先回のブログで、軍人、仙波太郎の書を紹介しました。彼の書の師が、同郷の書家、三輪田米山です。
しばらく、孤高の書家、三輪田米山の書を紹介していきます。
今回の書『思無邪』は、すでに「コロナに負けるな」シリーズで紹介しましたが、この書は、私の米山コレクションの最初の品であると同時に、米山を考える上でも良い品なので、再掲します。
全体:51.6㎝ X 166.5㎝、本紙(紙本):38.7㎝x94.0㎝。明治。
【三輪田米山】みわたべいざん、文政四(1821)年ー明治四一(1908)年。伊予(現、松山市)生れ。名は常貞。伊予、日尾八幡神社神官。王羲之の書を独学で学び、何ものにもとらわれない独自の書法を確立した。豪放無欲な性格で稀代の酒豪、奇行でも知られる。弟、三輪田高房は、儒者、藩校教授、神官、下の弟、三輪田元網は国学者、妻三輪田眞佐子は三輪田女学校創設者。
三輪田米山(文政4( 1821)年-明治41(1902)年)は、伊予国久米(現、松山市)の人です。幕末~明治期、神官をつとめながら、独力で研鑽を重ね、雄渾の書を完成させました。米山の前に米山なし、米山の後に米山なし、といわれるほど個性的な書を多く残しています。稀代の大酒のみで、1升、2升と呑みすすみ、酔い倒れる寸前に筆をとった書が最高のものと言われています。そのほとんどは、地元の人々に請われてしたためたものです。ですから、この地方の家々には、米山の書が大切に残されています。ちなみに、お礼は、飲んだ酒(^.^)
三輪田米山の書は、一部の人々の間では、極めて高く評価されていましたが、2008年、NHK日曜美術館で紹介され、一般に広く知られるようになりました。
近代書の先駆者と言ってよいでしょう。
さて、書軸『思無邪』です。
『思無邪』は、島津斉彬の座右の銘としても知られ、斉彬をはじめ多くの人が書を残しています。
米山も、この語が気に入っていたらしく、いくつか揮毫しています(書体はすべて異なる)。本作品もその一つです。
『思無邪』は、孔子の論語・為政篇にある一文、「子曰、詩三百、一言以蔽之、曰、思無邪」の一部です。
「子曰わく、詩三百、一言以て之を蔽(さだ)む、曰わく、思い邪(よこしま)なし」
『思無邪』の文字通りの読みは、「しむじゃ」ですが、普通は、「おもい(思)よこしま(邪)なし(無)」と読みます。
偽りや飾るところがない、純粋な心をあらわしている言葉です。
昨今、政治家の無能無策は目を覆うばかり。何より問題なのは、彼らの言葉が私たちに届かないのです。
彼らが『思有邪』の人間だと、誰でも知っているからでしょう。
重なる不祥事は、彼らのこころの有り様をあぶり出しているのです。
今、コロナやAIは、経済社会などの現象を飛び越えて、人間の内面に向かって問題を投げかけているような気がします。
困難な時代を生きることができるかどうか。私たちの『思無邪』が試されているのではないでしょうか。