今日、日本の台所として親しまれた「築地市場」が最終営業日を迎えて最後の競りを
終えたとの報道がありました。
かって、国鉄時代には、鮮魚特急「ぎんりん、とびうお」などの高速貨物専用列車レサ10000が
EF66に牽引されて活躍していました。
1966年(昭和41年)10月より、幡生 - 東京市場間に「とびうお」、博多港 - 大阪市場間に「ぎんりん」の愛称で運転を開始し、従来の鮮魚貨車では長崎 - 東京市場間で42時間30分を要し出荷後4日目のセリになっていたのが、これらの列車の運行開始により27時間に短縮され、出荷後3日目のセリに間に合うようになり、これらの特急鮮魚貨物列車については一応の実績を上げました。
しかし、昭和50年代後半になると、トラックへの移行がさらに進み、特急鮮魚貨物列車であっても編成両数が減少してきて
国鉄の合理化の動きもあり、各地の市場に隣接した貨物取り扱い駅の閉鎖と共に、鮮魚貨物列車のコンテナ化が進められた。最終的に1986年(昭和61年)3月に、最後に残った「とびうお」号がコンテナ化されて消滅しました。
今日のフオトは、懐かしいレサ10000を牽引するEF66の雄姿です!
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東海道本線(近江長岡ー醒ヶ井)
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山陽本線(垂水)
終えたとの報道がありました。
かって、国鉄時代には、鮮魚特急「ぎんりん、とびうお」などの高速貨物専用列車レサ10000が
EF66に牽引されて活躍していました。
1966年(昭和41年)10月より、幡生 - 東京市場間に「とびうお」、博多港 - 大阪市場間に「ぎんりん」の愛称で運転を開始し、従来の鮮魚貨車では長崎 - 東京市場間で42時間30分を要し出荷後4日目のセリになっていたのが、これらの列車の運行開始により27時間に短縮され、出荷後3日目のセリに間に合うようになり、これらの特急鮮魚貨物列車については一応の実績を上げました。
しかし、昭和50年代後半になると、トラックへの移行がさらに進み、特急鮮魚貨物列車であっても編成両数が減少してきて
国鉄の合理化の動きもあり、各地の市場に隣接した貨物取り扱い駅の閉鎖と共に、鮮魚貨物列車のコンテナ化が進められた。最終的に1986年(昭和61年)3月に、最後に残った「とびうお」号がコンテナ化されて消滅しました。
今日のフオトは、懐かしいレサ10000を牽引するEF66の雄姿です!
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東海道本線(近江長岡ー醒ヶ井)
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山陽本線(垂水)
長崎から東京までずいぶん時間がかかっていたのですね。
「ぎんりん・ とびうお」新鮮で速く届けられそうな名前です。
高速道路を行くと○○水産などと書かれたトラックが走っています。
列車からトラック輸送へ、でもこの頃は運転手不足で鉄道輸送も見直されているとか
時代と共にまた変わるのかもしれませんね。
伊吹山が今より緑が少ないような気がします。
活発に採掘されていた頃なのかしら・・・
鉄道貨物は、モータリゼーションによりトラック輸送に変わりましたが、最近は地球温暖化対策や運転手不足により、鉄道へのモーダルシフトが進んでいます。
伊吹山は、光線の加減かもしれません!