休みを頂いたのに、昨日は資料整理ぐらいしかできなかった・・・
自分と言う人間の弱さに、ほとほと、呆れてしまう。昔は、馬力もあったし、無茶もできた。常に有言実行をめざし、概ね、それをクリアしてきた。
そう、40歳を超えた時から、「明日でいいか・・・」と、嫌なことと向き合うのを極力遅らせるようになってきた。また、モチベーションを維持させることが困難になってきた。
「人生の正午」とはよくいったものだ。ユングの言うところの、40歳を越えたあたりから、地位や名誉にこだわらず、自己実現にエネルギーを投下するようになるといった行動の変化をさすのだが、きっと、40歳を越えると、体力勝負では若い者に勝てないってことも、ひとつの要因としてあるのかもしれない。まともに、ぶつかっては勝てないから、もっと、違ったところで、自分の存在意義を求めることなのかもしれない。まあ、勝手な私見なのだが。
時間はスピーディに過ぎ去るのに、行動は逆に遅々として進まない。しかし、考えても見れば、年配者用に、通常2年の修士課程を、ほぼ同じ金額で3年以上の期間に読み替えてくれる長期履修の制度をとっている大学もある。つまり、私だけじゃなくて、他者におかれても、「若い衆」が2年でできることを、年を取ると同じ期間でできなくなるようだ。10年近くかかって通信制の大学を卒業されるのも、年配者が多いイメージがある。
私の抱えるジレンマは、年甲斐もなく、若いときと同じ気持ちで、欲張って学習を続けていることにあるのかもしれない。
貪欲さゆえの後悔。
レポート提出も、試験の準備も「寸分の間合い」で見切れていたのに、最近、ちょっとの差で外しっぱなしである。「間合い」が見切れない・・・
複数路線で学習すると、複数の数だけ人生が充実すると思っていたが、身の丈にあった学習に取り組まないと、全てが中途半端になるようで怖い。
とはいえ、今までのところは、欲張った分だけの成果は積上げてきているつもりである。少なくとも6年前の自分とは全く違った人生を楽しんでいる。また、特に勉強していないつもりだったが、不思議にも、他者に聞かれたり、相談されたりすると、意外と的確に面白い話ができるようになっている自分に驚く。
というより、学者や教育関係者の方と話すときには、どちらかというと経営分野の話の比重を重くし、経営者と話すときには教育学や社会学の分野の話を交えると、非常に喜ばれることを発見した。すなわち、自分の専門分野以外のことを知りたいのだが、まがりなりにも、様々な学習を経験してきたおかげで、その橋渡しの役割ができることに気がついたのだ。
無論、資格、機構の学位、ビジネスキャリア制度、大学通教等、自分の能力に準じた特殊な分野においては、その道の専門家の方々にレクチャーすることもあるのだが、それ以外のことについても複数の視座から話をすることができるようになっていた。
まあ、経営者にMBA的な話をするもの、学者に教育学の話をするのも、釈迦に説法みたいで、恥ずかしいことである。しかし、「少子化が与える大学経営への影響をMBA的に考える」ってことなら、面白い話ができるかもしれない。
さて、自由時間はここまで。10時から真剣に論文の最後の詰め(初稿だが・・・)を行うこととしましょう。
自分と言う人間の弱さに、ほとほと、呆れてしまう。昔は、馬力もあったし、無茶もできた。常に有言実行をめざし、概ね、それをクリアしてきた。
そう、40歳を超えた時から、「明日でいいか・・・」と、嫌なことと向き合うのを極力遅らせるようになってきた。また、モチベーションを維持させることが困難になってきた。
「人生の正午」とはよくいったものだ。ユングの言うところの、40歳を越えたあたりから、地位や名誉にこだわらず、自己実現にエネルギーを投下するようになるといった行動の変化をさすのだが、きっと、40歳を越えると、体力勝負では若い者に勝てないってことも、ひとつの要因としてあるのかもしれない。まともに、ぶつかっては勝てないから、もっと、違ったところで、自分の存在意義を求めることなのかもしれない。まあ、勝手な私見なのだが。
時間はスピーディに過ぎ去るのに、行動は逆に遅々として進まない。しかし、考えても見れば、年配者用に、通常2年の修士課程を、ほぼ同じ金額で3年以上の期間に読み替えてくれる長期履修の制度をとっている大学もある。つまり、私だけじゃなくて、他者におかれても、「若い衆」が2年でできることを、年を取ると同じ期間でできなくなるようだ。10年近くかかって通信制の大学を卒業されるのも、年配者が多いイメージがある。
私の抱えるジレンマは、年甲斐もなく、若いときと同じ気持ちで、欲張って学習を続けていることにあるのかもしれない。
貪欲さゆえの後悔。
レポート提出も、試験の準備も「寸分の間合い」で見切れていたのに、最近、ちょっとの差で外しっぱなしである。「間合い」が見切れない・・・
複数路線で学習すると、複数の数だけ人生が充実すると思っていたが、身の丈にあった学習に取り組まないと、全てが中途半端になるようで怖い。
とはいえ、今までのところは、欲張った分だけの成果は積上げてきているつもりである。少なくとも6年前の自分とは全く違った人生を楽しんでいる。また、特に勉強していないつもりだったが、不思議にも、他者に聞かれたり、相談されたりすると、意外と的確に面白い話ができるようになっている自分に驚く。
というより、学者や教育関係者の方と話すときには、どちらかというと経営分野の話の比重を重くし、経営者と話すときには教育学や社会学の分野の話を交えると、非常に喜ばれることを発見した。すなわち、自分の専門分野以外のことを知りたいのだが、まがりなりにも、様々な学習を経験してきたおかげで、その橋渡しの役割ができることに気がついたのだ。
無論、資格、機構の学位、ビジネスキャリア制度、大学通教等、自分の能力に準じた特殊な分野においては、その道の専門家の方々にレクチャーすることもあるのだが、それ以外のことについても複数の視座から話をすることができるようになっていた。
まあ、経営者にMBA的な話をするもの、学者に教育学の話をするのも、釈迦に説法みたいで、恥ずかしいことである。しかし、「少子化が与える大学経営への影響をMBA的に考える」ってことなら、面白い話ができるかもしれない。
さて、自由時間はここまで。10時から真剣に論文の最後の詰め(初稿だが・・・)を行うこととしましょう。