マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

年末の献血

2011年11月30日 | 喜働

今年も献血の予約をしました。

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12月31日、年末献血です。 年末の 『My 行事』 でした。 過去形なのは、昨年は出来なかったから。

12月31日は、必要な量を確保するため、血小板成分献血に限定した完全予約制になっています。 (少なくとも、私が行く献血センターでは。 他は知りませんけど) 

従来は 血小板献血が 54歳までだったので、昨年は予約段階で不可でした。

実は、55歳だった一昨年は年末に予約献血していたのです。 それは、受付のミスだったと言われ、受付窓口で粘ったのですが、ダメでした。 ところが、その直ぐ後に、「血小板成分献血は男性に限り 『54歳まで』 から 『69歳まで』 に改訂」 となったのでした。

一気に こんなに伸ばすくらいなら、この前(年末)も 認めてくれれば良かったのに。 そう感じましたが、規則はキソク、決まりはキマリ ということなのでしょうね。

まぁ、過去の話は止めて。 予約をしました。 朝一番です。 8時10分。 毎回、こうしています。 だって。 献血は OK だけど、待つのはイヤ、だから。 朝イチなら、待たされることは無いもんね

ところで。

俺って。 いったい 何歳まで献血するんやろう

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披露宴

2011年11月25日 | 喜働

結婚式の話で思い出した、披露宴ネタを二つ。

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最初は、私が披露宴の司会をしたときの話。

先輩の結婚式。 並居る 『フツーでは無い』 諸先輩を前に、司会進行する私。 披露宴の前に、手紙を預かっていました。 新婦から自分の父親に向けて書かれた手紙。 すぐに一読しました。 美しい字で書かれて、読めない文字は無いことを確認。

宴は進み、お色直しをした新婦が父親に手をひかれて入場してくるシーン。 会場内を進んで行き、途中まで迎えに来た新郎に引き渡すという、あれね。

新婦が父親と進んで行く場面で、預かった手紙を読むわけですね。 司会者である私が。

さて。 スタンバイOKのサインが出ました。 もう一度、手紙を持ち直して。 「皆様、新婦が御尊父さまに手をひかれての御入場です!」

ドアがサッと開き、二人に まばゆいスポットライト! 場内は暗転。 と。 私の手元も真っ暗   これじゃ、手紙が読めへんがな。 見回しても、近くには係のスタッフは居ない ・・・  頭の中は真っ白。 歩んで行く二人。 待つ新郎。

『きっと誰も きちんと聴いていない ハ・ズ・だ』

そう自分に言い聞かせ、文章を創作して しゃべる私。 何を話したのか。 まったく記憶に ございません。 まるで手紙と関係ないことだけは間違いないけど

これ以来、司会者をするときは、どの会場でも手元照明の確認をするようになりました。 そんな必要が無い場合さえ。 やっぱ、トラウマやね。

 

次に、後輩の結婚式で、上述の先輩が司会をした披露宴の話。

この時は、参加者という立場だったので、最初っから呑み続けていました。 一応、司会をしている先輩からは 「時間が余ったら、指名するから、その時は何か話せ」 と言われて おりました。 だけど、社内結婚だし、まぁ、お気楽に呑んでいたのです。

参加者が、ただの宴会と勘違いしているのでは?と思えるような ドンチャン騒ぎの披露宴もオンタイムで進みます。 いよいよ クライマックス (?) ともいうべきスライド上映が開始されました。

新郎と新婦の幼い頃からの写真がスクリーンに大映しされて。 これは面白かった。 皆で大笑い   大盛り上がり。 会場内は真っ暗。

私は、後輩に命じて あちこちのテーブルから お銚子を搔き集めさせ、本格的に呑んでいました。 だって、この後は 両家の御両親に花束贈呈。 で、謝辞。 誰が考えても そういう終わり方。 今日は、私には出番は ありませんでしたね。 呑む、笑う、喰らう。 すっかり ただの酔っぱらい。 正しくは、グダまいてるオヤジ。

抱腹絶倒のスライドが終わり、会場も明るくなって。 ん? 誰かが俺を揺さぶる。 というか、叩いてる。 何やねん? 何で、隣の席の お前が俺を叩くの?

呼ばれていました。 名前を。 司会者が連呼してました。 何か話せと。 いや。 もう、無理。 話すどころか、マイクまで歩けんまへんがな。

容赦ない同僚に押し出され。 ヨロヨロと歩み出し。 マイクに近づき。

・・・ 後のことは、まったく記憶に ございません。 ただ、席に戻っている途中で、司会者の先輩が 「同僚として恥ずかしい 」 そんなことを ホザくのだけが聞き取れました。

今もって、何を話したか、あるいは何をしたのか知りません。 知りたいとも思いません。

神様が、『あまり大したことでなければ、何か一つ望みを叶えてやるよ』 と私に言ってくれたら、きっと この披露宴のビデオを この世から抹消してもらうことを頼むでしょう

そのときの新郎・新婦は、私の恥さらし とは無関係に、楽しく暮らしています。

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結婚式

2011年11月24日 | 子育て

先月、長男が帰省してきたのは、高校野球部友人の結婚式に参列するためでした。

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昨日は、次男が職場の同僚の結婚式に出席しました。 これが、今月だけで2回目の出席です

長男は23歳。 次男は21歳。 これまで、二人とも 結構な回数、結婚式に出席しています。 本当に、世の中は “晩婚化” が進んでいるの? と疑ってしまいます。

しかも、多くが 『出来ちゃった婚』 なので、“少子化” についても、私は かねがね疑問を持っています

少子化の要因の一つが晩婚化と聞いています。 まぁ、これは理屈で考えても、その通りでしょう。 そして、晩婚化 (もしくは未婚化) は、大都市 (関東・関西) において より深刻だと聞きます。 北九州の街で 若くして結婚しても、出生率を上げても、大勢に影響は無いのでしょうね。

最近のニュースで、『親の婚活』 が報じられていました。 自分の子供さんが 結婚に 『真面目に取り組む方向』 で考えるよう、説得する講座を受講する親の姿。 あるいは、親同士の集団合コン (子供抜き) 。

見たところ、参加者 (親) の大半は “団塊の世代” です。 これまで日本の世相を大きく動かしてきた団塊世代が、ここでも主役の様相を示しています。

結婚の小話を一つ。

「金曜日に結婚したカップルは 幸せになれないって、本当の話ですか?」 こう問われた バーナード・ショーは答えました。 「もちろん本当だよ。 金曜日だけが例外のハズが無いだろう!」

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11月22日

2011年11月22日 | 家族

1992年11月22日。 アメリカ合衆国 第35代 大統領、ジョン・F・ケネディが 29年前に暗殺された日。

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私は暗殺の地 ダラスに居て、IAAPA が開催されている 巨大コンベンション・センターで朝から呑んでいました。 いや、正確には、早朝のホテルから ずっと呑んでいるのですが。

巨大センターの随所には、アメリカの 『ご当地グルメ』 みたいなコーナーが あって、食指を動かして止まないのです。

おっ! アリゲーターの肉じゃないか! 即時に注文   今度はカンガルーだ。 これも迷わず食す。 With バドワイザー  

同行した商社マンも かなりのゲテモノ食いなので、二人してとどまる所を知りません。

呑み続けて、いや、仕事を続けて ダラスの夜。

駐在の商社マンに連れられてハイウェイを爆走   時速90マイルで走ること30分。 一行は、『ROYALE』 という店に到着。

絵に描いたような用心棒がガードする入口を通過して テーブル席へ。

ステージの上では、ほとんど裸の女性が踊っていました。 ドリンクを持ってくる女性もトップレス!   もう一度、店名を確認。 『CABALET ROYALE』  そうか、キャバレーだったのか!

トップレスの女性が近寄ってきます。 紐みたいなパンツに$を挟むと、目の前でオッパイを揺らせて踊ってくれます。 いやぁ、それにしてもデカい  さすがはアメリカ  シリコンで膨らませているのでしょうが、圧倒されるサァ。

目の保養をさせて頂きながら、ケネディ暗殺のことなども すっかり忘れ、熱い夜は更けていったのでした。

翌朝。 私たちはフロリダへ   この日から、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートに宿泊して、6日間 ず~っと遊び回った、いや、視察したのでした。

こんな ハチャメチャ出張ではあるのですが、実は、家族に絵葉書を書いていたのです。 それも 毎日 ダラスでも。 フロリダでも。 連日、ホテルのフロントから郵送していました。

そう言えば、まだ三男は生まれる前でしたね。

もっとも、葉書よりも 私の帰国の方が 早かったというオチなのですが

絵葉書は、長期の出張では、いつも出しています。 家族には、あまり喜ばれては いないような感じはしているけどね

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11月21日

2011年11月21日 | 家族

1992年11月21日。 今から ちょうど19年前。

まだ三十代だった私は、ELM通りに立っていました。 

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それはアメリカ出張の第二日目。 今回の目的は、現地のコンベンション・センター (これが、とんでもなく 巨大な施設! ) で開催されている IAAPA でした。 その合間に、観光へと繰り出していたのです。

もっとも。 例の如く、『観光の方が主目的』 としか 言えないような出張でしたけれど・・・

写真撮影を済ませて、『The Sixs Floor』 に入りました。 入館料は4$でした。 よく憶えているでしょう? 実は、アルバムにチケットを貼っているのです。

そう、ここは ダラス。 ケネディ大統領 暗殺の場なのです。

暗殺当時はテキサス州の教科書倉庫で、現在は 資料館となっている建物。 その6階から犯人が狙撃した、とされています。 そのためか、今ではビルディングの名称は 『The Sixs Floor』 となっています。 狙撃地と言われている 6階の一角には、往時を再現して、教科書が積まれていました。

館内の資料を読み進めます。 (もちろん、すべて英文なので、多くは同行者に教えてもらったのですが

すると。 暗殺の日は、1963年11月22日 だったのです。

この日は11月21日。 29年前の一日違い! そんな感慨を持ちつつ、6階から往時のパレードコースを眺めた記憶があります。 殆どの行程を酔っぱらい状態で過ごしていたから、大半の記憶は定かではありませんが。

私たちの年代では、小学生時代に鮮烈な記憶があるのではないでしょうか。

  ・若くて格好良いアメリカの大統領。

  ・大統領になるまでの様々な伝記。

  ・その大統領が暗殺されたという衝撃。

  ・TVで放映された国葬の様子。

じっと眺め続ける私の心は、少しの間だけタイムスリップしていました。

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