今、すごく幸せな自分がいます。
そう、本日の修論指導で、「成果物を提出してもよい」という指導教官からのOKをいただくことができたのです。
実際、不安で不安でしかたがなかったのですが、本当にうれしい限りです。
最初に、成果物の出来の悪さをお詫びするとともに、「自分自身、もう一年やった方がいいのではないかと思っています」と申し上げました。
先生から、「それには及ばない」とありがたいお言葉をいただきました。
もっと叩けば、もっといいものができるし、それよりも、先生に指導を受けると愚かな私が、少しずつだが「賢くなっている」気がして、本当に、このタイミングで修了していいのか、疑問に思ってしまったのでした。
で、もっとも、悩んだのが、修士論文ではなく、「一体、君はどうなりたいのか?」と質問されたことでした。武蔵野大学大学院を受験したことは報告していたのですが、「武蔵野大学大学院に合格したので、人間学を学んでみようと思っています」と答えたところ、「合格したことなんぞわかっている。君なら、どこの大学院でも合格できるから」と最大級の賛辞を頂きました。
ただ、先生が質問されたのは「このまま銀行員を続けるのか」という、もっと根本的なことだったようで、「実際、自分でもよくわかりません」と答えるしかありませんでした。
きっと、先生には、何故、私が大学院で学び続けるか理解できなかったのでしょう。できるわけはありません。当の本人が学んでどうするかわかってないのですから。
自分自身、勤務先で社会人教育なんかやってみたいのですが、「40歳では年を取りすぎている」と既にしかるべきセクションから宣告を受けています。つまり、このまま、人生を送っても社会人教育に携わる可能性は極めて低いわけです。
では、何のために学ぶのか?微妙な問題です。
このブログを見ている方は、フラ夫は、なんだか仕事そっちのけで学習しているように見えるでしょうが、実際、仕事も頑張っていて、自分の立場で取得できる「一般表彰」「QCサークル表彰」「アイデア提案表彰」「CS表彰」と表彰関係ではグランドスラムを達成しています。頭取名で頂いたものもあります。
仕事について、かなり極めたつもりでも、選んだ分野がマイナーだったのが不運でもあり、逆に幸運でもあった。メジャーな分野なら、このように横道にそれている時間もなかっただろうから。
もし、国内で、銀行員が集まって、オリンピックみたいに実務を競ったなら、メダルを取る自信はあります(上には上がいるので、金メダルはムリかもしれないが)。自宅には図書館以上の関連図書が蔵書として備え付けられ、これは、銀行員としては日本一であると自負しています。
ここまで極めたことが、逆に、押しつぶされそうな不安を生みます。「一体、自分は、あと何をすればいいのか、何をすべきなのか・・・・」。漠然とした不安といつも隣あわせでした。自分から銀行業務を取ったら、何が残るのだろう。そういった不安。スポーツ選手が、怪我をしてスポーツができなくなったら、一体どうなるのか・・・というのと同じ不安なのかもしれません。
「動き続けなければ死ぬ」大型の魚はそういうものだそうです。私も同じで、学び続けなれば、人間として死んだも同然じゃないかと思っています。
しかし、現状、その思いが過ぎてしまい、今回、修士論文の作成において、プレッシャーにつぶされていました。いつも、修士論文がダメだったらどうしようと怯え、もっと、立派に仕上げなければならないと自分を責め、結局、何も手につかない、一種のうつ病状態になっていたのでしょう。原因不明の病に冒され、常に体調不良の状態下に置かれていたといっても過言じゃありません。
学位や資格は評価システムと論文の中でも言っているのですが、もう年齢は42歳。ユングの言うところの「人生の正午」を超えた中年おやじにとっては、それが、出世や転職、あるいは人間性を評価されたいという欲望となっているわけではないのです。そう、名誉や名声を狙うにしては年を取りすぎたのです。
だが、名声・名誉と学習することは、全く別であると考えます(にもかかわらず、学位を取得することで、色々と声をかけてださる方が、都度都度現れるのは不思議なことなのであるが・・・)。
学習することで、私は恩師と出会うことができました。また、自分が無知であること、あるいは、私が「生涯学習」と思っていたのは「生涯修養」であり、「生涯学習」を唱えるためには、少なくとも3つの条件があるということも恩師より直接教えていただきました。
そう、今までの私は「生涯学習」というものを勝手に捉えていたのですが、今は、教育学的見地から、プロのハシクレとして、生涯学習を唱えることができるのです。その下地を、先生は教育学演習ⅠとⅡの累計100時間弱の授業で作ってくださいました。感謝してもしすぎることはないほど、すばらしい先生です。
特に、教育学演習Ⅱでほぼマンツーマンで、直接指導いただけたのも、2年間、産業能率大学大学院に寄り道をしている間に、先生のゼミ生がたった2名になっていたことが大きく影響しています。
そして、その寄り道をしたといった産業能率大学大学院でも、日本を代表する企業の役員等と知己を得る等、不思議な経験をしています。
銀行にいたなら、役員にならないとあえないような方々と一緒に、酒を飲んだり、泊めてもらったり、あるいは、お菓子を食べながら談笑するといった貴重な体験をさせてもらっているのです。
このように考えると、学問とは損得抜き、あるいは、地位や名声に関係なく、学びたいと思った欲求にだけ忠実に、そして平等に与えられるものではないかと思えてきます。
そういえば、私の最初の大学のゼミの先生も、いつの間にか、日本で著名な経営者として名をはせるようになってしまいました。とはいえ、数年前、いけなかったものの、ゼミの卒業生として、私にもイベントのお誘いが送られてきました。あくまでも、先生にとっては私は弟子の1人であり、私にとっては経営者というより、恩師としか見えないわけです。
このように、学びの中では、恩師を敬う心は持ちつつも、卑屈になることもなければ、へりくだる必要もない。ただ、恩師より「知の連鎖」を引き継ぐだけ。その対象として自分を選んでくれたことに感謝しつつ、現在の語り部として、その知をまた誰かに引き継ぐといった役割を担う。
それが弟子の本分であり、その使命を忘れない限り、師はいつも弟子を見守ってくださる。そういう関係を求める気持ちが私を大学にひきつけるのかもしれない。何もない自分は不安であるが、その心に恩師より預かった「知」を持つことで安堵を得られるのかもしれない。
そう考えると、なんとなく、今は至福のひとときである。修士論文を提出できる安堵感、先生から多くのことを学ぶことができた安堵感、そして、銀行という業務以外の専門性を得ることができた安堵感。いくつもの安堵感の中で、一瞬の安らぎを得ることができる。
長々と支離滅裂なことを書いたかもしれませんが、とりあえず、ほっと一息ついているということをお伝えしておきます。ここまで読んでくださった方々に感謝いたします。(3000字⇒手直ししたので3100字超)
そう、本日の修論指導で、「成果物を提出してもよい」という指導教官からのOKをいただくことができたのです。
実際、不安で不安でしかたがなかったのですが、本当にうれしい限りです。
最初に、成果物の出来の悪さをお詫びするとともに、「自分自身、もう一年やった方がいいのではないかと思っています」と申し上げました。
先生から、「それには及ばない」とありがたいお言葉をいただきました。
もっと叩けば、もっといいものができるし、それよりも、先生に指導を受けると愚かな私が、少しずつだが「賢くなっている」気がして、本当に、このタイミングで修了していいのか、疑問に思ってしまったのでした。
で、もっとも、悩んだのが、修士論文ではなく、「一体、君はどうなりたいのか?」と質問されたことでした。武蔵野大学大学院を受験したことは報告していたのですが、「武蔵野大学大学院に合格したので、人間学を学んでみようと思っています」と答えたところ、「合格したことなんぞわかっている。君なら、どこの大学院でも合格できるから」と最大級の賛辞を頂きました。
ただ、先生が質問されたのは「このまま銀行員を続けるのか」という、もっと根本的なことだったようで、「実際、自分でもよくわかりません」と答えるしかありませんでした。
きっと、先生には、何故、私が大学院で学び続けるか理解できなかったのでしょう。できるわけはありません。当の本人が学んでどうするかわかってないのですから。
自分自身、勤務先で社会人教育なんかやってみたいのですが、「40歳では年を取りすぎている」と既にしかるべきセクションから宣告を受けています。つまり、このまま、人生を送っても社会人教育に携わる可能性は極めて低いわけです。
では、何のために学ぶのか?微妙な問題です。
このブログを見ている方は、フラ夫は、なんだか仕事そっちのけで学習しているように見えるでしょうが、実際、仕事も頑張っていて、自分の立場で取得できる「一般表彰」「QCサークル表彰」「アイデア提案表彰」「CS表彰」と表彰関係ではグランドスラムを達成しています。頭取名で頂いたものもあります。
仕事について、かなり極めたつもりでも、選んだ分野がマイナーだったのが不運でもあり、逆に幸運でもあった。メジャーな分野なら、このように横道にそれている時間もなかっただろうから。
もし、国内で、銀行員が集まって、オリンピックみたいに実務を競ったなら、メダルを取る自信はあります(上には上がいるので、金メダルはムリかもしれないが)。自宅には図書館以上の関連図書が蔵書として備え付けられ、これは、銀行員としては日本一であると自負しています。
ここまで極めたことが、逆に、押しつぶされそうな不安を生みます。「一体、自分は、あと何をすればいいのか、何をすべきなのか・・・・」。漠然とした不安といつも隣あわせでした。自分から銀行業務を取ったら、何が残るのだろう。そういった不安。スポーツ選手が、怪我をしてスポーツができなくなったら、一体どうなるのか・・・というのと同じ不安なのかもしれません。
「動き続けなければ死ぬ」大型の魚はそういうものだそうです。私も同じで、学び続けなれば、人間として死んだも同然じゃないかと思っています。
しかし、現状、その思いが過ぎてしまい、今回、修士論文の作成において、プレッシャーにつぶされていました。いつも、修士論文がダメだったらどうしようと怯え、もっと、立派に仕上げなければならないと自分を責め、結局、何も手につかない、一種のうつ病状態になっていたのでしょう。原因不明の病に冒され、常に体調不良の状態下に置かれていたといっても過言じゃありません。
学位や資格は評価システムと論文の中でも言っているのですが、もう年齢は42歳。ユングの言うところの「人生の正午」を超えた中年おやじにとっては、それが、出世や転職、あるいは人間性を評価されたいという欲望となっているわけではないのです。そう、名誉や名声を狙うにしては年を取りすぎたのです。
だが、名声・名誉と学習することは、全く別であると考えます(にもかかわらず、学位を取得することで、色々と声をかけてださる方が、都度都度現れるのは不思議なことなのであるが・・・)。
学習することで、私は恩師と出会うことができました。また、自分が無知であること、あるいは、私が「生涯学習」と思っていたのは「生涯修養」であり、「生涯学習」を唱えるためには、少なくとも3つの条件があるということも恩師より直接教えていただきました。
そう、今までの私は「生涯学習」というものを勝手に捉えていたのですが、今は、教育学的見地から、プロのハシクレとして、生涯学習を唱えることができるのです。その下地を、先生は教育学演習ⅠとⅡの累計100時間弱の授業で作ってくださいました。感謝してもしすぎることはないほど、すばらしい先生です。
特に、教育学演習Ⅱでほぼマンツーマンで、直接指導いただけたのも、2年間、産業能率大学大学院に寄り道をしている間に、先生のゼミ生がたった2名になっていたことが大きく影響しています。
そして、その寄り道をしたといった産業能率大学大学院でも、日本を代表する企業の役員等と知己を得る等、不思議な経験をしています。
銀行にいたなら、役員にならないとあえないような方々と一緒に、酒を飲んだり、泊めてもらったり、あるいは、お菓子を食べながら談笑するといった貴重な体験をさせてもらっているのです。
このように考えると、学問とは損得抜き、あるいは、地位や名声に関係なく、学びたいと思った欲求にだけ忠実に、そして平等に与えられるものではないかと思えてきます。
そういえば、私の最初の大学のゼミの先生も、いつの間にか、日本で著名な経営者として名をはせるようになってしまいました。とはいえ、数年前、いけなかったものの、ゼミの卒業生として、私にもイベントのお誘いが送られてきました。あくまでも、先生にとっては私は弟子の1人であり、私にとっては経営者というより、恩師としか見えないわけです。
このように、学びの中では、恩師を敬う心は持ちつつも、卑屈になることもなければ、へりくだる必要もない。ただ、恩師より「知の連鎖」を引き継ぐだけ。その対象として自分を選んでくれたことに感謝しつつ、現在の語り部として、その知をまた誰かに引き継ぐといった役割を担う。
それが弟子の本分であり、その使命を忘れない限り、師はいつも弟子を見守ってくださる。そういう関係を求める気持ちが私を大学にひきつけるのかもしれない。何もない自分は不安であるが、その心に恩師より預かった「知」を持つことで安堵を得られるのかもしれない。
そう考えると、なんとなく、今は至福のひとときである。修士論文を提出できる安堵感、先生から多くのことを学ぶことができた安堵感、そして、銀行という業務以外の専門性を得ることができた安堵感。いくつもの安堵感の中で、一瞬の安らぎを得ることができる。
長々と支離滅裂なことを書いたかもしれませんが、とりあえず、ほっと一息ついているということをお伝えしておきます。ここまで読んでくださった方々に感謝いたします。(3000字⇒手直ししたので3100字超)