とりあえずの段階の論文雛形を提出して一夜が明けた。
今までは、頭に「提出しなきゃ!」っていう義務感が残っていたため、眠りが浅かったような気がする。しかし、その重圧が一瞬消え去ったため、よく眠れたのかもしれない。
一旦、ゼロクリアしたため、下書き段階で刷り出した紙を整理する。500枚以上の紙が廃棄されて、ちょっと机上が片付いた。
論文を書いているときは、論文以外の仕事がはかどる。いわば、そちらに逃げているって感じなのかもしれない。
一方で「英語もやりたい」「中国語もやりたい」「韓国語もやりたい」「資格も取りたい」「会計学も学びたい」「昔のMBAのテキストを読みたい」「資格の分析をしたい」等々、色々なやりたいことが想起されては「論文ができてから!」と自重することも多々あった。
今回の論文を作成して「資格の研究は奥が深い」ということを知った。
私は資格取得に重きを置く「実践者」である。昨日、国分寺の紀伊国屋書店で資格関連の雑誌を読んでいたら、確か93の資格を取得している方が資格のスペシャリストとして登場していた。数で言えば私の半分以下である。
とはいえ、資格には「研究者」もいて、資格を取らなくても「資格の神様」といえる人もいる。今回入手した「日本の公的職業資格制度の研究」をかかれた辻功先生や、「イギリスにおける「資格制度」の研究」をかかれた柳田雅明先生は、まさに、その観点から神様といっていいのかもしれない。
その神様とも言える先生方が参考とした文献も時間があれば、ひとつひとつ探してみたい。できれば、手元に置いておきたい。
いうなれば、「資格取得の実践者」でありつつ、「資格制度の研究者」にもなりたい。今、やっと、研究者としての入り口に立てたような気がする。
研究者の道を求めつつ、実践者としての立場も守りたい。できれば、資格取得数日本一ではなく、辻先生の言葉を借りるなら「日本の公的職業資格」の数で日本一になりたいものだ。そうしないと、資格の数が広がりすぎて、何がなにやらわけがわからないくらい、日本の資格は玉石混交だから。
※とはいえ、公的資格でなくとも資格を目指して学習することは尊いことである。それを否定する気持ちは毛頭ない。しかし、最近のネットで数分、簡単に認定される資格までカウントする風潮になると、数をモチベーションとして学習している人に対して失礼であろう。資格とは学習の結果とうい一面もある。だからこそ、公平な基準が欲しいところである。その点、イギリスのNVQはレベルが1~5とランク付けされているのでNVQのNo.1というのははっきりすると思う(無論、イギリスの資格にはNVQ以外の資格も存在する)。資格は数で勝負するものではないが、そのような競争はお互いを切磋琢磨する。そういう競い合いに参加していると気付けば、とてつもない力をつけることができる。学習も、スポーツもライバルがいると伸びが速いのである。
今までは、頭に「提出しなきゃ!」っていう義務感が残っていたため、眠りが浅かったような気がする。しかし、その重圧が一瞬消え去ったため、よく眠れたのかもしれない。
一旦、ゼロクリアしたため、下書き段階で刷り出した紙を整理する。500枚以上の紙が廃棄されて、ちょっと机上が片付いた。
論文を書いているときは、論文以外の仕事がはかどる。いわば、そちらに逃げているって感じなのかもしれない。
一方で「英語もやりたい」「中国語もやりたい」「韓国語もやりたい」「資格も取りたい」「会計学も学びたい」「昔のMBAのテキストを読みたい」「資格の分析をしたい」等々、色々なやりたいことが想起されては「論文ができてから!」と自重することも多々あった。
今回の論文を作成して「資格の研究は奥が深い」ということを知った。
私は資格取得に重きを置く「実践者」である。昨日、国分寺の紀伊国屋書店で資格関連の雑誌を読んでいたら、確か93の資格を取得している方が資格のスペシャリストとして登場していた。数で言えば私の半分以下である。
とはいえ、資格には「研究者」もいて、資格を取らなくても「資格の神様」といえる人もいる。今回入手した「日本の公的職業資格制度の研究」をかかれた辻功先生や、「イギリスにおける「資格制度」の研究」をかかれた柳田雅明先生は、まさに、その観点から神様といっていいのかもしれない。
その神様とも言える先生方が参考とした文献も時間があれば、ひとつひとつ探してみたい。できれば、手元に置いておきたい。
いうなれば、「資格取得の実践者」でありつつ、「資格制度の研究者」にもなりたい。今、やっと、研究者としての入り口に立てたような気がする。
研究者の道を求めつつ、実践者としての立場も守りたい。できれば、資格取得数日本一ではなく、辻先生の言葉を借りるなら「日本の公的職業資格」の数で日本一になりたいものだ。そうしないと、資格の数が広がりすぎて、何がなにやらわけがわからないくらい、日本の資格は玉石混交だから。
※とはいえ、公的資格でなくとも資格を目指して学習することは尊いことである。それを否定する気持ちは毛頭ない。しかし、最近のネットで数分、簡単に認定される資格までカウントする風潮になると、数をモチベーションとして学習している人に対して失礼であろう。資格とは学習の結果とうい一面もある。だからこそ、公平な基準が欲しいところである。その点、イギリスのNVQはレベルが1~5とランク付けされているのでNVQのNo.1というのははっきりすると思う(無論、イギリスの資格にはNVQ以外の資格も存在する)。資格は数で勝負するものではないが、そのような競争はお互いを切磋琢磨する。そういう競い合いに参加していると気付けば、とてつもない力をつけることができる。学習も、スポーツもライバルがいると伸びが速いのである。