生誕のファザードから内部へ入ると、
ステンドグラスを通した優しい光に照らされ、ふわぁ~とした温もりの中に包まれていった。
なぜならば・・・
真正面には、マリア像・反対側の入場門の上には聖ヨセフ像が見守っているからなのか?
いや、それだけではない。
自然光がステンドグラスを通して内部へ差し込み、神秘的な光を放っていたからだと思う。
人工的に彩られたものとは全く違う、見た事のない優しく柔らかな光が内部全体を包んでた。
大袈裟に云うとこれぞ癒し、体が宙に浮かぶ感覚、まさに異空間、見事である。
色とりどりの光が内部のグラデーションを創りだしていました。
時間帯によっても、天候によっても、光の差し込みかた、雰囲気が全く違うのだろうが。
真っ直ぐのびた柱は上で放物線を描き、太陽の光が放射状に中央祭壇を照らし続けています。
とっても素敵、と想いながらも別世界に身を置いていた気がします。
そして幻想的というか神秘な世界。
まさに光の芸術。
サグラダ・ファミリアを設計したアントニオ・ガウディは、
芸術性と実用性を両立した自然採光の設計にこだわりがあったと言います。
天井まで高く伸びた柱は 幹と枝を表しているそうです。
ガウディは教会内部は、森の中をイメージで設計したのだとか。
内部は角がなく、すべて美しい曲線で創られているので、柔らかい優しい印象があり、
こんな空間に心を奪われちゃいました。
天井のデザインも素敵です。
多面体が合わさったようなデザインなので、光の当たり方によってまったく見え方が違います。
これが100年以上前にデザインされたものだなんて、信じられません。
時間の余す限り、好きな場所へ何度も何度も行き写真に納めましたが、
この幸せな充実感と母の胎内に居る様な何かに包まれていた感覚は、
私の力不足のカメラ技術では表現できなかった事は残念でした。
さぁ~て・・・と。
受難のファザードから退場です。
受難のファサードはキリストが受けた苦難という悲しみを表現していて、
彫刻は「最後の晩餐」から「イエスの埋葬」までのエピソードになっております。
左、裏切者の弟子ユダがイエスに接吻をし、兵士たちに合図を送っているシーン。
右、イエスが捕らえられた後、弟子ペテロがイエスなど知らないと護身のためにイエスを否定するシーンです。
磔にされて死んだキリストの彫刻。
生誕のファサードは柔らかい曲線が多いデザインでしたが、受難のファサードは硬い直線的なデザインとなっています。
生誕のファサードには装飾がびっしりと施されていましたが、こちらには装飾が一切なく対照的でした。
さぁ~皆様は、『生誕のファサード』から入場するか?『受難のファサード』から入場するか?
人それぞれ、考え方もそれぞれだと想います。
2026年 完成予定の模型、果たして完成出来るのかな?
完成したら、もう一度見学したいです。(生きていたらね)
完成したらこの道路はつぶされ、脇のアパートメントもありません。
アパートメントは、立ち退きです。
強烈に自分自身、感化される物を真剣に観てしまったので、もの凄くお腹がすきました。
さてと!次は昼食へ。