閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

鬱金香

2013-04-11 11:20:39 | 日々


日をあびて気球のようなチューリップ。
漢字で書くとむずかしい名前。

中国語では郁金香と書くそうで、どこから鬱金(ウコン)が出て来たのか不明。
縦書きにしてみると、頭の重たい雰囲気はなんとなく伝わってくるけれど。

鬱の字の画数が多いのは、草木が盛んに繁った様子をあらわしているからだ。
繁りすぎると窮屈で風通しも見通しも悪く、憂鬱にもなるというもの。
どこか広いところに植え替えてあげればすっきりするでしょう。


今日の「きれい」を愛でる。
明日はどんな「きれい」をみつけられるか、たのしみ。
そんな小さい日々をつないで、つないで、長くしていこう。

 




わたしが大切にしているもののひとつに、
児童文学作家の大先輩、大石真さんの言葉がある。

「幼年童話は根本的に人生の幸せを凝縮したようなもので、
読むととてもあたたかく楽しくなる・・そういうものだと思うのね。
おとなが読んでもそう感じるようなものでありたいですね」

30年以上前、ある雑誌の対談の中で言われたこと。

「せめて童話だけでもそういうことをやらなければ。
あまりにも索漠とした世の中だし、新聞に出てることは
ろくなことないでしょう。これでは(子どもが)まいっちゃうんですよ」

そして、童話は一種の逃避の文学ではないか?という
少々(わざと)意地悪な問いに対し、毅然とこうおっしゃった。

「逃避じゃなくて、積極的な肯定ですよ、
人間はこんな美しいことも考えられるんだという・・」。

当時、わたしは大学出て2年目くらいで、
夢のような泡のようなものしか書かない自分のことを
きわめて非実用的で逃避的な人間だと思っていたので、
将来への希望などもあまり持てずにいたのだけれど、
この言葉に出会って、にわかに目の前の霧が晴れ、
しっかりした道が先へ続いているのが見えた気がした。
「そうか、いいんだ!」と思ったのだ。
「よーし、一生、それでいっちゃえ」と。
以来、ずっと、忘れたことがない。

大石さんに直接お話をうかがったことは一度もなく、正直なところ、
代表作といわれる本さえあまり読んでいないので申し訳ないが、
これだけの理由で勝手に心の中で「お師匠」と呼ばせていただいている。
大事なことを学べる場所は学校だけとは限らない。
いたるところ人生の師あり。
この春、新たなスタートをきったすべての人たちに、
よき師とのめぐり会いがありますように。




本日の「いいね!」

7分間でわかる音楽の歴史

音夢鈴さんち経由でシェア。
ほ?!と目をぱちくりしているうちに現代まで来ちゃいます。

歴史って、年表で見れば一列に並んで川の流れのようだけれど、
実際には乱積みの石垣のようにどんどんと積み上がってもくるのだな・・
というのは、もちろん、音楽だけの話ではなく。
積めば積むほど上のほうの状態は複雑かつ不安定になってくるので、
ときどき下のほうの「盤石の地層」を確認に戻りたくなるのも無理はない。

(・・で? 何の話につながるのか、っていうのは、また次の機会に)

 

コメント
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