大学院生活で変わったことってなんだろう。そんなことをふと思った。
仕事も、生活も今までと一緒。無論、引越しはするので、生活する場所は変わるが、それは、大学院生活とは、なんら関係ない。
もっとも変わったことといえば、「考え方」だろうか?ただ単に、知識をつけることが正義ではないことが理解できただけでも、大学院生活で得た、非常に大きな進歩と言えよう。
それまでの私は、知識=力という信念の下、多くの資格を取り、書籍を読むことが「生涯学習」という風に考えていた。
しかし、大学院で学習する中で、知識はそれほど大切なものでないと思い始めるようになってきた。なんせ、人生長いようで短い。人間が覚えきれる知識の量なぞ、たかが知れている。最低限の知識は必要だし、知識が多いほうが優位であることは疑いない。だが、知識を増やすことにのみ専念することは、危うきことだと感じるようになった。
それより大事なことは、「正しい考え方を身につけること」であると理解できたつもりである。正しい考え方さえ身につければ、どんな事象が発生しようと、その内容を理解し、一貫した対応が可能となる。自分の記憶の限界を、考え方が補完してくれる。
最近、資格をあまり取らなくなったのも、ただ単純に記憶することに疲れてしまったからかもしれない。しかし、自分としては、今まで以上、一段高いレベルに達したと感じている。それこそが、2年間の学習の成果だと思っている。
仕事も、生活も今までと一緒。無論、引越しはするので、生活する場所は変わるが、それは、大学院生活とは、なんら関係ない。
もっとも変わったことといえば、「考え方」だろうか?ただ単に、知識をつけることが正義ではないことが理解できただけでも、大学院生活で得た、非常に大きな進歩と言えよう。
それまでの私は、知識=力という信念の下、多くの資格を取り、書籍を読むことが「生涯学習」という風に考えていた。
しかし、大学院で学習する中で、知識はそれほど大切なものでないと思い始めるようになってきた。なんせ、人生長いようで短い。人間が覚えきれる知識の量なぞ、たかが知れている。最低限の知識は必要だし、知識が多いほうが優位であることは疑いない。だが、知識を増やすことにのみ専念することは、危うきことだと感じるようになった。
それより大事なことは、「正しい考え方を身につけること」であると理解できたつもりである。正しい考え方さえ身につければ、どんな事象が発生しようと、その内容を理解し、一貫した対応が可能となる。自分の記憶の限界を、考え方が補完してくれる。
最近、資格をあまり取らなくなったのも、ただ単純に記憶することに疲れてしまったからかもしれない。しかし、自分としては、今まで以上、一段高いレベルに達したと感じている。それこそが、2年間の学習の成果だと思っている。