久しぶりに昼寝をして今起きた。あっという間に休みは終わったって感じだ。
上京した際、麺のまずさに辟易し、ほとんど、ラーメンを食べなくなった私であるが、今日は、心底「博多ラーメンが食べたい」との思いが急に沸き立って、武蔵小山まで歩いて行った。
東京の麺がまずいわけではなく、当時、父が、博多に単身赴任していたため、九州に旅行する機会が多く、博多ラーメンや、長浜ラーメン、熊本ラーメンや、長崎チャンポンに慣れ親しんでしまったので、東京風のラーメンが受け入れられないからだになっていたんだと思う。
そう、九州にいたときは、3食ラーメン(いや、屋台の夜食も含めて4食か?)でも、全然、飽きなかった自分が、会社の食堂でラーメンが出ると「麺抜きでお願いします」と言い放つこと自体、すごく不思議な光景である。
「何でもいいから、細麺のトンコツスープが食べたい!」という、焦燥感から、家内とラーメンのみを追い求めて武蔵小山まで行った。
食券を買い求めるような、ラーメン屋さんだったが、やっぱり、博多ラーメンなら食べれる!今なら、ラーメン恐怖症から立ち直れるような気がする。なぜなら、3食ラーメンでも食べれそうだから。
その昔(小学5年生ぐらいかな?)、すし屋でうな丼を食べ過ぎて、「死にかけた」ことがあったため、うなぎ恐怖症に陥ったことがある。(食べすぎで病院に行ったのは、後にも、先にもあの時だけだ・・・)
それから、うなぎがダメになったが、九州の柳川で「うなぎのセイロ蒸」を食べて感動したことから、うなぎ恐怖症を克服した経験を持つ。それ以来、九州に行ったら、必ず、「若松屋のセイロ蒸」を食べることが、私の宿命となった。
「食わず嫌い」でいることは、人生における食生活の上で、大きな損失になるかもしれない。大学生の時、400円握り締めて、屋台を回ったときのことを思い出す。夜、屋台で食べる博多ラーメンも、駅の地下で食べる博多ラーメンも、お店で食べる博多ラーメンも、全てが、それぞれ、心底おいしかった!
今年の目標に「ラーメンが食べれるようになること」を追加しよう。
上京した際、麺のまずさに辟易し、ほとんど、ラーメンを食べなくなった私であるが、今日は、心底「博多ラーメンが食べたい」との思いが急に沸き立って、武蔵小山まで歩いて行った。
東京の麺がまずいわけではなく、当時、父が、博多に単身赴任していたため、九州に旅行する機会が多く、博多ラーメンや、長浜ラーメン、熊本ラーメンや、長崎チャンポンに慣れ親しんでしまったので、東京風のラーメンが受け入れられないからだになっていたんだと思う。
そう、九州にいたときは、3食ラーメン(いや、屋台の夜食も含めて4食か?)でも、全然、飽きなかった自分が、会社の食堂でラーメンが出ると「麺抜きでお願いします」と言い放つこと自体、すごく不思議な光景である。
「何でもいいから、細麺のトンコツスープが食べたい!」という、焦燥感から、家内とラーメンのみを追い求めて武蔵小山まで行った。
食券を買い求めるような、ラーメン屋さんだったが、やっぱり、博多ラーメンなら食べれる!今なら、ラーメン恐怖症から立ち直れるような気がする。なぜなら、3食ラーメンでも食べれそうだから。
その昔(小学5年生ぐらいかな?)、すし屋でうな丼を食べ過ぎて、「死にかけた」ことがあったため、うなぎ恐怖症に陥ったことがある。(食べすぎで病院に行ったのは、後にも、先にもあの時だけだ・・・)
それから、うなぎがダメになったが、九州の柳川で「うなぎのセイロ蒸」を食べて感動したことから、うなぎ恐怖症を克服した経験を持つ。それ以来、九州に行ったら、必ず、「若松屋のセイロ蒸」を食べることが、私の宿命となった。
「食わず嫌い」でいることは、人生における食生活の上で、大きな損失になるかもしれない。大学生の時、400円握り締めて、屋台を回ったときのことを思い出す。夜、屋台で食べる博多ラーメンも、駅の地下で食べる博多ラーメンも、お店で食べる博多ラーメンも、全てが、それぞれ、心底おいしかった!
今年の目標に「ラーメンが食べれるようになること」を追加しよう。