能面「小癋見」、赤鶴吉成作(『能楽古面輯』昭和16年)
これまで、顰(しかみ)面をいくつか紹介してきました。顰(しかみ)とならんで、もう一つの男鬼の代表が、癋見(べしみ)面です。癋見(べしみ)とは「口をへしむ」から来ていて、口を真一文字に力強く結んだ面です。「顔をしかむ」から派生した顰(しかみ)面は口を大きく開いていますから、両者は阿吽の関係にあると言えます。
今回は、古い癋見(べしみ)面です。
幅14.0㎝ x 長17.2㎝ x 高5.4㎝。重 136g。室町ー江戸時代。
やや小型の面で、精緻に彫られています。木地の上に胡粉を塗り、肌色?に彩色されています。髪や髭は黒で描かれています(一部残存)。唇は赤、眼は黒に塗られています。全体に塗りの剥落や虫食い、風化が酷いです。
裏側は、あたかも独立した面のように彫られています。少々小型ですが、能面として生まれた面だと思われます。
眼はカッと開いています。額の大きな傷口は、虫に喰われた跡でしょうか。
口をグッと真一文字に結んでいます。癋見(べしみ)の特徴が良く現れています。
鼻先が削られたように平らになっています。これは、先の顰(しかみ)面のように寄木の鼻先が外れてなくなったものではなく、虫食いの結果だと思われます。なぜなら、左頬の先や額の一部も、虫に喰われた大きな跡が平らに削れたようになっているからです。
横から見ると、虫に喰われた様子がよくわかります。
右眉毛は、墨書きが残っています。
口元や
顎には、
点々と孔があいていて、植毛されていたことがわかります。一部は、毛が残っています。口元には、さらに墨書きで髭が描かれていたようです。
大切にされてきたのでしょう。
蔵票が貼られているとともに、
「出目是閑作」と朱漆で書かれています。
【出目是閑吉満(でめぜかんよしみつ)】大永七(1527)年? - 元和二(1616)年。桃山時代から江戸初期にかけての面打師。越前(福井県)大野の住人。能面打ちの名人で、豊臣秀吉によって「天下一」の称号を許され、子孫は代々面打を世襲した(大野出目家)。(「Wikipedia」による)
このような名人の作を私が持っているはずはありません(手が届かない(^^;)。
この朱書きは、付加価値を高めるため、後年(江戸?)に誰かが書き入れたものでしょう。
ただ、この癋見面自体は非常に古く、出目是閑よりも前の時代(室町)の品物かも知れません(^.^)