このところしばらく、能関係の工芸品、特に漆器を紹介してきました。まだまだあるのですが、故玩館の品は横に果てしなく広がっているので、少し方向を変えないと、(紹介が)終わる前に(人生が)終わってしまいます(^^;
そんなわけで、能楽関係の絵画に移ります。
能の絵(版画も含む)は、大きく2種類に分けることができます。一つは、能や謡いに登場する情景を描いたもの、もう一種は、能の舞台で演じられる場面を描いたものです。江戸時代には両方のタイプみられます。それに対して、明治以降は能舞台で演じられる場面の絵画が多いです。それも、シテのみ描かれたものがほとんどです。
ここでは、江戸の能絵画を中心に紹介し、必要に応じて明治以降の絵も入れます。
初回は、墨で描かれた小品の絵画です。
全体:43.2㎝x110.8㎝。本紙:31.0㎝x23.1㎝。江戸時代中期。
非常に味わい深く、私の愛蔵品です。
よく見ると、襤褸をまとった一人の老婆が、卒塔婆に腰を掛けています。
能には、女性を主人公とした演目が多くあります。なかでも、『関寺小町』『鸚鵡小町』『卒都婆小町』『姥捨』の老女ものは、研鑽と修練を積み重ねた老練の能楽師のみ演ずることがゆるされた最高位の能です。
上の絵は、このうち、『卒都婆小町』の一場面を描いています。
襤褸をまとった老女は、やつれ果てた百歳の小野小町です。
実際の能でも、古木(卒塔婆)に腰掛ける場面が出てきます。が、実際に座っているのは、それに見立てた葛桶です。舞台上の主人公も、このようにうらぶれた格好をしているわけではありません。ですから、この絵は、作者が描いた能『卒都婆小町』の情景と言って良いでしょう。
旅僧が、倒れた卒塔婆の上に座る老女を見とがめて、声をかけます。
「仏体を表す卒塔婆に座るとは。すぐに立ち退きなさい」
老女は言います。
「仏体であるからこそ、卒塔婆も疲れて臥している。その上に自分が休んで何が悪かろう。見方によっては、悪も善、煩悩も菩提となる。衆生も仏と同じではないか」
そして、老女は和歌を詠みます(絵の右上部)。
極楽乃内
ならは
こそ
あし
からめ
そとハ
何かハ
くるし
かるへし
極楽の 内ならばこそ 悪しからめ 外は(卒塔婆)何かは 苦しかるべき
絶世の美女ともてはやされた小町が、老いさらばえて最後に得たのは、娑婆と極楽、両方の世界を行きかう境地でした。
卒塔婆は、二つの世界の境界を象徴しているのですね(^.^)