職場で「大学院」に行っていることが評価されることは、まずない。
しかし、お客さまとの関係では、一部、大学院生ということでメリット?を受けたことがある。
とあるお客さまは、私が博士前期課程(修士課程)に在籍しているのを知り、「博士」という愛称で呼んでくださる。何度、「博士じゃなくて修士です」と言ってもである。
先般も、店頭でもめているお客さまがいらっしゃったので話をお伺いした。やはり、本人確認法(今の本当の名前は犯罪収益移転防止法)で、お客さまの確認をしようとしたらしい。著名な先生だったので、「本人確認が何故必要なのか」「犯罪収益移転防止法って、私を犯罪者扱いするのか!」と言う申し出であった。
「犯罪収益移転防止法」という言葉を、私は、余程のことがない限り発しない。「法令により」等で対応する。何故なら、普通の感情をもつお客さまでも「犯罪収益」という言葉に敏感に反応されるからだ。この言葉を発すると、よい雰囲気で受け応えしていたお客さまが一気に緊迫する。
とはいえ、私もプロのカウンセラーであり、ほぼ100%、お怒りになったお客さまをクールダウンすることができると自負している。これが周囲の人にとっては驚異のようだが、傾聴し、無条件肯定的配慮を行い、受容しているだけである。
私はお客さまに「××の取引はできません」とは絶対に言わない。「○○と△△の条件を満たせばお取り扱いできます。ご検討の程、よろしくお願いいたします」と「できるための条件」を提示する。無論、場合によれば7つも8つも条件がつくこともあるが、「できない」というのは相手の否定につながり、相手の立場を全く考えていない「死の宣告」となってしまうため基本的には使わない。お客さまが不機嫌になるのも当然であろう。
で、著名な先生の話に戻すと・・・傾聴をし、興奮がある程度収まった段階で「私も院生をやっていて、先生のお忙しさがよくわかります」という話し、驚いている先生の前で学生証をお見せすると、「この銀行員ごときが!」という姿勢が丸見えだった先生が、一気に「銀行をしながら大学院ですか?」と対等の視線に立ってくださる。
先生にとっては大学で学習する銀行員は、「敵である銀行員」ではなく、「身内の銀行員」ということとなるようだ。
既に1つ大学院を修了している話を付け加えると、先生の好奇心はいたく刺激され、「どの先生の門下ですか」「何を専攻しているのですか」と、さっきまで怒鳴っておられたのを忘れ、旧知の友人にあったような応対となる。
おかしなもので、最後は名刺を頂戴し「何かあったら連絡くださいね」なんてこととなる。概ね先生と呼ばれる方々は一生懸命学ぶ者が好きなのである。ましてや、金融機関の人間を含め、社会人は基本的には企業における職業訓練を受けるため、大学に戻る者は少数である。その中で、自分の費用で大学院に行っている私のような存在は、極めて稀有らしく「自分の弟子に欲しい」という話になる。その瞬間から私は先生の弟子であり、弟子が説明する銀行手続を疑うことはありえない。無論、私も先生を裏切るようなことはしない。
今までに、多くの先生に仕えてきて、先生がどういう存在か理解しているつもりである。応対している人が先生なら「アカデミックモード」で対応できるのが大学院に行ったメリットだろうか?そういう意味では、非常に業務に役立っているといえる。
しかし、お客さまとの関係では、一部、大学院生ということでメリット?を受けたことがある。
とあるお客さまは、私が博士前期課程(修士課程)に在籍しているのを知り、「博士」という愛称で呼んでくださる。何度、「博士じゃなくて修士です」と言ってもである。
先般も、店頭でもめているお客さまがいらっしゃったので話をお伺いした。やはり、本人確認法(今の本当の名前は犯罪収益移転防止法)で、お客さまの確認をしようとしたらしい。著名な先生だったので、「本人確認が何故必要なのか」「犯罪収益移転防止法って、私を犯罪者扱いするのか!」と言う申し出であった。
「犯罪収益移転防止法」という言葉を、私は、余程のことがない限り発しない。「法令により」等で対応する。何故なら、普通の感情をもつお客さまでも「犯罪収益」という言葉に敏感に反応されるからだ。この言葉を発すると、よい雰囲気で受け応えしていたお客さまが一気に緊迫する。
とはいえ、私もプロのカウンセラーであり、ほぼ100%、お怒りになったお客さまをクールダウンすることができると自負している。これが周囲の人にとっては驚異のようだが、傾聴し、無条件肯定的配慮を行い、受容しているだけである。
私はお客さまに「××の取引はできません」とは絶対に言わない。「○○と△△の条件を満たせばお取り扱いできます。ご検討の程、よろしくお願いいたします」と「できるための条件」を提示する。無論、場合によれば7つも8つも条件がつくこともあるが、「できない」というのは相手の否定につながり、相手の立場を全く考えていない「死の宣告」となってしまうため基本的には使わない。お客さまが不機嫌になるのも当然であろう。
で、著名な先生の話に戻すと・・・傾聴をし、興奮がある程度収まった段階で「私も院生をやっていて、先生のお忙しさがよくわかります」という話し、驚いている先生の前で学生証をお見せすると、「この銀行員ごときが!」という姿勢が丸見えだった先生が、一気に「銀行をしながら大学院ですか?」と対等の視線に立ってくださる。
先生にとっては大学で学習する銀行員は、「敵である銀行員」ではなく、「身内の銀行員」ということとなるようだ。
既に1つ大学院を修了している話を付け加えると、先生の好奇心はいたく刺激され、「どの先生の門下ですか」「何を専攻しているのですか」と、さっきまで怒鳴っておられたのを忘れ、旧知の友人にあったような応対となる。
おかしなもので、最後は名刺を頂戴し「何かあったら連絡くださいね」なんてこととなる。概ね先生と呼ばれる方々は一生懸命学ぶ者が好きなのである。ましてや、金融機関の人間を含め、社会人は基本的には企業における職業訓練を受けるため、大学に戻る者は少数である。その中で、自分の費用で大学院に行っている私のような存在は、極めて稀有らしく「自分の弟子に欲しい」という話になる。その瞬間から私は先生の弟子であり、弟子が説明する銀行手続を疑うことはありえない。無論、私も先生を裏切るようなことはしない。
今までに、多くの先生に仕えてきて、先生がどういう存在か理解しているつもりである。応対している人が先生なら「アカデミックモード」で対応できるのが大学院に行ったメリットだろうか?そういう意味では、非常に業務に役立っているといえる。