月見の丘にたつ、はぎみ(萩見)の寺
、「経王寺」。
このあたりは、
上野せんそう(戦争)
で 官軍とたたかった、「彰義隊」の
敗走ろ(路)にあたり、
しょうぎたい(彰義隊)をかくまった、きょうおうじ(経王寺)の山門には、
官軍がうった、てっぽう玉のあとがのこっています
それを、直しもしないでのこしておき、
さらに、おはか(墓)まで・たててあげるのは、
ばくふ(幕府)のためにたたかった、「幕臣の死」を
いたむ、
江戸っ子のきょうき(侠気)の
なせるわざ
(←羽二重団子の店にも、彰義隊士の遺物が大切に保管されてました)
かながき・ろぶん(仮名垣魯文)
が、「安愚楽鍋
」で、
文明開化を コケにしたのも、
幸田ろはん(露伴)が、
「五重塔」で
江戸っ子の心いき(意気)を
うたいあげたのも、
おかくら(岡倉)天心が、
「日本美術院」を
ここからスタートさせたのも、
かれらが、この辺りの住人だったからなのかな・・
江戸の色こ(濃)い この町で、
クリンたちは 気づきました。
(つづく)