気仙沼の親戚の安否を確認。みんな無事であった。
あの凄まじい津波に飲まれる気仙沼港。
子供の頃の夏休みに何度も行った覚えがある。おじいちゃんに港の食堂に連れていかれ、ウニ丼を食べたが、子供の僕には美味しいとは思えなかった。
その場所が波に飲まれてゆく。
おじいちゃんが亡くなる直前に駆け付けた折りには、叔父さんには色々と良くしてもらった。無理を言っておじいちゃんの家に一泊させてもらい、翌日は叔父さんの家に世話になった。ウニ丼があんなに美味しいものだと初めて知った。
あの時におじいちゃんとの思い出を叔父と語りながら歩いた気仙沼港を僕は忘れないだろう。
津波が引いた後に、さらに追い撃ちをかけるように夜から起こった火事。
171にもメッセージはない。
インターネットで探しても、確かな情報はない。
テレビに写る被災者の中に親戚たちを探しつつ、心のどこかでは少し諦めてしまっていた。
こっちにいる親戚一同で行方を追った末、ようやくメールがつながり、知り合いの家に避難してることを確認。
まだ身元も判明していない犠牲者が多数いる。
素直に喜びづらいが、安心したと言うしかない。
とにかく被災地の方々には頑張って頂きたい。
21時過ぎにタバコを買いに近くのコンビニへ行ってみたが、食べ物が完全に消滅しててビックリした。
あるのはカップラーメンくらい。
お湯がないとダメだもんな。
帰れないのだろうか、5人くらいの女子高生が、買い物カゴを下げて食べられそうなモノを物色している。
心なしか、少し楽しそうだ。これが若さか。
事務所に戻って来て、再びテレビに食いつく。
銀座線と半蔵門線の一部が運転を再開したとニュースキャスターは伝えた。
再開したばかりの電車に殺到する人々を想像する。
実家に電話してみるが、依然として繋がらない。
2時過ぎに眠りにつくが、テレビはNHKにして付けっぱなし。
4時くらいから立て続けに緊急地震速報の不吉なコール音がテレビから鳴り響く。
長野、新潟と続けて震度6。
やはりあれだけの規模で揺れれば、他のプレートにも影響してしまうのだろうか。
今回だけではない。チリのM8、8以降の世界各地の大地震は、全て連鎖的なものだと個人的に思う。
長い夜だ。
まだ暖の取れる事務所に居られるだけで幸せな方なのだろう。
人類の技術は目まぐるしく進化したと言われるが、こうしてみると何も進化してないような気さえする。
とにかくまだまだ余震はもちろん、全然違う震源地の大きい地震が来る可能性があるので、防災対策はしっかりしておいた方が良いかも知れません。