遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

道神面

2024年10月17日 | おもしろグッズ

先回のブログで、九州に多く伝わる民衆像、田の神さぁ(タノカンサァ)を紹介しました。田の神さぁは、田の端などに置いて豊穣を祈るためのもので、性信仰と結びついています。

同じような物がないかと探しだしたのが今日の品です。

信州松本の道神面、4枚です。

信州では、悪霊や疫病などを防ぐ神様として、峠や辻や村境などの道端に、「道祖神」が祀られています。男女一対で祀られることが多い道祖神は、交合の象徴でもあります。

この道祖神にヒントを得て、家内に持ち込めるように制作されたのが道神面(道祖面)です。考案したのは、民芸作家、宮田嵐村です。地元の民芸品店で購入することができます。

暦に記載される日時・方位などの吉凶や運勢を表す暦注の一つ「十二直」になぞらえて作られるので、いろいろな表情のお面があります。

縦 18.2㎝、横 12.8㎝、奥 4.3㎝。昭和。

縦 16.5㎝、横 14.6㎝、奥 3.8㎝。昭和。

縦 19.0㎝、横 14.5㎝、奥 4.1㎝。昭和。

縦 9.2㎝、横 7.4㎝、奥 2.1㎝。昭和。

おおらかで不思議な表情をたたえた道神面は、田の神さぁと共通する点が多いですね。

そこで、田の神さぁに、道神面を被っていただきました。

題して、「田の道祖神さぁ」(^.^)

これに気をよくして、サポテカ神像にも。

インターナショナルなお守り!?(^.^)

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木像、田の神さぁ(タノカンサァ)

2024年10月15日 | おもしろグッズ

先日、mash1125さんが「田の神さぁ」についてブログをアップされ、えびの市の「田の神さぁ」を紹介されていました。

そういえば、故玩館にも「田の神さぁ」(タノカンサァ)がありました。

台座込木像:高 71.0㎝、幅 41.2㎝、奥行 18.7㎝。重 5.0㎏。木像部:高 66.2㎝、幅 23.3㎝、奥行 21.3㎝。幕末(文久元年)。

木彫の「田の神さぁ」です。この田の神像は、一本の木から彫られ、台座に固定されています。

「田の神さぁ」は、南九州地方を中心に、田の畔道端などに設置され、稲作の豊穣を祈ります。江戸中期頃から広まった民衆信仰の神様で、石彫りの像です。

今回の品は、木彫の「田の神さぁ」で、類例の稀な品です。

 

「田の神さぁ」にはいくつかのパターンがありますが、今回の品は最もポピュラーな農民型です。右手にすりこぎ、左手にしゃもじを持っています。いずれも、豊作を象徴します。

どこからみても、にこやかな表情です。

頭にかぶった傘は、男性のシンボル形です。これも、豊穣を祈る性信仰によるものです。

注目されるのは、裏に刻まれた文字。

「文久元年(1861)秋 五木村」とあります。

地域の祠に祀られ、大切にされてきたのでしょう。

五木村(熊本県)は、近年、ダム建設に揺れました。川辺川ダム建設の話しが持ち上がり、その渦中にこの「田の神さぁ」は流出したと思われます。にこやかなこの木像は、ダム利権に群がった政治家や官僚たちが、山河と人々の暮らしを荒廃させていく様子を、じっと眺めていたことでしょう。

 

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鑑定本12 天野浩伊知『東洋陶磁鑑定の極意』

2024年10月11日 | 骨董本・雑誌

珍しい東洋陶磁器の真贋判定の書です。

天野浩伊知『東洋陶磁鑑定の極意』五月書房、1996年。

非常に上質の紙(アート紙?)に、鮮明な写真をふんだんに載せて、東洋陶磁器、とくに、中国陶磁器の鑑定の勘どころを述べています。
著者、天野浩伊知は、大手企業の役員をつとめるかたわら、東洋陶磁器の研究を重ね、平成元年、東洋古陶磁研究所を設立しました。
この本は、彼が数多の東洋古陶磁器を蒐集するなかで得た経験をもとに、書かれています。品物の多くは、一流骨董店や海外オークションを経て、入手された物です。
したがって、われわれビンボーコレクターには高嶺の花の名品ぞろいです。

その中で、ひょっとしたら出会うかもしれない品をいくつかピックアップし、鑑定の勘所を紹介します。

1.龍泉窯青磁浮牡丹不遊環瓶(元時代)(現代(韓国)製の品との写真対比)
◎勘どころ
一、仿作は形状・模様が本歌よりも美麗である。
一、仿作は土に鉄分が少なく、高台土見せの部分が白く上がるか、または人為的に赤く変色させてある。
一、仿作は青磁釉に気泡が少なく透明感が不足する。
一、本歌は高台ぎわ釉切れの部分に醤油を流したようなニジミを見せることが多いが、仿作にはこれがない。
一、多分、値段が安い。

2.漢緑釉陶
◎勘どころ
一、壷や皿類は、逆さにして焼いたもので(伏せ焼)、釉は底部から口縁部にゆくほど厚くかかり、口縁部に垂れて釉だまりをつくるものさえある。重ね焼きしている。
一、銀化が好まれるので、仿作は殆ど銀化されている。そのため、これで馬脚をあらわす。本歌の銀化はヘラでこするとミクロの金粉となってハラハラと散るものが多いが、 仿作の銀化は最初から白色の釉をかけて焼成したものだから、銀化が剥落することはない。
一、最近、小壷や家鴨の類で総銀化の仿作が出現し、それはそれは美しい。壺はちゃんと伏せ焼で、重ね焼きで、本歌さながらの見事な出来である。色は絵具の緑と白をまぜあわせた釉調で、輝きは鈍く、全面一様に銀化している。                             
一、本歌は水につけると、はげしい異臭を発する。しかし、異臭のないものはすべて仿作というわけではなく、わずかな例外はあり得る。

3.李朝瓶
◎勘どころ
一、光沢のニブイものに贋物多し。
一、雨漏りは仿作にも出せるので過信せぬこと。
一、高台の土がピンクのものに贋物なしとの言があるが、総じて正しい。
一、高台内の底面が、豆腐の表面のように柔らかい感じで、多少ムラのある手によいものが多い。ツルツルの石のように硬い感じの底にはご用心。
一、瑠璃の瓶は素文のものも陰刻模様のものも、本歌は、釉の掛けかたが無造作でムラが多い。

4.古染付
◎勘どころ
一、虫食い、唐傘、模様運筆の軽妙洒脱さ。
一、高台の作り方――――素焼きをしないで生掛け製作のため、土の柔らかいうちに高台まですっぽり釉薬をかけてから、土と釉を同時に削り取って高台を作るので、土見せの部分は、ヘラあとが見られ、釉はスッキリと切れがよい。
一、時代のあがる上手のもの―――土が極細でソフトな感じのもの。土がピンクがかるもの。呉須の良質のもの。裏に文様のある皿類では、その文様が大きいもの。三足の皿の場合は足ががっちりと太いもの。
一、古染付は人気が高いので、業界に「買う時は康熙染付、売る時は古染付」の言があり、何かと古染付へもってゆきたがる。しかし日本向けに作られた純粋の小染付は、他の明末清初の青花磁器とは雰囲気が異なるので、明確に区別せねばなるまい。虫喰いがあっても、唐傘があっても、古染付と呼べないものは多々ある。

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片手で里芋五平餅を作った

2024年10月08日 | ものぐさ有機農業

冷凍庫が満タンになってきました。スペースをつくらないと、後が滞ってしまします。

そこで、在庫整理。まず、里芋ペーストからとりかかりました。

昨年度、里芋は絶不作とはいっても、かなりの量の親芋がありました。3月ギリギリに全部茹でて、潰し、ペーストにして、冷凍保存しました。それを、活用。

一番のおすすめは、里芋入りの五平餅です。巷にそういう五平餅があるのかどうかは知りません。大袈裟にいえば、遅生特製の一品(^.^)

解凍した里芋ペーストを、

レンジでチンします(熱い方が、ご飯と混ぜやすい)。

ご飯にペーストを加え、混ぜます。この操作が、一番大変です。量が増えるにしたがい、力がどんどん要ります(片手ではツライ(^^; )  少しずつ混ぜるのがコツ。ご飯とペーストの比率はお好みですが、私は半々にしています(あれこれ考えなくてもよく、簡単(^^;)。

やっとのことで、混ぜ終えました。

少し多めに片栗粉をふり、

適当量に分けて、

ダンゴにします。この時、片栗粉を混ぜ込むようにすると、食感が良い。

焼きやすいように平たくします。

まさに、不ぞろいの美学(^^;

フライパンに油をひいて焼き、「付けて味噌」で遊んで、できあがり(^.^)

以前は、串にさしてから、オーブンで焼いていたのですが、これはすごく大変でした。付けダレも、クルミを粉砕して自作しました。しかし、お金と手間がかかるわりには、大したことが無かった。

結局、今回のような、串無し、フライパンでバラ焼き、市販味付け味噌ダレという超手抜き五平餅に落ち着きました。

はたして、これを五平餅と呼んでいいかどうか・・・・骨董の真贋判定のようなものですね(^.^)

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鑑定本11 三杉敏隆『海のシルクロード』、岩波新書『真贋ものがたり』

2024年10月06日 | 骨董本・雑誌

今回は、中国古陶磁学者、三杉隆敏の著作、2冊です。


『海のシルクロード』恒文社、1976年。
岩波新書『真贋ものがたり』岩波書店、1996年。

三杉隆敏は、白鶴美術館、小原流芸術参考館などに勤務する傍ら、二十数回海外を歴訪し、世界中に散らばる中国美術品を調査しました。特に、トルコのトプカピ宮殿やイランのサライミュージアムにある中国陶磁器を詳細に調べ、中国焼物の海上交易史とも言うべき「海のシルクロード」を明らかにしました。
それをまとめたのが本書です。
副題には、「中国磁器の海上運輸と染付編年の研究」とあります。膨大な中国陶磁器(特に染付)や陶片の研究から、染付けの発生やその編年に関しても、元、明時代の陶磁器について、書かれています。
染付模様は、中心となる主模様と器の縁などに描かれる従属模様とに大別されます。この本では、主模様を、植物類、獣類、鳥類、魚類、象徴類に分けて、時代の特徴を記しています。

興味深いのは、従属模様です。三杉によると、従属模様は、時代とともにゆっくり変化するそうです。したがって、各時代の特徴を帯びやすいことになります。これを応用すれば、時代判定の有力な根拠となりうるわけです。

 

三杉隆敏 (岩波新書)『真贋ものがたり』岩波書店、1996年。


中国陶磁器の専門家、三杉隆敏のもう一つの本、『真贋ものがたり』(岩波書店、1996年)です。岩波新書でこのような本は珍しい。「「ほんもの」とにせもの、見極めの奥義」と帯にあります。内容は、第一章 埋もれた宝を求めて、第二章 贋物作りにかける情熱、第三章 社会を揺るがした真贋論争、第四章 真贋鑑定あれこれ、第五章 美術品とどうつきあうか、となっています。第一章では、沈没船からのお宝引き上げや盗掘について、第二章では、古今東西の贋物作りの背景とテクニックが、第三章では、永仁の壷事件や佐野乾山、正倉院御物の製作地論争などが記されています。贋物作りのテクニックでは、先回のブログで紹介した、和紙を2枚に剥ぐヒコーキとよく似たテクニックが紹介されています。著名人の葉書を二枚にめくって、表と裏を別々の品物に仕立て、本物を二つ作るのです。「ヒコーキ」に対して、こちらのテクニックは、「メクリ」の俗称がついています(^^; 他に、中国の竹細工品を煮込んで古作としたり、新しい緑釉壷にマニキュア液を施して銀化壷に変身させたりするなど、いろいろな技法が紹介されています。

第四章が、この本のハイライトです。真贋鑑定の奥義は、とにかく、「良い物をたくさん見る」ことにつきる、とのことです。と同時に、贋物もたくさん見る。そして、写真などで見ていた品物を、実物として目の前にしたとき、思っていたより大きく見える物は本物であると考えて良いとのことです。また、焼物では、形、重さ、模様などがチェックポイントとなります。焼物は焼成すると2割方縮みます。壷や瓶などでは、贋物の場合、肩の張出部分の計算がうまくいっておらず、真横から見ると、肩の部分が垂れ下がったり、上がり気味になり、本物のもつ緊張感がなくなります。模様に関しては、数多くの中国染付け磁器を見てきた著者ならではの意見が興味深いです。先述の本でも書かれているように、皿の従属模様は時代の様式を表しています。しかし、贋物作者は、中心部の主模様を描くのにエネルギーをとられ、周縁の従属模様は、つい、いい加減に描いてしまうらしい(^^;

本物と写しの問題は、古くからあります。でもそれは、マイナスのことばかりではありません。染付磁器の場合、世界史的にみれば、中国の名品に何とか迫ろうとして、必死でコピー品を作ってきた・・・その結果、技術の向上と広がりがもたらされたというのです。ベトナムの染付、日本の伊万里焼、ペルシャ、トルコ、エジプトの中国染付写し、さらには、ドイツのマイセン、オランダのデルフト、イギリスのチェルシーなどです。それどころか、本家の中国でさえ、いつの時代も、過去の名品を写すのにエネルギーをそそいできました。写しが、さらに新しい焼物を生み出す原動力となったわけです。
ただ、中国物を横に置き、限りなく本物に近くしようとした結果、多くの場合、きっちりし過ぎて堅苦しくなり、本物のもつ大らかな優美さがなくなってしまいます。本歌には、のんびりとした柔らかさやほのかな温かさが感じられるのに対して、写しの方は、堅苦しさが出てしまうのです。

以上の記述でもわかるように、この本は、類書にくらべれば、贋物(写し)に対して比較的寛容だという感想をもちました。佐野乾山論争についても、否定的な記述をしていません。また、大英博物館など、世界の美術館、博物館では、積極的に贋物を収集して研究を深めようとしているそうです。

著者は、本書を次のように締めくくっています。
本物と贋物には、虚栄や欲心など、人間の業のようなものが見え隠れするが、それらを含め、人間らしさの一面であり、人類の歴史を美術というフィルターを通して見つめなおした、という思いがある。
そして言います。
もしあなたがその品物を気に入っているのであれば、「ほんもの」「にせもの」の判断はあなたの心の中にこそあるのではないだろうか。

<岩波新書に誤りあり>
このように、本書は、中国陶磁器の研究家が、フィールドワークで得た豊富な経験、知識を基にして書き下した真贋物語です。贋作を機械的に切り捨てるのではなく、「贋」と「真」との関係を有機的にとらえ直して、そこから「真」を考えようとする姿勢は、新鮮で示唆に富んでいます。
しかし、そのような本にも誤りがありました。「第四章 真贋鑑定あれこれ」のなかの、「赤外線ランプによる判定」です。


よく知られた、ブラック・ランプ(ブラックライト) を用いる方法です。補修のために接着剤などの樹脂が使ってある品にブラック・ランプを照射すると、その場所が蛍光色に光るのです。でも、これは  赤外線ランプではありませんね。紫外線ランプです。
どうやら、単なるミスプリではないようです。著者も編集者も、赤外線ランプと思い込んでいたのですね。
赤外線をあてても、分子の運動が激しくなる(温度が上がる)だけで、光は放出されません。赤外線よりずっとエネルギーの大きな光、紫外線を照射したとき、紫外線を吸収した分子は不安定な励起状態に変化し、その後、元の状態(基底状態)に戻る時、光(エネルギー)を放出します。これが蛍光です。陶磁器や絵画の補修に用いられる材料の中には、そのような性質をもつ成分(分子)が含まれている場合があります(すべてではない)。
ちょうどこの本が書かれた頃、赤外線〇〇のような暖房器具が盛んに宣伝されていたので、おもわず、「赤外線ランプ」となってしまったのでしょうか(^.^)

コメント (5)
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