遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能画8.三宅凰白 素描『松風』、色絵『羽衣』 

2022年04月25日 | 能楽ー絵画

日本画家、三宅凰白の『松風』です。

全体:127.5㎝ x 54.7㎝、本紙(紙本)、41.0㎝ x 34.6㎝。昭和。

【三宅凰白】(みやけこうはく):明治二六(1893)年ー昭和三二(1957)年。京都市生。日本画家山元春挙に師事。文展、日展で活躍。昭和京都画壇の一人。花鳥、人物画を得意とした。

今回の能画は、素描に近いものです。三宅凰白には、この構図の色絵があるので、下絵かも知れません。それを掛軸に仕立てた人はエライ(^.^)

能『松風』で、汐汲車の桶に、汐を汲んでいるところです。能画としては、能舞台の一場面を描いた典型的なBタイプです。しかも、シテのみを描いています。これは、昭和から現代まで、能画の主流パターンです。今、普通に能というと、シテが扇をかざして舞う姿が浮かびますが、このような能画の影響が大きいのではないかと思います。

月明かりの下、汐を汲む女を、地謡が幻想的に浮かびあげます。

「寄せては帰るかたをなみ。寄せては帰るかたをなみ。芦辺の。田鶴こそは立ちさわげ四方の嵐も。音添へて夜寒なにと過さん。更け行く月こそさやかなれ。汲むは影なれや。焼く塩煙心せよ。さのみなど海士人の憂き秋のみを過さん。松島や小島の海人の月にだに影を汲むこそ心あれ影を汲むこそ心あれ。」

  波の寄せ帰る蘆辺に、鶴が鳴き騒いでいます。この寒い夜をどうして凌ぎましょうか。でも、あの夜更の月の澄み渡っていること。おお、汐水を汲むと、それに月が映っている。どうか塩焼く煙をあまり多く立てて、月を曇らさないように気をつけておくれ。海士だからとて、いつもいつも辛い秋を過ごしているばかりでもない。このように月を眺める風流な味わいもあるのです。こうして汐水と一緒に月影を汲み入れるなどは、本当に風流なことです。 (佐鳴謙太郎『謡曲大観5巻』)

女たちは、汐といっしょに月影を汲んでいたのですね。

地謡が謡います。

「月は一つ。影は二つ満つ汐の夜の車に月を載せて。憂しともおもはぬ汐路かなや。」

空に月は一つだけれど、水桶の月影は二つ。満潮の夜、車に月をのせて帰る汐汲みも辛くはない。

二人は、汐汲み車に月をのせて、塩屋に運びます(先回の月岡耕漁の絵)。そして、そこには、一夜の宿を請う僧が待っています。

月影は、行平の面影をも暗示しているのでしょう。このように幻想的な場面には、写実的な描写よりもラフなスケッチの方が、見る側の想像力を掻きたてる余地が大きいと思われます。日本画では洋画ほど素描は重要ではないでしょう。しかし、能のように、すべてをギリギリまでそぎ落とし、演者の内面を抑制して表現する演劇では、観る側の想像力に多くが委ねられます。そのような能の特質を考えると、詳細な表現よりも、多くを描きこまない素描の方が、むしろ能舞台によく対応しているように思えます。

 

比較のため、三宅凰白の通常の日本画、『羽衣』をアップしておきます。

全体:193.4㎝ x 49.5㎝。本紙(絹本):124.3㎝ x 36.0㎝。昭和。

 

コメント (4)
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