このシーズン思うことは、よくも、まあ、大学院に5回連続合格できたな~ってことである。
とはいえ、こんな幸運はそうそうなく、もう一回受けたら不合格かな~と思ったりもしている。なんせ、私自身は「不合格のスペシャリスト」だから(笑)。そもそも、18歳の時に受験した大学は一度不合格となり補欠合格だったし、資格試験も数十回不合格を喰らっているし、単位を修得するための試験も、社会人になってからだけで10回以上不合格になっている。
たまたま入試は、なんとかクリアしているが、日本でも有数の不合格者なのだから、その悔しさ、無念さ、絶望、悲観、悔悟、後悔、悲劇、悲惨、悲嘆・・・まあ、色々、思う気持ちは、何度も何度も経験しているわけで。
入試にも、資格試験にも、ある程度、合格者が絞られるものもある。60点や70点という点数さえクリアすれば合格できる試験もあれば、成績上位者何名までっていう試験は、自分が合格することで、他者が不合格になってしまうわけである。試験は残酷なもので、一生懸命、頑張って、励んできたにもかかわらず、なぜか、自分が受験した際に、過去問で一度も出題されていない、訳のわからんところが出題されて、撃沈することもあるのだ。ゆえに、「努力したやつが合格して、努力をしていないやつが不合格になる」とは口が裂けても言えない。だからこそ、合格した者は、不合格になった者の無念もまとめて引取り、学ばなければバチが当たる。
不合格は残念であるが、不合格を100回続けた人を私は知らない。というか、不合格を10回続けるのも、なかなかできる芸当ではない。ゆえに、挑戦を続ければ、いずれ合格することができる。そう、諦めなければ、大抵のものは合格できてしまう。それを信じるか、信じないかは、おのれ自身。
不合格を恥じることは一切いらない。少なくとも、何もしないやつより、挑戦した者は勇気がある。なんせ、一歩を踏み出したのだから。挑戦もしないやつの、嘲笑なんて、負け犬の遠吠えのようなものである。ただ、わずか1回の不合格で諦めるか否か。そこで諦めてしまうと、やらない者との差はわずか1歩。そう、五十歩百歩にも全く及ばない。一発「不合格」という拳で殴られたくらいで戦意を喪失する程度なら、その程度の思いだっただけ。思いを叶えたいなら、殴られた以上に、「試験」で殴り返すしか、不本意を翻す方法はないと思っているのだが。