マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

初心

2007年09月28日 | 喜働

初心に戻る思いをいたしました。

今月の 「職場の教養」 の話からです。

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文中で、ある経営者が言われた言葉です。「働くということは、自分の成績を伸ばしたり実績を作ることが第一ではなく、お客様に 『プレゼント』 を差し上げる意識が大切。」

「この意識を持てば、お客様のニーズが見えてきます。」

「働きの対象は、自分ではなく、あくまでお客様です。 何が求められているかをモノサシに、どのように行動するかを自身に問い続けましょう。」

当たり前のことが書かれています。 しかし、当たり前のだからこそ忘れがちです。

本当に、お客様を中心に考え続けているだろうか?

自分に問い掛け、自省させていただく機会となりました。

いつも、『お客様に プレゼント』 の気持ちを!

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友あり

2007年09月27日 | 喜働

週末の夕刻。 事務所に友人を招いて、ワイワイと楽しく飲みました。

気軽なテーブル・ワイン。 それに合いそうな生チーズとクラッカー。 メロンに生ハム。 腹が減った時のために、握り寿司と牛タタキ。 などなど、低予算で準備しました。

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高校時代など昔の話は、本当に罪がありません。 それでも、忘れかけていた記憶が蘇って、ふと少し胸が締め付けられることも・・・

今宵はブルースを。 クラプトンが歌う、ロバート・ジョンソンのカバーナンバーは思い出話にピッタリ。

徐々に世も更け、海外旅行の体験談に移りました。

体力がある内に、皆で海外に行きたいよなぁ。 でも、希望の行き先はバラバラ。

こらぁ、合わんバイ。 一緒は、無理っちゃ。

欧州を知らない僕たちとアメリカに行ったことの無い君たち。 自然に魅かれる派と都会派。

「取り敢えず、積立て貯金をしていこうぜ」 と、明日を迎える前に忘れてしまいそうな言葉が行き交う、夜の呑み助たち。

明日が近づき、またの実施を約して別れると、週末のネオンが誘惑中。

楽しい時間が、明日からの活力になります。 また、飲ろう!

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きっかけ ④

2007年09月26日 | PTA

小学校でPTAにデビュー。 一年間の委員長を経て役員を拝命しました。

真面目な、あるいはユニークな役員さん・理事さんに囲まれ、本当に楽しい活動を経験させて頂きました。

それが、最後の最後に、たいへんな苦労を経験することになります。

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原因は、又しても転居です。 夏休みに引っ越して、次男と三男はそちらの小学校に転校しましたが、長男は元の小学校に在学していました。 既に6年生でしたし、何と言っても、その秋に修学旅行が控えていたのです。 転校先では、春に修学旅行を終えていました。

「長男から 『俺だけ修学旅行が無かった』 と、ずっと恨まれるかもね」 そう家内と話して、バス通学させることにしたのです。

在学中だから、PTAにも在籍のままです。 残り僅かな任期だな。 そう思っていた矢先のことでした。

「選考委員長になって」 突然の依頼がありました。 「子どもは通学してるけど、違う地域に住んでいるのだから無理だよ」 そう断って、ともかく選考委員会に出ると、教頭からの懇願が待っていました。 あとの委員さんは貝の如く押し黙っています。 選考委員長が決まらないまま、夜は更けていきます。

受けましたよ。 そこまで言われるなら、と。 早く帰宅して呑みたいという気持ちが仇でした。 というか、そこまで読まれて長期戦に持ち込まれ、陥落したのでした。

それから、夜の訪問が始まりました。 離れた地域からの出張は、辛いものがあります。 難航するのは、やはり新しい男性役員の選考。 めぼしい知人は、「父の会」 に加入させてます。 『父の会は、PTAとは違いますよ』 という言葉が自縄自縛となって、いつまでも決まりません。

生活拠点が違うので、地域との接触も薄くなり、いよいよ切羽詰まった状況に追い込まれました。

教頭と二人で、「承諾を貰うまでは帰らん」 とか言って、上がり込んで説得した記憶もあります。 結果的には、適材の人達に受けて頂き、無事に新年度を迎えたのですが、最後に経験した苦労は、忘れられない思い出です。

後日談として、その時に依頼して受けて貰えなかった方が数年後の選考委員長になっていて、再会した折に 「御苦労が判りました!」 と述懐されたことがあります。

こうして、長男の卒業と共に、小学校のPTA活動を終えたのでした。

次には、休む間もなく、転居先での中学校PTAに巻き込まれるのですが、『きっかけ』 は、これで終わります。

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きっかけ ③

2007年09月25日 | PTA

重労働から身を守るために 『父の会』 設立を画策した私は、早速に保護者父親向けの 「呼び掛けの手紙」 を作成したのでした。

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ここで、様々な問題というか軋轢が生まれます。 先ず、PTA理事会の拒否反応。 はっきり、「反対」 とは言われませんが、「父親が集まって、何をするの?」 とか 「中途半端に参加されても困る」 あるいは 「どうせ飲む目的だろう」 などなど。

まぁ、最後の指摘については、「その通り」 としか言いようがありませんでした。 「それが楽しみで参加するのですよ」 と。

次に、学校との話。 当時の校長はAさん。 若手の校長で、進取の気性を持たれた方でしたが、「渡邊さん、本当は何をしたいんね?」 とまで問われました。 さすがに、本音は言えなくて、「PTAは女性社会で、父親の参加は少ない。 今の小学校現場に必要なのは父親の存在。 父親が顔を出すこと、そして子どもの為に一所懸命に働く姿を見せることが大切。」 そう話して、最終的には許可を得ました。

その頃、幼稚園の 『父の会』 で一緒だったYさんの家で飲む機会があり、この話をしたところ、Mさんも同じように 『父の会』 を立ち上げようとしていたのです!

全くの偶然でした。 互いに驚きながらも、刺激を受け合ったのです。

各家庭に呼びかけの手紙を配付したところ、十名近い参加申し込みが集まりました。 ところが。 頼りにしていた、幼稚園 『父の会』 OBからの申込みが皆無なのです。

電話をして聞いてみると、「いやぁ、発起人にあなたの名前があったから、申し込まなくてもメンバーに入れさせられるに違いないと思っていたから」 という返答です。 私も、これには苦笑い。

ともかく、20名強の人数で、小学校 『父の会』 はスタートしました。

先ずは、顔合わせ。 考える間も与えずに、懇親会から 『サマーフェスタ』 そして打ち上げ。 これが私の作戦でした。 そして、その通りに進んだのです。 PTAの母親も、父親パワーにびっくり。 生徒たちも、祭りの面白さが倍増したと喜んだのです。 パワーは後片付けにも発揮されて、会場を提供する小学校も 「終わった後の方が綺麗になっていた」 と驚いたのでした。

肝心の父親は? 一番喜んでいましたね。 子ども達との触れ合いが楽しかったから。 小学校に来るには、きっかけが必要だったのですね。

以来、十余年。 今でも 『父の会』 は存続しています。 同窓会に出席した家内は、「今、父の会というのに参加している」 と話す同窓生に、「あ、それは旦那が立ち上げたのよ」 と応えて驚かれたと言ってました。

私の呼び掛け文書は 「PTAのサポートはしますが、PTAではありません」 と明記しました。 それが故に参加の敷居が低いのです。 一時期は、「父親委員会にしましょう」 というPTAからの要請もあったのですが、「少なくとも、私の在籍中は止めて」 と御願いしてました。 呼び掛けが嘘になってしまいますからね。

その後は、父の会からPTAに誘われる人も多くて、PTA予備軍のようになったとも聞きますが、あくまでもサポート部隊というのが私の気持ちです。

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きっかけ ②

2007年09月24日 | PTA

小学校でPTAデビューした私にとって、そこは予想もしなかった世界でした。

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幼稚園の 『父の会』 と違って、組織があります。 役割が決められていて、当然に責任が発生します。

「出来るときに、出来る人が、出来ることを」 などと言っていたのとは全く異なる世界です。

「これは、えらいことになったなぁ…」 正直、続ける自信も失ったのです。 PTAの打診をされたときに、家内からは、「どうせ出来ないから断りなさい」 と忠告されていました。 断るつもりだったのが、前述の経緯で受けてしまったのです。

それでも家内は、「今からでも断りなさい」 と言っていたのですから、今になって、「辞めます」 とは、家内の手前もあって言えないのは当然でした。

また、幼稚園の 『父の会』 で強い影響を受けていた Yさん・Mさんが揃って別の小学校でPTA役員を始めたのも、大きな刺激になっていたのです。

最初の担当は 『総務委員長』 。 十数名の委員さんは全員が女性でした。 委員会の役割に 『ベルマーク収集活動』 が含まれており、その講習会が小倉で開催されたのです。 副委員長さんと一緒に行ったのですが、これが男性の出席者は私だけ。 この状態で、副委員長さんからは、さすがに 「私が聴きますから、帰られてください」 と言って頂いたのでした。

委員会では、役割を果たすために、何かと集まりが必要です。 委員さんは、気遣ってくれて、私の都合に合わせて委員会日程を決めてくれます。 それだけに、他の用事が入っても、委員会は欠席出来ないのです。

一年間の委員長は、しんどかったけど楽しい思い出です。 これ以降、委員長を担当することは無かったのですが、委員長時代に委員さんと活動したのが一番楽しかったように思えます。

委員会以外にも、様々な行事の手伝いが続きます。 何しろ、男性の絶対数が少ないので、貴著な労働力なのです。

PTAの会長は、Sさんという女性の方でした。 Sさんは会長4年目で、その後も2年間、都合6年間会長をされた方です。 私はPTAの何たるかを、このS会長から厳しく(たまに優しく)叩き込まれることになったのです。

理事会を重ねる内に気付いた事がありました。 それは、当時のPTAは完全な女性社会だということです。 女性と男性には、それぞれの良い点と欠点があります。 PTAのような組織でどちらかに偏るのは問題があるなぁ、というのが私の感想でした。

それでも、理事会には4人の男性が居たのです。 出席率が低く、居ないも同然の人も含めてですが、ともかく私を入れて5名でした。

当時、夏の思い出に、と 『サマーフェスタ』 というPTA主催の祭りを開催していましたが、その準備は、ともかく体力勝負でした。 テント張り、椅子・机のセット(門司まで借りに行っていたのです)、様々な備品の運搬とセッティング、そして当日の運営と後片付け…

男性が少ない中で、これでもかと働かされましたね。

そして! 翌年には、理事から男性が二人減ったのです!

「これは出来んバイ…」 正直な思いでした。

そこで思い出したのが、幼稚園の 『父の会』 メンバー。 「あのパワーを小学校に持ち込めば、何でも出来るぞ」

幸いなことに小学校校区に幼稚園があるので、父の会のOBも多いのです。 しかし、問題があります。 自由な活動に慣れた彼らは、PTAの活動には拒否反応があるのです。 それは私も同じでしたから、良く判ります。 彼らは、PTA選考に挙がっても、決して引き受けないのです。

「彼らを巻き込むには、どうしたら良いだろうか?」

ふと思ったのは、「この小学校で『父の会』を立ち上げてみよう」 ということです。

そして、『父の会』 設立に動き始めたのでした。

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