さて、クリンたちが今回・さんさく(散策)するのは、「JR大森駅」
周辺の、
このエリアです (東京都大田区大森と、品川区大井)
おおもり(大森)といえば、学校の社会で かならず・習う、
原始時代の
「大森貝塚」
おおもり(大森)は、駅のホームにも、
駅前の広場にも、
ここが、全国2500の貝塚の ちょう(頂)点にたつ、
キング・オブ・貝塚の、所在地である
と、オブジェで、知らしめています
かいづか(貝塚)とは、
原始時代の人々がすてた・貝がらが、つもってできた
白い・こやま(小山)
昔の日本人は、巨人が 長い手をのばし、浜辺から貝を
つかみあげ、
食べまくった・あげく、一ヶ所にすてて、貝塚ができた、
と
考えていた
みたいですが、
「そうじゃなくて、集落遺跡の一部なんだよ」と、おしえてくれたのが、
アメリカ人の、
「モース」です
明治初期に 日本に来て、きしゃ(汽車)の中から「貝塚」を
見つけた、
どうぶつ(動物)学者の、 エドワード=シルベスター=モース
東大の先生になった彼は、このあたり・いったい(一帯)を
ほりまくり、
貝や
土器や、
石器などを
見つけました
海に近い・品川~大森は、どこをほっても、「貝殻層」が
出てくる
そうですが、
品川区と、大田区は、「考古学的名誉」をあらそい、
「うちが、大森貝塚の本家だ」と、どうも、ゆずらないみたいです・・
だから
「大森駅」から、歩いて5分くらいのところに、
「ここが大森貝塚です」と、アピールする、
2つのきねんひ(記念碑)が、たってたりします
ひとつが、こちら 大田区山王の「NTTデータセンター」しきち(敷地)内に
たつ、
たてなが・きねんひ(縦長記念碑)
←「大森貝墟(かいきょ)」って 書いてあります
そして
こちらが2つ目の、 品川区大井の、よこながきねんひ(横長記念碑)
(「大森貝塚」って、書いてあります)
品川区は、きねんひ(記念碑)周辺の土地を 買い上げ、
「大森貝塚遺跡庭園」を、つくりあげ、
本家取りを、こころみました
「モースが掘った場所は、品川区の大井村だったのに、調査メンバーが
みんな勘違いして、
『大森貝塚』で、定着させてしまった
こっちが本家で、本当は『大井貝塚』のはずなのに~~~」
と、いうのが、
クリンたちがすいそく(推測)する、「品川区の本音」。。
「江戸前海苔でも、品川海苔より大森海苔のほうが
知名度あるしね・・。
大森貝塚の現地、という栄誉は、うばわれたくないのかもね、
品川区・・。」
な~んて、
クリンたち、りっぱ(立派)なこうえん(公園)の
前で、
しま・おくそく(揣摩臆測)
を
くり広げたのです
しかしながら・・・
大森駅のホームや、
駅前広場のオブジェ のみならず、
ふと・足元を見れば、地面にも、まきがい(巻貝)もようを
あしらって
じい(示威)する、
大田区の 地いき(域)一丸となった・がんばりは、
モース死後90年たった
今も
けいぞく(継続)されており、
「大田区のお土産・100選」に してい(指定)されている、
「大森貝塚マドレーヌ」を 見つけてしまった
ときには、
さすがに
公平なクリンも、
(大田区を か(勝)たせたい・・)と 思って
しまいました。
(ゴメン、品川区)
(その3、「大森貝塚マドレーヌ」に、つづく)