今回も、陶胎七宝の茶壷です。
先回の品より、一回り半大きな品です。
幅 13.6m、高 15.4㎝、重 620g。明治時代。
反対側:
右側、左側:
上側:
内蓋が無疵で残っています。
内蓋には色絵で蝶が三匹。
外蓋の内側には、四弍の文字。
こうやって見てみると、Dr.Kさんのおっしゃるように、青手古九谷に通じる趣がありますね、欲目ですが(^^;
明治期輸出産業の花形、七宝は、京都と尾張が二大産地でした。銅や銀を素地にして、華美な七宝が造られました。なかには、メートル越えの巨大七宝も。
それに対して、陶胎七宝はいかにも貧弱で地味です。このような変わり七宝は何処で作られたのでしょうか。
一つ手がかりが得られました。
「安田造」の底銘です(横の文字は「ロ?三一」、意味不明)。
この銘は、明治期に、京都、粟田口付近で多く作られた輸出向け陶磁器に多く見られます。黄味を帯びた陶器質の素地に、繊細で華やかな絵付けがなされているのが特徴です。京薩摩ともよばれています。
先回の小茶壷には底銘がありませんが、ボディの材質や絵付けの感じは今回の品と非常に良く似ています。安田造かどうかはわかりませんが、粟田焼の系統であることは確かなようです。
陶胎七宝の模様も、見方によってはアラベスク。中央アジア的感覚ですね。
高さ15.4cmというのは、結構大きいですね。
前回のものに非常に似ていますね。
同じ作家か、同じ工房で作られたものなのでしょうか。
日本人からみても魅力的ですから、欧米人からみたら、もっと魅力的だったでしょうね(^-^*)
これを見た欧米人は、これを作った東洋の日本という国は、どんな国なのだろうかと、ロマンをかきたてられたかもしれませんね(^_^;
七宝部分でない色絵がチョコっと出てきますが、京薩摩の色絵ですね。やはり、ボスは錦光山だったと思います。その辺については、また、以降の品物で。
この時点では、袋物、それもお茶関係の品ばかりでしたから、てっきり国内向けの七宝だと思っていました(^^;