生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

廃墟?

2021年06月28日 21時38分14秒 | 旅行
五色園内を散策していると、「五色園御休所」という建物に遭遇しました・・・


いや、、、ここでは休みたくないな。。。
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川越えの名号

2021年06月28日 21時17分15秒 | 旅行
こちら親鸞御一行。


既に、川の向こうに渡った親鸞聖人が川越しに「南無阿弥陀仏」と六字名号を書くと・・・

あら不思議!川の向こうの女が持つ紙に「南無阿弥陀仏」という文字が浮かび上がったのでした!!


その内容を書いた案内板がこちら。


文字が見えないのですが・・・で、内容は以下の通りです。

 建暦元年、流罪勅免の使いが越後国府に来ると伝え聞いた親鸞聖人は、草庵を後にして国府に向かいました。しかし途中雪に見舞われ、柿崎につくころにはすっかり日も暮れてしまいました。
 そこで聖人はこの地の扇屋の門をたたき一夜の宿を請うことにしました。しかし扇屋夫婦は邪険に断り「軒下なら勝手にするがいい。」と言って戸を閉めてしまいました。そこで聖人は厚く礼をのべられ、念仏を唱えながら夜の明けるのをお待ちになりました。
 流石に無情の夫婦も、戸の隙間より漏れてくる念仏の声を聞いて尊さが身にしみて自らの非礼を詫び、聖人を家の中へお招きになりました。ここで聖人は御仏の教えをお説きになると、夫婦はたちまち念仏の行者となりました。
 非常にお喜びになった聖人は扇屋に「南無不可思議光如来」の九字の名号を与え。翌朝「柿崎にしぶしぶ宿をとりけるに、主の心熟柿(うれし)なりけり」と地名の柿崎を折り込んだ歌を詠まれました。それに対し扇屋の主人も「かけ通る法師に宿を貸しければ書き(柿)呉れたりや九字の名号」と返しました。
 扇屋の妻は聖人の発ったあと、名残を惜しみ聖人のお跡を慕っていきました。そして、既に川を渡られた聖人にお形見をお願いしますと聖人は向こう岸からこちらに向かって空中に六字の名号を書かれました。すると扇屋の妻の手元の紙に「南無阿弥陀仏」の六字が浮かび上がったのです。扇屋の妻は歓喜してこれを押し頂き、川越しに聖人とお別れいたしました。
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縁結び弁財天女

2021年06月28日 21時12分54秒 | 旅行
こちらが「縁結び弁財天女 」。


弁天様もコンクリートで作られています。



その弁天様の視線の先にあったのは・・・


子ども??

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ハッチョウトンボ

2021年06月28日 21時01分27秒 | 旅行
「桜ヶ池大蛇入定の由来」の像のそばにある池に「ハッチョウトンボ」が飛んでいました。


ピントが合わなくて、ボケてしまっているのですが・・・


日本最小のトンボ。地域によっては絶滅危惧種に指定されています。


こんなところでお目にかかれるとは!
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桜ヶ池大蛇入定の由来

2021年06月28日 20時53分56秒 | 旅行
「桜ヶ池大蛇入定の由来」の像。



案内板はこちら。



何が書いてあるかわからないので、詳細は以下の通りです。

 肥後(熊本県)の国の光円阿門梨は弥勒菩薩の御出世を待つために、遠州(静岡県)桜ヶ池に入定されたとあります。比叡山の学頭聴として名声四方に聞こえた阿門梨もふと未来の問題が悩ましくなり、その悩みは更に大きく広がって行くばかりです。
 「日本広しといえども、到底未来の問題を解き顕せる聖者はおるまい。わたしの信頼できるのは釈迦如来か又は弥勒菩薩より外にはない。しかし釈迦にはおくれ弥勒に早い今の世に、満足できる生身の仏がない以上、私は弥勒菩薩の御出世に会いたい。しかし人間の寿命には限りがあるが、動物の中でも大蛇は長寿第一という。我が魂も大蛇に入定したい。
 この発願のために見出されたのが桜ヶ池であります。そこで阿門梨は池の水を比叡山に持ち帰り、六年の苦行の結果その一念は桜ヶ池に飛び大蛇と化して入定させられたのでした。
 これを聞いた法然上人は嘆き、如何にしてでも我が悟る所の他力の要路を、師阿門梨に告げたいものと池の面を尋ねられました。すると一天にわかに掻き曇り、雷鳴しきりに鳴り渡り、千尋もある大蛇が現れました。法然上人は、他力の教法についてねんごろに説かれましたが、時既に遅しと大蛇は嘆き、両眼から涙を流します。入定の時、苦行に耐えて貴方の御出世を待ちますから済度の幸せを賜れとの弥勒菩薩への誓いは捨てられぬと、さめざめ嘆きながら水底へ帰られました。
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放送大学から・・・

2021年06月28日 20時18分11秒 | 放送大学
自宅に帰ると、ポストに放送大学からの郵便物が9通も入っていました!

そう、通信指導問題の添削結果です。ありがたいことにすべての科目で「単位認定試験の受験 可(通信指導合格)」となっております。とはいえ、受験不可(通信指導不合格)を取る方が、何十倍も困難という説もあるのですが・・・

今回は、大学で8科目=16単位分、大学院で1科目=2単位分の18単位となります。大学を4年で卒業するには124単位が必要です。ということは、年間31単位、半期で16単位ほど取得しなければなりません。なら、この目標18単位っていうのも、あながち無理な水準とは言い難く、私のように、通信制大学をいくつも経験している者なら、クリアできて当然の単位数といえます。

いつもなら「とはいえ、勝負は時の運・・・」な~んて言うのですが、今回は自宅での受験、まかり間違っても、取りこぼすようなことがないようにしないと。
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身代わりの名号

2021年06月28日 05時53分58秒 | 旅行
更に山を登ると「身代わりの名号」が。


平次郎とおすわの像。



「帰命盡十方無碍光如来」の名号が切られて赤くなっています!


案内板はなんとか読めそうですが、内容を以下に記しておきます。

 常陸の国、川和田に住む平次郎は大の仏法嫌いで邪険な男でしたが、その妻おすわは親鸞聖人の教えを熱心に聞き求める信心家でした。
 平次郎はおすわが法話に参詣するたび暴力をふるいます。それを知った聖人はおすわに十字の名号を書き与え、法話に参詣しなくてもそれに礼拝するよう伝えました。そしてそれからおすわは、平次郎に見られないようにしてこっそり名号に礼拝していました。
 ある日おすわがいつものように平次郎の留守時に、名号を取り出し礼拝していると、外から平次郎が帰ってきました。平次郎は、妻以外誰もいないはずなのに誰かに話し掛けるような妻の声に不信を抱きました。そして妻が浮気をしているのではないかと激情下へ維持労は嫉妬の刃を振りかざして部屋に怒鳴り込みました。しかしおすわはやはり一人です。
 おすわは慌てて名号をふところに隠しました。それを見た平次郎は「今隠したものを見せろ!」と怒ります。見せれば名号を破り捨ててしまうに違いないと思ったおすわは「こればかりは...」と許しを乞いました。そのさまに男からの艶文と思った平次郎は逆上しておすわを切り殺してしまいました。そして血に染まったおすわの体を古菰につつみ裏の竹やぶに埋めて家に取って返すと、殺したはずのおすわが何食わぬ顔をして部屋の中にいます。
 青くなった平次郎は事の次第をおすわに話すと二人で竹やぶに急ぎ、掘り返してみました。すると不思議にも死体はなく、血潮に染まった名号が「帰命」の二字より真っ二つになって出てきました。おすわがふところを確かめると名号はありません。二人はあまりのことに涙を浮かべて地にひれ伏し念仏を唱えました。そしてその足で稲田に向かい親鸞聖人に事の顛末を話すと、聖人は阿弥陀仏の本願をねんごろに説かれ、平次郎も念仏の行者となりました。
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赤山明神貴婦人邂逅

2021年06月28日 05時46分11秒 | 旅行
山の方に登ると、「赤山明神貴婦人解逅」の像がありました。


なるほど、この逸話をもってくるのですね。



詳細は以下の通りです。

 親鸞聖人二十六歳のとき、都からの帰路、比叡山の麓にある赤山禅院にお参りされました。聖人が神前で静かに念誦していると、陰から美しい女性が現れました。そして聖人が比叡山に帰ることを知ると「私も年来このお山に参詣したいと思っておりました。どうかご一緒させていただけないでしょうか。」と懇願しました。しかし聖人は「比叡山は、舎那円頓の峰高く、止観三密の谷深く、五障(女は梵天・帝釈・魔王・転輪王・仏になれない)三従(幼いときは親に、結婚すれば夫に、老いぼれれば子に従う)の女性は入山することができないのです。法華経にも女性は垢穢にして、仏法の器に非ずと説いております。それ故、伝教大師も結界の地と定めたのです。」と答えて入山できないことをお説きになりました。それを聞いた女性は「たしかに女性は五障三従のさわりがあり成仏できないといわれています。しかし伝教大師も、一切の衆生にはすべて仏性があるとおっしゃっています。鳥や獣にいたるまで、男女の別はありますが、女人だけを除いてはたして真実の悟りに達することができるでしょうか。」と嘆きました。そして「どうか貴僧は、末世の女人の善知識となって御仏の慈悲が届くようにお力添えをお願い申し上げます。」と言って袖から白絹に包んだ玉を取り出し聖人に差し出しました。「これは、闇夜を照らす玉です。なにとぞ御仏の教えを低く卑しい谷に下して、あらゆる人々を導いてください。」そう言うと、女性の姿はどこともなく消えてしまいました。
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信行両座

2021年06月28日 05時26分26秒 | 旅行
五色園の広さは20万坪!

広い園内を回るため、先を急ぎます。



数珠を持ち、正信念仏偈を唱えながら歩いていたところ、人影を発見しビックリ!


「信行両座」のシーンを再現したものでした。


迫力があるのが熊谷蓮生房の像!


本当に慌てて駆けつけたって感じがします。


それにしても・・・どちらが「信」で、、、


どちらが「行」なのか、、、



人数が少ない方が「信」だと思うのですが、人数の多い方の先頭の方が、どうも親鸞聖人にそっくりなので・・・

ちなみに、内容は以下の通りです。

 親鸞聖人が法然上人の下、吉水の草庵に通っていたある日、法然上人に許しを得て門弟たちを信の座「信不退」と行の座「行不退」の二つの席に分け、どちらの考えでいるか明らかにしました。
 「信不退」とは、弥陀の本願を信じるだけで生涯信心を失わない不退転が得られると信じることをいい、「行不退」とは本願を信じてなお、不退転を得るためには念仏の行を積まなければならないとする考え方です。
 ほとんどの門弟たちは行の座に着座しましたが、高弟の信空、のちの「唯信鈔」を書いた聖覚は信の座に着きました。そしてそこに遅れてきた熊谷蓮生房が事の次第を聞き、慌てて信の座に着きました。続いて親鸞聖人も信の座に着座し、これで一同が着座してざわめきが鎮まると、法然上人もおもむろに「私も信の座に着こう。」と言って「信不退の座」に着きました。このとき行の座を選んだ門弟たちは一応に驚き、自らを恥じまた後悔しました。
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月見の宴

2021年06月28日 05時10分37秒 | 旅行
五色園の入口。



本当に入っていいのかと心配になりますが、守衛室には誰もいませんでした。ということで、先に進みます。

ほどなく、多くの像に遭遇します。


これは、親鸞聖人の「月見の宴」を再現したものとのこと。


これらは浅野祥雲先生のコンクリート作品。



コンクリート像が、銅像ではない味わいを醸し出します。



こちらが親鸞聖人2歳の像ですね。


「月見の宴」の内容は以下の通りです。

 親鸞聖人(十八公麻呂君)は日野の里、法界寺のほとりでお生まれになりました。父君は藤原有範卿、母君は吉光御前といわれる方で、平安時代の貴族の長男としてお生まれになりました。
 信心深い母君、吉光御前が常に長谷寺の観音に念じて藤原家の跡継ぎを願われ、観音の申し子として生まれたのでありました。ところが、十八公麻呂は二歳になられても口を一文字に堅く閉じ片言も話されませんでした。まわりの人々は奇異の感に打たれていました。
 そんな八月の十五夜、人々は月見の宴を催されました。
 父君、藤原有範卿のひざに抱かれてじっと空を見上げておられた松若君(十八公麻呂)は、月が天中高く冴え渡ると同時につかつかと前に出られて、両手を合わせつきを拝み「なむあみだぶつ」と一声称えられました。人々はその声を聞いて驚き喜びの声をあげるとともに、松若君が非凡の和子であると歓喜せられたのでありました。

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