きっかけは可愛かったから・・

中国語を始めたきっかけは発音が可愛かったから。あれから33年。寄り道もしたけどやっぱり中国語に戻ってくるんだよね

東京大学

2018年05月31日 | 通訳ガイド(関東)

気が付けば三か月もほったらかし状態でした

3月下旬から5月下旬まで確かに忙しかったからな~

仕事だけじゃなくプライベートも

春ってなにかと忙しい時期ですよね~

6月は月初と、月末に日帰りの仕事が入っていますが、それ以外は全く仕事の依頼がない状態です。

ようやくゆっくりできる~と思うものの、依頼がなければないですっごい焦るんですけどね(我が家の経済的に・・

 

さて、今日は東大のお話

ガイドのお仕事で東大って行かれたことありますか?

私は少し前に初めて関東のお仕事をさせてもらったんですね。

その時に東京大学の見学が入っていたのです。

というのも、学生の教育旅行で、将来東京大学を目指す子供たちがたくさんいるので、見学が日程に入っていたんです。

旅行会社の担当者は予約とかは必要ないので、自由に見学できますので、とおっしゃっておられました。

ただ、ツアーの旗などをもってがっつり団体で周るのはあまり良くないとのことでした。

 

そして、当日。バス駐車場はもちろんありませんので、まず、東京大学の正門付近でバスをおり、バスは回送です。

私たちは正門から入り、銀杏並木の道(ここで、合格発表が行われるそうです)をまっすぐ進み、安田講堂の手前まで行きます。

そこから法文二号館の重厚な建物のを横切り(渡り廊下にみたいになってます)三四郎池のほうへ向かい、赤門まで戻ってくるという30分もかからないコースで見学をしました。

 

ほかのバスもそのようにしていたようです。

韓国人グループを見かけましたが、彼らは赤門から入っていました。

 

一つ問題なのは、自由に見学できると聞かされていたのですが、守衛さんに厳しく注意をうけたことです。

どうやら守衛さんによるようですが、私がたまたま「見学させていただきます」と正門にいた守衛さんは、「観光目的で来てもらっては困る!」「観光目的ではお断りする」の一点張り。私は観光というよりは将来この学校の子供たちが東大を目指すので、どういったところかを見学させていただきたいだけだといったのですが、えらく怒り、挙句にはどこの会社のものかと聞かれ、私の名前と連絡先を書かされてしまいました

 

ほかのバスのガイドさんに聞いたらそんなことなく、すんなり入れたよ~とのことでしたので、ほんと守衛さんによるんだと思います。

声をかけず、何気なくはいっていったほうがよかったのかもしれません。赤門から入った団体さんはそんな感じで入っておられましたし。

もしくは、この経験を踏まえ、次回からは旅行会社から一報を入れておいてもらったほうがよさそうですね。

 

学生さんがいるので、邪魔にならないように、そして授業中なので大声で話さないように!

もちろん、トイレはありません

建物の中に入るのも禁止です!(守衛さんにも強調して言われました)

 

東大の案内はバス車内で済ませ、ざっくり見学だけさせてもらうのがよさそうですね。

 

私も初めての関東圏

いい勉強をさせてもらいました

 

東大メモ

*東京大学:1877年、東京開成学校と東京医学校が合同して、東京大学が設立。設立日の4月12日が入学式となっている。

*正門入ったところの銀杏並木の場所で合格発表が行われる。(よくTVでみますね)

*安田講堂:正式名称は東京大学大講堂。1925年完成。安田財閥の創始者、安田善次郎の寄付によって建てられたので、安田講堂と呼ばれるようになった。1969年に「大学解体」を掲げ、過激派の学生たちが立てこもり、機動隊と衝突。その後閉鎖されたが、88年~94年に修復し、再び利用するようになった。安田講堂は東大生でも五月祭と卒業式以外は入れないんだそうです。

*中央食堂:安田講堂の地下にある。定食なら400円から600円程度。ピリ辛の「赤門拉麺」が名物。餡がかかった汁なし麺です。お値段は400円。週末は500円だそうです。

*三四郎池:正式名称は「育徳園心字池」。大学創設以前からあった。「心」の形をしている池だそうです。1908年に夏目漱石の小説「三四郎」に登場したことから三四郎池とよばれるようになったそうです。

*赤門:大学創設以前のもので、1827年に加賀藩前田家の前田斉泰と徳川家11代将軍家斉の21番目の娘、溶姫と結婚する際に建てられたもので、明治時代末に東大に移築された。瓦には加賀藩前田家の家紋「梅鉢」と徳川家の「三つ葉葵」があります。

*マンホール:先輩ガイドさんにマンホールことを教えてもらって、私のメモに「マンホール」と書いてあるんだけど、それが何なのかメモしてなくて、???状態の私。そこでネットで調べてみたら、マンホールには「帝国大学」と書かれているんだそうです。東京大学は1886年に「帝京大学」と改称しているんだそうです。その後1897年には東京帝国大学と改称され、1947年に東京大学に戻ったそうです。というわけで、その当時のマンホールが利用されているということなんですね~

うん!確か、そんなこと言ってたな~ 先輩ガイドさん ちゃんとメモしとかないと時間がたつと忘れちゃいますね

 

このほか、中国の学生さんたちだったら宿舎に興味を示すのではないでしょうか? 中国の大学の宿舎との違い、料金などなど・・

 

ガイドは日々勉強

今日も頑張ります

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする