久々に高校当時の写真から。
同級生の一部には懐かしいネタですが、他の皆様はお付き合いの程を。
高校生当時の写真がアルバムに貼ってあるのは30数枚。
その中の4枚。
日付は「黒木民宿にて 52年8月9日」と記しています。
数年後にアルバムを整理した時に撮影日時を入れたと記憶しております。
多分この日は原爆記念日で登校日だったのじゃないでしょうか。
室内の写真は離れの平屋大部屋ですので、事前に計画して予約を入れていたのでしょう。
写真にはMAX9人写っていますので撮影者を入れて10人は集まったようです。
2年の時に転校したY田三つ足君もいますので、わざわざ連絡して呼んだんだと思います。
Y田君が〝三つ足〝と呼ばれていたのはアソコが大きかったからではありません。彼は陸上部短距離選手で弾丸ランナーでした。足が速いのは2本の足だけでなく、アソコも使って走っているからだろうと云うことで1年7組当時についたあだ名だったと記憶しております。
何故かこの日の事は詳しく覚えておりません。
卒業後直後と夏休みにもこの民宿に集まってますので、いくつか記憶がごちゃ混ぜになっているところもあるようです。それで、記憶が薄いのかも。
こうであったろう、というお話しで進めます。記憶違いのところはコメントください。
下校後、物資を運搬。
3学年。夏休み中の1泊2日の合宿です。
目的は当然、進学のための集中講座、ってな訳ないか。
まぁ、涼を求めて・・・と云うことだったんでしょうけどね。
しかし、7月末に以前UPした〝沈没騒動〝を起こした直後と云うのに、私達は何をやっていたのか。反省などしていなかったようです。
(すみません。時系列をまちがってました。これは8月9日ですので、沈没騒動を起こす前になります。訂正してお詫びも仕上げます)
記憶では物資(喉を潤すもの)はカズの軽ワゴンに乗せて運んでもらったと思うんですが・・・。
写真にはカズが写っていませんね。物資を運んでもらっただけで、バイトに行っちゃったのかしら。それか、この日金泉寺かどこかに先に登っている別の仲間のところへ行ったんだったっけ?
カズの後日談では、夜中に真っ暗な山道をたった1人で歩いて登ぼるのはたいへん怖かったそうですよ。そりゃぁ、そうでしょう。私は登れません。 この辺についてはカズのコメントを期待しときましょう。
さて、BBQをやったのか? 残念ながらそれは思い出せません。
しかし、川で泳いだのは覚えています。
私たち仲間内では、遊びにも変な規則を作っていました。
先の沈没騒動の時は全員「競泳パンツにTシャツでボートに乗り込み」ましたしね。
黒木合宿の川遊びは、上は裸、下もフルチンで泳ぐこととなっていました。
つまり素っ裸で遊んでいたわけです。その近くに他の人がいなかったんでしょうけどね。
今だとワイセツ物陳列罪で通報されちゃうでしょうね。
写真には二十歳になるまでは飲んではいけないもの2点は全く写っていませんね。
そんなはずはな・・・・・・・いと・・・・・。
室内の写真。M吉が大事に抱いているのはH本です。
これが合宿用の教科書だったのか!
そう言えば、数年前の同窓会の折に、M吉はこの黒木合宿のH本を覚えていたんですよ。
私はすっかり忘れていて、写真をそこまでは見ておりませんでした。
拡大してみると・・・
あれ~。M吉の後ろに顔が写ってない誰かがいるんじゃない?誰だ?
まぁ、それは置いといて。
拡大してみると、確かに女性の胸が写っている一枚が見えてます。
本の名前が分かりません。平仮名でしょうか。「〇 〇 み ん 」とあるような。
ぼかしを入れんといけんので、拡大しませんよ。
誰だぁ、コピーして拡大しようとしてるのは!
この頃は何を話して盛り上がっていたのでしょうか?
まぁ、H本を見て盛り上がった時間もあるでしょうが、それだけじゃあんまりですよね。
(私は親戚が本屋さんだったため、幼少の頃よりH本はある程度見慣れておりました。H本についての話は改めてUPしますね)
受験の事、進学の事を少しは話ししたのかなぁ?
翌朝というかお昼は恒例で、民宿の母屋で「鯉こく」か「ニジマスの塩焼き」を頂いて下山したのではないかな。
↓ ランキング参加中。ご面倒ですが、ポチッと頂ければ励みになります。
獣や、鳥の叫び声にビビリながら、懐中電灯を持って、走るように登った。途中、道に迷った時は、泣きっ面でした。別の同級生が待っていた金泉寺に着いた時の嬉しさは忘れられないのですが、なんで、わざわざ夜に登ったのかが、想い出せなかった。今、やっと、その経緯が分かりました。
それにしても、黒木民宿の離れ宿、予約したのは、多分、私です。何をやっても、大騒ぎしても、絶対バレない秘密の宴会場でしたね。
やはり、この日貴方は金泉寺に登ったのは間違いなさそうですね。
いろいろ段取りしてくれたのはカズでしたか。
なんせ仲間内で車を持っているのは貴方だけでしたからね。
黒木の水は冷たかったことは、今でも忘れません。
一つ想い出しだしました。泳いだ後だったと思いますが、ぶらぶらと散歩していたら。。おばちゃんが困った表情で近寄って来ました。なんだろうと?と事情を聴くと、車のカギを閉じ込めてしまったとのこと。。。何を思ったか?仲間3-4人の素手で、窓をハンドパワーで下して、開けたことを覚えています。おばちゃんは、とっても喜んで、ジュースをおごってくれました。
もしかしたら・・修理代のほうが一番高かったかもね。。。
おそるべし・・青春のハンドパワーです。
確か俺たちは翌朝下山しようとしていた時だったんじゃなかったっけ?
カズのコメントからしても、帰る足(車)は無かったようなので、バス停まで下りて行った時の事なんじゃなかろうか。
あれは開けてあげたというより、壊した方だから、修理代が高くついたと思うね。