生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

運命の出会い!

2008年02月23日 23時59分53秒 | その他
品川での幹事会が終わり、山手線で目黒まで行って、バスで帰ることとした。時間は既に10時近くで、バスがあるか心配だったが、大丈夫だった。

大岡山小学校行きのバスに乗って帰ることとなったが、途中の、大鳥神社のバス停で、素敵な女性が乗り込んできたので、思わず、声をかけてしまった。

「ジュン!」と・・・

そう、その女性は、なんと、家内であった!品川のジャスコに行って、その帰りだったらしい。

それにしても、こんなところでバッタリ出くわすとは!運命というものは奇遇である。

その後、夫婦水入らずで、近所の、「魚屋路」で回転すしを食べることとした。如何せん、中華はほとんどリバースしてしまい、腹は空いているから。

フラ夫は一皿目を頼む

「シャコ!」

フラ夫は二皿目を頼む

「シャコ!」

フラ夫は三皿目を頼む

「シャコ!」

フラ夫は四皿目を頼む

「シャコ!」

フラ夫は最後に叫んだ。「お愛想お願いしま~す!」と・・・

そう、比類なきシャコ好きの私は、この店では「シャコ」しか食べない。そんな、偏食が、更に私の身体を蝕んでいくようだ・・・
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きつい・・・

2008年02月23日 23時48分10秒 | 産業能率大学
今日はゼミの幹事会だった。品川の中華料理の店での幹事会。次回のMゼミでは、ここが会場となる。ちなみに、次回開催日は3月9日(日)で、残念ながら、私の大学院受験の日とかさなってしまう・・・

中華というのを聞いただけで、「やばいな・・・」と直感していたが、春巻を食べ終わった後にトイレで戻し、更に、牛肉のオイスターソースを食べた後に、再度、戻してしまった。

結局、お腹に残ったのは、チャーハン少々と、スープと杏仁豆腐と季節はずれのスイカくらいとなった。


それはさておき、何故か、ゼミOB・OGの方々に、私がこのブログの管理人というのがバレバレとなっている。心ある方から、「食べてらっしゃるので安心しました」と言っていただいたのですが、その言葉の前に、私は、やっちまっていたのです・・・ハイ。特に、あの「ナスビ」が油っこくてダメ・・・牛肉もおいしいのですが、やはり、消化できない。

そして、wingさんに、今朝の記事の件、「フラ夫さんの原点がわかりました」とのお言葉を頂戴したが、読み返してみると、なんだか、身勝手な記事って気もしてきた。自己開示的な部分もあるのですが、ちょっと、自慢に見えるところがあるうえ、本部への未練たらしいところもある。

決してそういうつもりじゃなかったのですが、早朝、勝手気ままに書いて、読み直すこともしなかったので、失敗したのかもしれぬ。

今もアルコールが抜けきっていないので、的確な判断ができぬ。そのままにしておきます。
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朝の満月!

2008年02月23日 06時51分23秒 | その他
窓から見る満月の美しいこと、この上なし!いにしえより、多くの歌人が、満月を愛でる歌を詠んだ気持ちが痛いほどわかる。良くぞ、日本人に生まれけり。この美しい満月に感動できる国民性を持ち合わせたことが幸せである。

さて・・・昨日はあまり飲まなかったので、体調がすこぶる良い。

もともと、酒には飲まれるタイプの人間だし、酒の絡んだ失敗は、列挙するのが困難なくらいたくさんある。酒に弱くなければ、もっと、出世していたこと、間違いはない。

本当に、それくらい酒には弱い。

ちょっとでも酒が入ると、無敵モードに突入して何でもありの世界になっていた。上下の区別や、男女の区別もなし。やりたい放題、好き勝手である。

その無礼・非礼な性格が祟ってか、銀行員の平均からすると、かなり短いタームでの転勤を繰り返すこととなる。

3回目の転勤の際、転勤先の上司が、「人事面において、君には酒の部分で大きな罰点がついている」と、正直に言ってくださったので、大阪に左遷されているときに、かなり更生した。

危険な水準にまで飲み至ると、「リバースしてゼロクリアする技」を覚えたのも、まさに、この大阪勤務のときである。

大阪では、銀行員としては、最低ランクの職場で働いていた。人生、既に投げたような人がうようよいた。アウトロー的な人のたまり場ともいえる職場・・・昇進・昇格はおろか、昇給も制度上最低といえる年間数百円のみ。制度がなければ、ゼロと思われる、本当にエリート銀行員は踏み込むことのできない世界に叩き落とされた。

しかも、女性が大半を占める職場だったので、性格的にもかなり女性化したと思われる。途中で組織変更があって、子会社化されたため、転勤扱いとなったようだが、なんと、その職場に、都合5年8ヶ月もいたのだから・・・

女性の間に入って、誰かが持ってきたお菓子を食べながら、ペチャクチャしゃべりこんでいた気がする。何故か、私だけ、男性とは見なされず、女子更衣室への出入りも許されていたし(無論、着替え中はNGだが)、食べ物のおこぼれが必ず回ってきた。

しかも、それだけ女性がいると、「派閥」なんぞもできるわけだが、その「派閥」にほとんど縛られることなく、オールマイティに泳がせてもらった気がする。逆に、派閥間のメッセンジャーボーイとして、価値があったのかもしれない。

生き字引ともいえるお姉さま方に「厳しく指導」いただいた上、お金はなくとも、定時退行できる「時間がたっぷりある生活」だったので、あらゆる分野の勉強に没頭した。資格を増やしたのも、まさにこの頃である。

結果、銀行の世界ではマイナーな業務ではあるが、その業務のオーソリティとなっていた。自分がわからないことは、誰にもわからないという自負。この自信をつけれたことは、長い左遷生活で、もっとも大きな成果である。

その後、組織の大幅変更があり、「業務の一番わかる人間」として、本部に招聘されることとなる。銀行では、その仕事の難易度によって、ランク付けがされているのだが、「ランク1」の最低レベルから「ランク5」の最難関の仕事に従事するという、非常に稀な体験をする。(ちなみに、今の仕事は「ランク2」です・・・)

その後、本部では大きな仕事をさせていただいた。無論、仕事は非常にタイトであり、うつ病にもなりかけたが。

その成果としては、外為業務においては、全ての行員が、私の携わった仕事の恩恵をうけて日々の業務を遂行していると断言できるレベルのものである。「システム」「手続」「マニュアル」「制度」等々、私が手がけたところを全て消し去ってしまうと、明日から、仕事が立ち行かなくなるというぐらいの仕事量だった。

大阪で、バックオフィスの業務を、隠れてやっていた当時からすれば、考えられないような仕事の成果。これが私の誇りであり、仕事が面白いと感じた初めてのケースでもあった。このような仕事を与えてくださって感謝しています。

そう・・・多くの行員が楽になる仕事。多くの行員が喜んでくれる仕事。今は、2回目の左遷中であり、エネルギーをためている段階であるが、もう一度、みんなから感謝される仕事がしたい。

名前は残さなくていいから、人のためになる仕事に従事するのが私の夢である。そして、自分でも、「あの仕事は私が取り組んだんだ!」という、成果を残したい。それは、出世欲でも、金銭欲でもない。ユングのいうところの、「人生の正午」を迎えたおっさんの最後のご奉公、マズローのいうところの「自己実現の欲求」の段階と思っている。

2000字も書くと、1時間近くもかかるんだな・・・何時しか、満月も消えてなくなっている。なんだか、爺くさい回顧録を書き綴ってしまったが、勘弁してくだされ。


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