マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

耽溺する

2007年07月31日 | 喜働

次の文章は、日本語の用法として正しくない表現かも知れませんが。

先日、私は 『書物に耽溺』 してみました。

久々に、一日中、本を読むだけに時間を費やしたのです。

多分、昨年のGWに入院したとき以来となる時間の過ごし方でした。 社会人になって、結婚して、ましてや子どもが生まれてからは、めっきりと減ってしまった時間の過ごし方です。

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ハードカバーばかり5冊を読み終えました。 多読と精読。 どちらがどうとは言えませんが、今回は爽快な一日だったと感じました。 たまにしか出来ない時間の使い方をしたからでしょう。

自分の感覚としては 『耽溺』 というより、もっと贅沢で猥雑とさえ感じるような時間だったのですが、それをどう表現すれば良いのかを思い出せません。 司馬遼太郎氏の小説の中で見た言葉が近かったような気がします。 それは、『花神』 の中だったような…

でも、調べ出したら多分、全体を読み返してしまうでしょう。 更に、見当たらなければ、別の作品も読み出すような気がします。 その言葉は忘れたままにしておこう。 そう決心したところです。

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天才数学者

2007年07月30日 | 子育て

遅ればせながら、小川陽子さんの 『博士の愛した数式』 を読む機会を得ました。 読み始めたら、あまりの面白さに、一気に読了してしまいました。

以前に、数学者(藤原教授だったかも知れませんが)のエッセーで、小川さんが取材に来たエピソードを読んだことがあります。 なるほど、専門家に取材されただけあって、小説の中の数字や数式は煌めいているような印象でした。

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そして、翌日の新聞では、インドの天才数学者が特集されていました。 1910年代に活躍した、ラマヌジャンという数学者です。

ほとんど独学で、三千以上の新公式を残して1920年に32歳で夭逝しました。 『インドの魔術師』 と言われてきたそうです。 新聞記事には、『擬テータ関数』 の数式例が記載されていましたが、もちろん、ちんぷんかんぷん。

お茶の水女子大学 数学教授の藤原正彦さんのコメントが紹介されていました。 「アインシュタインが居なくても相対性理論は発見されただろうが、ラマヌジャンが居なければ彼の公式の大半は今も見つかっていないだろう」 と。

その公式の難解さについて、別の数学者は、「地球に2分間だけ立ち寄った宇宙人が、フンコロガシとヘビに出会い、その情報だけで地球上の全生物を考えるようなもの」 と表現していました。

面白いですね。 数学の時間に、こんな話を聞くことはありませんでした。 もし、聞いていたなら、少しは数学への取り組みが変わったかも?

特に物理は、教科書を開くのさえ嫌でした。 でも、大人になってから、カール・セーガンの 『コスモス』 で様々な物理現象を見たときに、「こう習っていたら、分かったよなぁ…」 と感じたのを覚えています。

今、興味の持てる教わり方をしているのか、ちょっと子どもに聞いてみたいと思います。

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朝礼を活かす

2007年07月29日 | 喜働

朝礼指導員研修を受講しました。 今回が7回目。 無事に修了した私たちは、朝礼指導員の第7期生となります。

実際に動作を繰り返して指導を受け、また、指導する訓練も行いました。 実践を重んじる倫理法人会らしい、実務的な研修でした。

研修の最後に、指導員としての心構えを教えられました。

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① 『この朝礼指導をすることで、必ず、その会社が繁栄する』という信念を持っていること。

② 妥協の無い自分をつくるチャンスであると考えること。

③ 指示は明確に行うこと。

④ 当該企業の繁栄を願って指導する。

⑤ 無気力な社員ほど純情(すなお)である。

⑥ 嫌われても、言うべきは言う。

以前、㈱ビッグロードの金川社長から学んだ、『守・破・離』 。 「守る」は「真似る」である、ということを再度教えられました。 が、まだ良く理解できていません。 理解を深めて、また、改めて書きたいと思います。

また、研修を通じて、多くの倫友(受講生の方々)と知己が結べました。 筑紫法人会の中村さんの姪御さんが経営されるスペイン料理店で、講師の松枝さんを囲んだ懇親会を行いました。 すると。 経営者の佐々木さんは、なんと黒崎小学校、黒崎中学校の出身! しかも、私の一つ先輩でした。 いやぁ、奇遇、奇遇。

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子どもと学校

2007年07月28日 | 子育て

1992年2月20日発行の岩波新書です。 栞のかわりに挟んだレシートの日付は、同年4月20日。 今から15年前に書かれた課題が、今日でも色褪せないことに、驚きというか呆れる思いさえいたします。

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同時に、著者の河合隼雄先生の慧眼に敬服する思いを持ちます。

教育とは何か? 「教」と「育」にすると、「育」と言う字は、育てる、育つ、と他動詞にも自動詞にも用いられることを指摘しています。 「教える」には「育てる」ということが結びつきます。 「育つ」となると、本人の自発的な働きとなり、教育の考慮外であると考えられがちと指摘しています。

しかし、教育の基本には、教育される側に潜在している「育つ」力を無視することは出来ないのではないか。 従来は、教育をする側の視点から発言されたので、「育つ」はおろか、「育てる」ことの方さえ、軽視される傾向だったのでは、と警鐘を鳴らしておられます。

子どもが自ら「育つ」ことを協調し過ぎると、放任になりかねません。 特に家庭教育に言えることです。 子どもを尊重することが弁解になってしまい、結局は親が責任回避を続けて破局すると書かれておられます。

この本の中で、「何から取り上げてよいかと思うくらい、現代における教育の課題は山積みしている…」と書かれています。 15年前と今と比較して、何かが変わったのか? 益々ひどくなったのではないでしょうか?

今の大人の姿を見て。「大人には、なりたくない」と考える子どもたち。 それなら、今の教育問題は、大人の責任でしょうか?

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苦難・苦難

2007年07月27日 | 喜働

年齢を重ねていくと、何か悟っていくのかと思っていましたが、どうも、そういうことにはならないようです。 私だけじゃなくて、そういう人は周りにも沢山居ます。

いや、年々、苦しいことだけが増えている、という人さえ居ます。

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苦しいこと、苦難をどう受け止め向き合ったかが大切だと教わっています。 苦難がそれだけで終わってしまっては、何とも勿体ない。 苦難こそが幸福への扉だと考えて、今の自分の生活のあやまちを正すことをすべきです。

落語家の古今亭志ん生さんが言ったことです。 「ものごとてえものは、うれしい前には きまって心配ごとや悲しいことがあるんです。」

あるいは、諦めずに継続することが成功をもたらします。 福岡倫理法人会 副会長の浜本さん。 「同期で21人居たアナウンサー志望者で、私だけが現役で残っています。何故でしょうか?」

そう。 止めなかったからです。 続けたからなのです。

松下幸之助さんが言われたことです。 「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる。」

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