同書のなかに、『歴史の目撃者』 という表現が出てきます。
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1970年代の中国、北京常駐の日本人特派員が ついに朝日新聞だけとなります。
「特派員維持のために、本当のことを書いていない」 「中国べったりだ」 といった朝日新聞への批判が強まります。
日本新聞協会主催の座談会において、こんな問いかけが出ます。 「中国国内を自由に取材できないような環境のなかで いつまでも取材活動を続ける必要があるのだろうか。 言論の自由のないところに特派員を出して何の意義があるのだろうか」
この反論として持ち出されたのが、『歴史の目撃者』 論。
同書では、朝日新聞社 社内には不満があっても、異論や意見具申は大きな声にならなかったと続けます。
あるデスクの言葉。 「(社論を)明文化した指示とか通達はなかったが、(中国の)支局閉鎖や特派員追放を避けるため、こうしなくてないけないといったような 『空気』 のようなものが編集局を包んでいた」
80年代に入って、「『中国報道の偏向』 をうんぬんされるようになった原因は、出先ばかりでなく本社側にも中国当局の機嫌をそこねないことだけに神経を使う空気が強まった結果だ」 と社内文書に書かれたそうです。
これを受けた指摘。 「当時本社は、『日中国交の正常化を急ぐべし』、そして中国は一つとの立場から 『台湾との断交もやむなし』 という社論を掲げていた ・・・ しかし、そのことと事物の客観的かつ公正な報道をすることとは峻別すべきものであり、前者のために後者をゆがめるようなことは断じて許されない、その点に混乱があった」
戦争に突入していく際の報道の在り方について、本当に反省がなされたのか疑わしい姿勢だと断じざるを得ません。
さらに、「批判的な総括は社内だけにとどまり、社外(読者)への説明は ・・・ 90年代まで持ち越された」 と続きます。
こうした 総括を踏まえ、今の報道が 公正なものとなっていることを切に願います。
権力は腐敗する。 故に監視の目がなければならないから。 権力監視というジャーナリズムの役割に期待するから。 難しい役割なので 客観性を失ってはならないから。
K氏 が御存命であれば、色々な質問をさせて頂きたかったというのが、私の読後感です。
きっと、私の拙い視点と論点を喝破されたことでしょうけど
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