして、その”殺人”という行為に対してだれもが「悪者」と思う。

まぁ当然の話。

しかし、その情報で現れる”殺人”という行為の奥に、そこに至る経緯もあったりする。

時には、そうせざるを得ないところまで追い込まれてしまった、被害者的状況もあったりするだろう。

なのに多くの野次馬たちは、そういう事実を知らずに、知っている情報の範囲で事実を”想像”して、それが事実だと思い込んでしまう。

逆に仕方ない理由があったとしたら、今度は一転「加害者になっても仕方ない」と同情を込め、自分が知りえた”理由”だけを判断基準にして被害者をせめたててしまうこともある。

 

自分は実は事実は何も知らず、誰かが見聞きしたものを、自分が見聞きしたように錯覚して、いつのまにかそれが事実だと刷り込んでしまう。

そこに罪はないが、そのことで傷つく人がいるということを、ちょっと冷静になって思いをはせてみて欲しい。

 

うん、怖いのは「自分はそんな傷つけることはしていない」という間違った認識かな。

 

人は基本的に噂が好きで、思い込みを事実に誤認してしまう生き物なんだろう。

気づかないうちに、決め付けをしてしまう。

気づかないうちに、想像してしまう。

そして、それが自分のせいにならないように、善意の第三者を仕立て上げて、自分の想像した”事実”を吐き出して満足してしまう。

 

 

噂ってそういうことだと思う。

事実を知っているのは当事者だけ。

その他は、何らかの想像や憶測が混じっているってことをもう一度見つめてみて、情報伝達ってデリケートだってことを思い返してみませんか?

 

まぁ、言いたいことが出来て黙ってるのは精神衛生上良くないでしょうから、そういう時は私に吐き出してくだされば、事の真相は判断せずに、吐き出したい気持ちを聞かせてもらうことは出来ますよ。