マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

解体される母校の校舎 ④

2007年05月31日 | 喜働

日々、校舎は少なくなっていきます。

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 放水して粉塵を抑えながら、解体は進みます。

 

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 L字型校舎も、最後の面に取り掛かり始めました。

 

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 以前、プールと旧校舎(3階建て)があった辺りです。

 

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 本館部分は、すっかり無くなりました。

 

 

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 残っている校舎は、この部分だけです。

 

 

思い出や感傷とは無関係に、解体は どしどし進んでいます。

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経年マンション

2007年05月30日 | マンションの管理

経年のマンションほど、計画的な管理が必要になります。

『NPO全国マンション管理組合連合会』 谷垣  事務局長の資料から引用させていただきます。

前提は、高精度で合理的な修繕計画を持つこと。 その上で、次のような条件が整うことが必要です。

1.管理の合理化 ①継続性・専門性を有する管理組合運営 ②専門委員に対する持続的な研修制度の実施 ③合理的な資金計画の作成と有効なマネジメントの実現

2.管理組合の自立 ①管理組合の主体性を引き出すことのできる専門家の協力 ②組合員が管理がわかるようになり、面白いと感じるようになること

3.良好なコミュニティの形成 ①コミュニティの良いマンションがコミュニケーションが活発で情報が行きわたる ②情報が行きわたることと、良好なコミュニケーションによって、共通認識が形成しやすくなるため、合意形成がスムースに行われる条件が整う

4.円滑な世代交代 若い世代にも魅力のあるマンションとすることによって、ライフスタイルにあったマンションにしていくことが可能 ②世代のバランスがとれることによって、円滑な住み継ぎが可能になり、良好なマンションストックとしていくことが可能になる

これから、マンションは 『二つの老い』 への対策に迫られます。 マンション自体の老朽化と、そして居住者の高齢化です。 60歳以上の世帯主の割合が、九州地区では、37.8% にも達しているのです。

役員のなり手不足による管理組合のパワーダウンという課題に、計画的な管理の重要性を説いたのが、前述の条件です。

コミュニティ形成は、本当に大切な問題だと考えます。 そして、多くの管理会社は、この面について対策を講じようとしていません。 それが今の管理の実態と言えます。

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恥ずかしいこと

2007年05月29日 | PTA

学校や民生委員の式典で北九州市の市歌を聴くと、思い出す 『恥ずかしいこと』 があります。

小学生のときに、5市合併で 『北九州市』 が誕生しました。 それまでは、福岡県八幡市だったのです。

八幡市にも市歌があり、そこに印象的な歌詞がありました。 その歌詞について先輩が話すのも聞いて、記憶に残っていました。

特に地元を離れてから、故郷の話をするのに、その歌詞を引用する機会がありました。

どんな歌詞かって? それはですよ 『煙もうもう 鳩をも焦がす』 どうです? すごいでしょう?

「そんな製鉄の街です」 とか 「今なら、動物愛護協会に訴えられるよね」 などと言って故郷の紹介をしていました。

で。 かなり経ってから、古書で知ったのです。 正しい歌詞を。 あぁ! 何て勘違いしていたんだろう!

『波濤を焦がす』 これが正しい歌詞です。

全然違いますがな。 なんという嘘を付き続けたことでしょう! それまで、何人の人に、鳩を焼く話をしたことでしょう。

幸いと言うべきか、生憎と言うべきか、話した相手は県外の人ばかり。 全国にアホを晒したのです。 自分のアホだけなら本当やからええけど、格調高い八幡市の市歌までアホにしていたのでした。

本当に、『穴を掘ってでも入りたい』 という心境が分かりました。

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自主管理のサポート

2007年05月28日 | マンション管理士

管理会社による旧来型の管理に強い懸念を持つ管理組合で、自主管理に切り替えるところが増えています。

では、『旧来型の管理』 とは何であって、そして懸念する点とは、どのようなことでしょうか?

私が 『旧来型』 と言うのは、管理会社の考え方、プライオリティ(優先順位)の持ち方を指します。

『何よりも、マンション・区分所有者・住民や管理組合の利益と安全を優先する 管理会社』 と 『先ず 自社の利益と論理を優先する 管理会社』 の違いです。

実例を挙げてみます。

管理組合の管理費などの預金口座。 管理会社が通帳を作り、その印鑑は自社の印鑑。 当然のように、通帳も印鑑も管理会社で保有していました。 管理組合の資産である管理費などの保管口座ですよ!

通帳と印鑑を持っていますから、支払いは勝手に行われます。 殆どの場合、管理組合理事会や理事長には事後報告です。 たまに事前に報告があっても口頭です。 理事長が何かにサインや押印することは皆無に近かったのです。

私は、理事長に相談されて決算書類をチェックしました。 請求書・領収書などと決算の内訳は整合しています。 しかし、色々な支出の必要度合いや支払われた金額の適合性・妥当性は、まったく分からないのです。

「これでは、管理会社が自由に管理費を使えますね。 しかも、必要な支出だったか、金額は妥当か、もっと良い方法や発注先が無かったのか、一切わかりませんね。」

「そうでしょう。 支出の疑問を管理会社に聞いても、曖昧な答えなのです。 当時の理事長に聞こうとしましたが、何か疑っているような印象を持たれて、止めました。 理事長は毎年交替するので、尚更、管理会社任せとなっています。」

「先ずは、管理費預金口座から自由に引き出せる体制を変えましょう。」

「どうすれば良いでしょうか?」

「新たに、管理組合名義の預金通帳を作るのです。 組合員への通知と引落し変更の手続が必要です。 私がサポートしますから大丈夫ですよ」

「その通帳は誰が持ちますか?」

「管理委託を続けるのなら管理会社です。 委託を継続しますか?」

「いや。 別の方向で理事メンバーに提案します。 是非、同席をお願いします。」

こうして、理事会で協議し、臨時総会を招集しました。 このケースでは、結果的に管理会社の変更となりました。 より良いマンションの将来に向けて、自主管理も視野に入れています。

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敬神崇祖

2007年05月27日 | 喜働

昨年、亡父の十三回忌の法要を自宅でいとなみ、父の妹弟(叔母叔父)にも来てもらいました。

その際に、「自分が、毎月墓参りをするようになるとは、自身でさえ全く考えもしなかった」 ということを叔母に話しました。

「一家というのはね、誰かがそうなるようになってるわ。」 この叔母の返答に続く言葉が忘れられません。

「順番に、誰かが信心するようになるのよ。」

「信心! それは僕には無かろう。」

「いや、祖先を大切に考えると、信心に向かうのよ。」

父母への感謝、そして毎月の墓参りは、倫理で学んでから実践していることです。 お墓を大切にすることが、『信心』 になるかと問われれば、それは少し違うと答えるでしょう。 倫理は宗教ではありませんから。

しかし、叔母は 『信心だ』 と言います。 祖先を大切にすることは即ち信心になる、と。 信心が宗教に結びつくか、などとという理屈ではないのです。 叔母の直感でしょう。 私は、叔母の直感が、ことごとく当たってきたのを、幼少時から見てきたので、抗い難いところです。

『敬神崇祖』 という言葉が倫理の教えに出てきます。 「親をとおして己の生命の根元にさかのぼれば、そこに神仏にかえる。」 「即宗教に入ることが、真の人となるゆえんは、ここにある」、と。

理屈ではなく、実践を続けていこうと思います。 信心なのか、宗教に向かうのかは、私にも判りません。

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