これまで、見台をいろいろ紹介してきました。
伝統芸能の見台は、正座して使うと相場がきまっています。
見台を使わなくても、謡曲、能の場合は、正座です。
何時間も正座して涼しい顔の女性は多くいます。体の柔らかい女性に対して、ゴツゴツした男はたいてい正座が苦手です。特に、体重のある人は難行苦行。辛いだけではありません。足の痺れがあるリミットを通り越すと何もなかったような感覚におちいります。そのまま経過して、いざ立とうとすると、足に全く力が入らずドゥッと倒れ込んでしまいます。私も一度経験があります。幸い、軽い捻挫で済みましたが、骨折する人も多いのです。
そこで、これの登場です。
19x13x5㎝ほどの小さな箱です。
中には、木が2組。
広げるとこんな感じになります。
これなら誰でもわかります。
溝に差し込んで、
出来上がりました。
正座補助具、座椅子です。
この品は、何年か前、観世流特約店で購入した現代の品です。
桐で出来ていて、軽くて使いやすいのですが、問題は耐久性です。
脚は溝にスッとはまります。が、その割りにはずれません。
どうしてかというと、マジックテープがついているんです。
これでくっ付いているのです。グッと引っ張れば、ジッと音がしてはずれます。う~~ん、安直(^^;
何回も使っていないのですが、ホッチキスでとめてあるマジックテープがはがれそうです(^^;
実は、これ以外にもう一つ、木の座椅子をもっていたのです。明治位の品で、黒光した堅い木で出来ていました。もちろん、マジックテープでいい加減に接合する品では無く、ホゾ穴にしっかりと嵌めこんで組み立てる座椅子です。その品をどれだけ探しても、今回、見つけることができませんでした。
そのような嵌め込み品は、現在は作られていません。で、やむなくマジックテープのホチキス留めとなっているのでしょう(^^;
座椅子は、あくまで補助用具です。こんなものを使っているのは素人!と無言の圧力があって肩身の狭い思いをしてきました。ところが、最近は、膝痛の高齢ご婦人が多く、謡曲でも鼓でも座椅子のオンパレードです。また、内緒の話ですが、能管名人のF師(故人)は巨漢であったため、袴の中に座椅子を縫い付けて用い、体重が足にかかるのを防いでいたそうです。
そんなかんなで座椅子を調べていくうち、驚きの事実に行き当たりました(おおげさ(^^;)
先々回に紹介した浄瑠璃用の見台です。
この見台の向こう側に太夫が座り、三味線に合わせ、一人で語りを長時間行います。能、狂言でも浄瑠璃でも、できるだけ大きく通る声を出し続けねばなりません。そのためには、喉を完全に開き、横隔膜を最大限に活用した腹式呼吸を行う必要があります。
そのために、浄瑠璃では、正座して膝をつき、さらに腰を浮かし、踵を立て、指先で踏ん張ります。そして、この姿勢を保つために、座椅子のような物を尻にあてがうのです。「尻引き」と呼ばれている、浄瑠璃独特の木製用具です。普通の座椅子よりも高いです。かつては、職人さんが作っていたのでしょうが、やむをえず今は自作される人が多いようです。
一方、浄瑠璃の見台は舞台の上で使う花形。でも、浄瑠璃見台を作る職人はもういないのです。残っている戦前までの品で、これから何百年ももつでしょうか。
さらに、浄瑠璃は、伝統芸能の内では、世襲家元制度がない珍しい芸能です。それは、伝統の継承が難しいというだけではなく、弟子や稽古事の人は極めて限られ、免状なども含め、習い事一般にみられる収入が期待できないことを意味しています。また、小さな人形を扱う劇ですから観客の数は自ずと限られます。つまり、浄瑠璃は、財政的には風前の灯火の伝統芸能なのです。
そこへ突然現れたのが橋下徹(元大阪府知事)です。TVで性懲りもなく、意味のない事をベラベラと喋りまくっているあの御仁です。この男にとって、伝統、文化、人権などは金を生まないどころか、浪費するだけの厄介者でしかありません。浪花で花開き、連綿と受け継がれてきた人形浄瑠璃など消えろとばかりに、府の補助金を大幅カットしたのです。コンプレックスの塊のようなこの男のやり方は決まっています。大阪人のコンプレックス(基本的には東京コンプレックス)を知りつくしているだけに、彼らのもやもやを巧みについて、仮想の敵を造り上げます。浄瑠璃は、自己研鑽を忘れた甘ちゃん業界、それをあなた方の税金で養っているんですよ、と扇動するわけです。こんな子供だましの論理にやすやすと乘る大阪人の目は、コロナ死者ダントツで全国一の今に至っても、覚めないのでしょうか。橋下のカジノ構想は今もゾンビのように漂っています。バクチで稼いで東京に勝つ!? 悪い冗談でしょう。
市内の河川水路の水を浄化し、遊覧船を今の10倍に増やせば、内外の観光客などいくらでも来るではありませんか。でも、それでは彼らが甘い汁を吸えない!?(^.^)
御台には西行桜詠じらむ
あたら夜の月と花との咎ならむ
(飲み過ぎの言い訳に🍶)
お茶の稽古をしていた時はしびれませんでした・・・・えー、充分すぎるほど重かったですけれど。
今も座っている方が体勢的には楽かもしれません、が長くは無理かも。便利なものがあるのですね。どんどん使いましょう。
浄瑠璃の世界のお話、とっても参考になりました。
それにしてもいろんな職人さんが消えていきますね。育てないと・・・・・・本当になくなりそうですね。
それも散るまでのわずかな期間ですから、押しつけであろうとなかろうと、どしどし詠んで下さい(^.^)
今は、こういう稽古ごとに限らず需要があるのでしょう。いろいろなタイプの座椅子が売られています。
お茶も立礼式がかなりの割り合いになりました。いずれ、他の伝統文化もそうなると思います(^.^)
洋風の建物が多くなり、洋間が増え、椅子に座る生活が多くなってきたからでしょうか。
そんな中、困るのは葬儀や法事でしたね。お坊さんの読経の間、正座していなければなりませんでしたものね。
でも、その葬儀や法事も、最近では椅子に座って行われることが多くなりましたので助かります。
しかし、能では正座をしなければならないのですか(~_~;)
そのためには、座椅子は必需品になりますね。
ますます正座の苦手な人間が増えてきますから、伝統芸能の将来のためにも、より丈夫で機能性に優れた座椅子の開発が期待されるんですね。
正座はやはり形式ばった不自然な姿勢ですね。外人さんが途惑うのも無理はありません(^^; ただ、背筋がピッと伸びて姿が美しい事は事実(^.^)
あんな文化のわからない男が行政を牛耳ったら日本の伝統文化はみな滅びてしまいます!
遊びや洒落とは無縁のこういうさもしい人間にかかると、伝統文化などは消えかかった虚業にしか見えないのでしょう。
残念ながら、そういう人間が増えてきている気がします。
私は若い頃、ある活動をしていたこともあり、思わずうっかり正座をしてしまう癖があります。(ある意味では良いことなのですが・・・!?)
私も体重が重いので1~2時間座っていると足が痺れてしまって、回復には数分かかりますね。数10分程度なら全く問題なく、時々お寺の坊さんが驚いておられます。
見る台にしろ、補助座椅子にしろ、昔の方はいろいろ工夫したようですね。その知恵たるや素晴らしいと思います。
橋下氏は口から先に生まれたような方で、確かに法律は専門家ですから詳しいですが、大阪府民を騙すには持って来いのあの変わった論法で喋りまくります。
伝統文化の継承なんて、頭の隅っこにもありません。何か新しい花火を打ち上げて、常に注目を集めるだけが目的ですから・・・。注目させておいて言いたいことを、ひと言だけ言えば用が足りるのです。
お坊さんにもなれますね。
私の知人で、定年後得度し、僧侶になることを予定していた人がいましたが、正座の問題であきらめました。
大阪人とくに大阪のおばちゃんには期待したいです。口先ペラペラ男を笑い飛ばす(^.^)