(今年はけっこう長く 咲いていたけど・・
さくらも、もうそろそろ・おわりかあ。。)
「 散る花は かずかぎりなし ことごとく
光をひきて
谷にゆくかも 」
(上田三四二)
このたんか(短歌)は、朝日しんぶん(新聞)の
一面コラムで 知った歌です。
先日亡くなった、しじん(詩人)の、おおおかまこと(大岡信)さんが、
朝刊に ながらく
れんさい(連載)していた、
「折々のうた」。
たんか(短歌)に俳句、東西のし(詩)や ドドイツ(都々逸)など
いろいろを、
毎日ひとつ・とりあげて
ワンポイントかいせつ(解説)する
名物コラムは、
「こんなのあったんだ、へえ~~」
と
かんしん(感心)させ、
お気に入りの歌や句を、切り抜き保存する、
うちのチットみたいな
読者を、
たくさん生み出しました
「 花衣 ぬぐやまつはる 紐いろいろ 」
このコラムによって、
杉田久女や、
「 この庭の 石を見る間も 恋ごころ 」
日野草城や、
「 妾(せう)二人 刃もののように 美しき 」
むたまがわ(江戸川柳集「武玉川」)
を知った、
と
うちのチットは
かんしゃ(感謝)しきり
(以下、切り抜きより、ピックアップ)
「 かかあ天下と 威張っちゃいるが たかが家来は 俺一人 」 (佐藤紫蘭)
「 戦争の おかげで貴様ら 湾生も 兵になれると ぬかす配属将校 」 (呉建堂)
「 習いたる 日本語どれも ていねいで 馬鹿にされると マイケルこぼす 」 (鵜沢梢)
「 学歴も 教養もなべて 捨て去りぬ 噂話に 興じる女は 」 (田島涼子)
「 汝(な)が兄に あまた貰ひし 恋文は わが宝ぞと 微笑む老女 」 (島仲芳子)
チットいわく、
「『 父逝きて 父を知りたる 夏座敷 』なんてさ、
最近これ詠んだ人と
同じことしてるから
つきささる
当時も、近親者亡くして
つい泣いた人、
いたんじゃないかなあ。。
それと、
人物としては、知っていたけど、光厳院の歌
『 花も見ず
鳥をもきかぬ 雨のうちの
こよひの心 何ぞ春なる 』
・・・
これなんて
大岡さんがとりあげてくれなかったら、
南北朝動乱期の天皇が
こんな心ざまを示した、なんて、
思い至るすべがなかった。。
この歌で私、
御所の奥にいる光厳院の顔が見えた気がして、
ハッとしたのおぼえてるよ・・。」
大岡さんのせんく(選句)は、センスがよくて はば広く、
紹介するときに、深いひょう(評)がつけられていたのが
大きなみりょく(魅力)だったらしい
毎朝、多くの人に たのしみにされる・こまど(小窓)、
(クリンのぶろぐも、
そういうの、目ざしていければいいなあ~)
って
今回、おもいました。