ゆとり教育に踏み切ったとき、素朴に疑問として感じたこと。
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「導入を決定した人達の子どもは 『ゆとり教育』 を受けるんだろうか? 彼らの子どもは あるいは孫は、公立小学校・中学校に進むのだろうか?」
という疑問。 それは、今でも覚えています。
素朴な疑問が とっても大きな疑問へと変わったのは、平成17年のことでした。
この年の、『皇室典範に関する有識者会議』 。 当時首相だった小泉氏の私的諮問機関として案が議論されました。
同年11月24日付けの 『皇室典範に関する有識者会議 報告書』 では、「制度の成り立ちからその背景となる歴史的事実を冷静に見つめ、多角的に問題の分析をした結果… 」 などと記されています。
ところが、吉川座長は、「私たちは歴史観や国家観で案を作ったのではない」 と発言しました。 歴史観と国家観の無い案とは一体何だろうと思います。
こうした発言もありました。
「神学論争は不毛」 「歴史観は国会で議論すべき問題だ」
乱暴な議論です。 荒っぽいですね。 皇室典範は、この報告書をもとに論議するはずでした。 しかし、男子が誕生したため、報告書は白紙に戻されたようです。
『ゆとり教育』 は、議論が結論まで達し、そして実施されました。
私の中では 『ゆとり教育』 も同様に、『有識者』 みたいな議論だったのではないか、という疑問が大きくなったのです。 そして、その 『有識者』 に、子どもを公立の小・中学校に通わせているような人は入っていないのではないか、という疑念も大きくなりました。 何が 『有識者』 なのか。
そして 『ゆとり教育』 には、民族としての教育観が欠けている、と感じてきました。 ちょうど、『皇室典範に関する有識者会議』 には 民族の歴史観が欠けているように。
公立高校の定員数が 減り続けています。 公立高校の廃止、統合、学級数の減少が進められています。 公立 : 私立の定員比率は、一定の基準を保つよう調整されているからです。
私立高校が戦後の高校教育を担ってきた功績は、とっても大きいのです。 少子化が進んで、公立高校の定員数を見直さなければ、私立高校の生徒数が確保出来なくなり、経営が成り立ちません。
それで、定員数を減らす。 これは判ります。 問題は、学級数を減らすことです。
40名7クラスを40名6クラスにする。 これでは、職員数が減ってしまい、学校の活動が大きく制限されます。 私立高校を守るためなら、35名7クラスにすれば良いのです。
そう話すと、「予算が無い」 という回答が。
私立高校を守ることと予算削減目標とが混同されています。 そもそもの目的は何なのでしょうか。
そもそも、「予算が無い」 って、教育に金を掛けずに何に金を掛けるのか。 教えてもらいたい。 本当に。
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