マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

大牟田

2010年08月29日 | 喜働

以前、福岡市の会社に勤務していた頃の話です。

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北九州市の黒崎駅からJR(当時は国鉄!)で通勤していました。

部下の(と言っても二人だけでしたが) Fさん という 女性は、大牟田市から 通っていました。 それも、住んでいる S町は、少し歩けば 熊本県との県境という所ですから、福岡県の南西の端ですね。 一方の私は、福岡県の北東の街から通っているわけです。

毎日、机を並べて 十時間。 一緒に居る時間が、家内より遙かに長いがな。

「大牟田市と北九州市やけねぇ」 と 私。

「少し前の時代なら、一生会うことも無かったやろうねぇ」

「それって、いつの時代ですか?」

「いつって、江戸時代。 いや、明治時代かな…」

数々の思い出から、印象深い逸話を一つ。

「私の兄は、けっこう 美青年なんですよ。 それで、私が、兄と同じ高校に入学したときの話なんだけど…」 と彼女。

「兄を良く知っている先生が 私の担任になって、入学式前に 私と初めて会ったとき、『Fの妹だから、かなり期待してたんだよなぁ』 って、ガッカリしながら 言ったんですよ」

「なるほど」

「そうしたら、隣に居た母親が すかさず、『この子は父親似ですから』 って言うんですよ。 ひどい母親でしょう! どう思います?」

「いや、とっても正直で良いと思うよ。 それより、お母さんに会わせてよ」

 

どうして大牟田のことを書いたかと言いますと。

来月の16日に、大牟田市倫理法人会に お招きいただき、MSでスピーチすることになったからです。 それで、思い出すままに 大牟田から連想する思い出を書いてみました。

Fさんは、東京に転勤して バリバリ頑張っています。

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改選の年

2010年08月27日 | 民生委員

今年は 民生委員の一斉改選の年です。

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三年が私たちの任期。 だから三年毎に改選され、任命されます。 自動継続ではありません。 毎回 「辞めます」 と言っています。 ものの見事に無視されていますが…

前回の委嘱状は 平成19年12月1日。 当時の厚生労働大臣は、桝添 要一さんでした。 今度は、長妻 厚生労働大臣の委嘱状で拝命するのでしょうか。 それとも?

あれからの政局を振り返れば…

まぁ、そうした趣旨のブログでは ありませんから、振り返りませんけどね(笑)

個人的な想像ですが、民生委員の仕事ぶりは 考課されていると思います。 委員を考課した結果、続けさせても問題無し、となって 継続任命されているのではないか、と。 根拠はなく、恐らく ですが、そういうふうに感じています。

それとも。 民生委員になる人が慢性的に不足していると聞きますから、強く辞退しない限りは継続させているのでしょうか?

閑話休題。

私の属している地域では、今回は 2名の方が 委員を退任されます。 その送別を兼ねて、10月に 全員で 一泊旅行に行きます。 三年ごとの恒例になっています。 前回は、長崎市と伊王島に。 今回は、広島市と宮島と聞いています。

旅行の話は、終了後に。

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強運

2010年08月26日 | 喜働

強運だと喜ぶこともあれば、運が悪いと嘆くことも。

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『強運』 って、持って生まれたものでしょうか?

ワタミ会長の渡邊美樹氏が著書(『強運になる4つの方程式』)で、次のように述べられています。

「強運に恵まれている人は、強運にふさわしい行動をしている。 それは以下の4つの方程式に則って行動している」

第一、神様が応援したくなるような努力。

第二、原理原則を外さない。

第三、明るくて人との出会いがある。

第四、心に一点の曇りもない。

こりゃぁ、神様じゃなくとも 応援しますよね。 さすが、経験に裏付けられた言葉と思います。

それでも 敢えて。 もう一つだけ 付け加えてみたいと感じるのです。

それは、「感謝する心を持つ」 こと。

親への感謝。 恩師への感謝。 仲間への感謝。 家族への感謝。 社会への感謝。 働けることへの感謝。 生かされていることへの感謝。

たとえ、前日にケンカをしようとも、今日の私に してくださった このことに対して(些細なことであろうとも)素直に率直に感謝する。 そして、言葉に出して 「ありがとう!」 と言うこと。

『強運』 について思うと、わたしは 「感謝する心」 がとっても大切なのではないかと 考えます。

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友のこと (終)

2010年08月24日 | 喜働

K中学校 3年1組の同級生には早世者が多い。

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「ちょっと 呪われているのかも」 という言葉が、冗談には聞こえない。

誰よりも元気だった T.I が 死んだのは14年前になる。 暫くして彼の死を知り、一緒に線香をあげた S.M が逝ってから、十年を経過した。

二人ともB型かC型の肝炎を患い、他の病気を併発したのが死因だった。

肝炎は (嫌だけど) 俺たちには 馴染みある病名だ。 三十代まで、同級生が病気で入院したと聞けば、殆どが肝炎だった。 それも、同じ K小学校から進学した連中に偏っていた。 同級生のキャリアから感染していったのだろう。 予防接種でも注射針を替えないような時代に育ったから。 当時の医療保健の知識では仕方無かったのかと思う。

中学時代の大親友だった S.M が逝去したということは 彼の兄さんから聞いた。 長く入退院を繰り返していた 彼の携帯電話から架かってきた電話が兄さんからだったときに 観念した。 涙が止まらず、ボロボロ泣きながら彷徨った。

その五年後に高校時代の一番の親友 H.M が逝った。 このときは、入院中の 彼から連絡を受けていたから、まさしく青天の霹靂だった。 やはり 彼の携帯電話を使って 奥さんから電話があった。

中学校の大親友が逝き、五年後に高校の一番の親友が亡くなったとき。 悲しみが落ち着くと、茫然とした。 掛け替えのないものを無くしてしまった。 二度と青春時代が戻らないように、当時の親友は二度と出来ない。 暗く深い底なしの穴を見ているようだった。 君たちのことは、また書く機会があるだろう。

 

お前と決定的に異なるのは、二人とも死にたくなかったこと。 生きていたいと望むのに 生き続けることを許されなかったこと。

健康な身体と優れた頭脳を持つ お前が死ぬ理由など何もなかった。

死ぬだけの勇気があれば、何だって出来たに違いない。

ただ、俺の この言葉は お前には届かなかった。

そのことを、届かなかったことを、俺は 抱き続けていくのだろう。 これで お前の追憶を 終える。

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友のこと ④

2010年08月21日 | 喜働

京都 東山五条にある、浄土真宗 大谷本廟。

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昨年の七月二十九日に訪れたことは 当時のブログに書いた。

お前の奥さんからは、何日 経っても墓の件も何も音沙汰が無かった。

電話番号も知らないし、マンションに行っても不在だし。 ドアにメモを挟んで帰るが、返事も無い。

ふと予感がして。 マンションの近くにあると聞いていた実家を捜しに行ってみた。 おおよその方向しか判らないけど、軒並み表札を見て歩いて。 奥さんの旧姓はお前と同じ。 つまり同姓同士で結婚したもんな。

あった。

呼び鈴を押す。 義母さんが出る。 やはり、こちらで生活していると聞く。 自殺したマンションはイヤなのかな? 必ず連絡を欲しいとメモを渡す。

夜、電話がある。 「お寺に頼んでいます」 「はぁ?」 「実家では お墓に入れないと言いますし、私は 他人になったので お寺に頼みました」

「その お寺って?」

寺の名前を告げられて電話は終わる。 若松にある お寺らしい。

実の兄は お前を 母親の墓に入れないと言う。 奥さんは他人だと言う。 お前の骨は行き場が無いのか…

翌日、寺を訪れる。 ご住職は不在。 「昨日から京都に行っています。 あぁ、あの遺骨ですか。 うちの寺とはまったく縁(ゆかり)が無いんだけど、葬儀社の人から無理やり頼まれて(!)預かっていました。 ちょうど、京都に行くようになっていたので、向こうに納めましたよ」

「納めるって、どこに?」

「大谷本廟の明著堂です」

今日は七月三十日。 だから、納骨されたのは、七月二十九日。

今さら言っても詮ないが、もう少し早く お寺を教えてもらっておけば、お前の遺骨に手を合わせることも出来たのにな…

それにしても。

お前は この世に存在したのか? 本当に居たのか? そう思ってしまうほど、哀しい扱いじゃないか。

死して後、誰からも見放され まるで品物の如く、それも不用な品物の如く扱われて。

帰宅して、奥さんに手紙を書いた。 明著堂に納められたことを記し、明著堂の場所を示す地図も付けた。 あなた(奥さん)は他人になっても、お嬢ちゃんにとっては ずっと父親なのだから。 いつか、父親を慕う日が来るに違いないから 必ず教えて欲しい、と。

そうだ。

お前が生きた証には、お前の娘が居る。 お前の娘の中に お前が生き続けることを願って この手紙を出す。 だけど。

お前の娘に届くかどうか。 お前の娘がどうするか。 それは 俺の手の届かないことなのだよ。

これで。

これで、お前のことを終える。 最後に お前の名前を書こうかと迷っている。 お前の生きた証になれば、と思って。 だけど、止める。 そんなものは、お前の生の証じゃないから。

俺は いつまで明著堂を訪れるのだろう。 俺は いつまでお前の命日を思い出すのだろう。 俺は あと何人の友の死を見届けるのだろう。

お前より儚い死が無いことを切に願う。 お前には悪いが、俺は それほど強くないんだよ。 こんな儚さは お前だけで、もう充分なんだよ。

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