コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

総合支援学校地域交流会

2011-06-23 23:32:28 | PTA

 

 

 

昨日、京都にある呉竹総合支援学校の地域交流会に参加してきた。

今年度のはじめにあった「人権パレード」にて、呉竹のPTA会長さんを紹介していただき、この日の交流会にお誘いいただいていた。

 

その折にも少しだけ話させていただいたのだが、会長さんに何かしら惹かれるものがあり、不思議なご縁のような気がしていた。

 

実は、支援学校というものは、その存在は知っているのだが、逆に知っているつもりになっていて深く知る機会がなかった。

同じことは、学校の育成学級に関しても感じており、たまたまカウンセリングの関わりやPTAの関わりで、その保護者の方と知り合うことになり、その実情とは別のところの”気持ち”のところでお話を聞かせてもらうくらいだ。

 

そう、”知らない”ということをしっかり受け止め、だからこそこの機会で何かに触れたいと思っていた。

 

夜勤明けそのまま参加したこともあり、最初の講演は少し頭が鈍っていた。

(申し訳ない)

話の中身より、講演してくださった教頭先生の熱意と温かみだけが印象に残っている。

 

むしろその後の分科会が意義深かった。

私が参加したグループは、主に育成学級ではないクラスに子どもを通わせているPTA役員が中心。

育成学級と一般学級の交流の現状をいくつか聞かせていただいた。(我が校の取り組みも、改めて聞かれると良く把握していないことが分かった)

そして現存している問題を語り合うのだが、なんというか、育成学級の保護者を前におき、どう関わっていくかという話が中心なり、なんとなく心地悪さを感じていた。

私自身、いくつか話をしていったことで気づいてきたのだが、自分たちと育成学級の親を別に置いて、どう仲間になっていくか…という視点を感じた。

最初は”別”のところに置いているのだ。

 

もちろん、そこに疑問を持たず、あるいは無関心なまま終わることも考えられるので、ここに集った方々が一歩を踏み出すことはとても尊いことだ。

 

参加したあるお母さんが話されたことだが、「算数が苦手な子、運動が苦手な子、同じように他の子と同じような活動が苦手な子というだけのこと」ということは、私自身いろんな場面で話してきたことだ。

そのことが、他の方から聞けたことは、私自身にとってもこのことが深まることとなった。

 

みんなが「同じように同じことを出来る」ということはない。

得手不得手があるし、優れた部分もあれば劣る部分もある。

それを同じようにできるようにしていくことが教育やサポートだと思っている人が居る。

もちろん、サポートが必要だと求めている方には、手を差し伸べることは大事だ。

しかし、相手が望む前から「あなたはサポートが必要な人」と決め付けて、自分とは別の場所において考えることはちょっと怖い。

 

サポートできる環境作りはもちろん必要だが、それで何かを「成してあげた」という考え方が怖いのだ。

 

この日もついつい話してしまったんだけど、カウンセリングで学んだ大事なことの1つ。

相手が「困っています」と訴えてきたときに、「それは大変だろうね」と同情したり、「じゃあこうしてあげよう」と自分の考えで動いたり、「こうしたらどう?」とアドバイスしたり、あげくは「そんなの気のせいだよ」と相手にしなかったり。

そういうことではなく、「困っている」という表明に、そのまま「困ってるんですね」と受け止めてあげること。

ついついサービス精神で先回りして行動してあげるのが相手のためだと思いがちだけど、そうではなく、まずその人がありのままで居られるように受け止める。

このことのほうが、こちらのペースでサポートするよりよほど大事なこと。

 

いろんな方との関わりで、このことを学ばせてもらったけど、まだまだこのことを伝えていく土壌ははあるようだ。

この日のご縁は、私がマナで来たそういうことを、この日集った「どう関わっていこう」という課題を持っている方々に伝えるためのものだった気がする。

 

最後の校長先生の挨拶は、「違いはある」ということをハッキリさせた上で、「違っててもいい」ということを話してくださった。

違いをなくすのではなく、違っていることを認めていくことが出来る…とても基本的なことだけど、実はみんな受け止めきれていない考え方。

 

あとは、こういう交流に対する、学校側の認識と取り組み。

支援学校・育成学級の保護者が求めていることと、教師側の受け止められるところには少しずれがあり、理解しあうための話し合う時間がまだまだ足りていないなと。

一方的に学校を批判するつもりはないけれど、動きようはありそうな気はします。

 

この日の分科会で気づいたもう1つのことは、主催された支援学校のPTAスタッフがとても「聞く」姿勢を示してくださっていたこと。

おそらく、「こうあって欲しい」と言う気もちはお持ちだったろうが、「どういう思いをもたれていてもいいですよ」という姿勢がにじみ出て、ゆったりと聞き役に回っておられた。

とてもすばらしいファシリテーターでした。

気持ちいいから、ついつい語らせてもらいました。

 

ここにも、私が学ばせてもらってきたことを伝えることで、何かが動いていくきっかけがありそうな気がします。

また同時に、まだまだ知らないことが横たわっていて、こういう機会が必要なんだと再認識。

 

 

 

 

今晩の食事時に、連れ合いとこの日のことを話し、連れ合いの立場(学校側)からの視点も聞かせてもらえました。

ブログには書きませんが、こういう時間をもてるのもおかげさまですね。