4日(火)は、五所川原の立佞武多(たちねぷた)の
開幕日でした。
娘が父親と共に、見物にでかけ、
私は、足の痛みがまだ少しあるので、
家でお留守番していました。
一眼カメラを持参せず、
ケイタイで撮ったらしく、
画像が鮮明でないですが、様子を少し。
出陣式です。
小さくて判別できませんが、
舞台に立っている方は、吉幾三さんですよ。
この方、五所川原の出身なので、
毎年、開幕式には出席して、
立佞武多の歌を歌うのですよ。
「やってまれ、やってまれ~」ってね。
(津軽弁です。「やっつけてしまえ~」って意味。)
「ねぶた」は、青森市では「ねぶた」と呼ばれ、
弘前や黒石、五所川原方面では「ねぷた」と
呼ばれます。
そして、形、お囃子、かけ声も地域で異なります。
ちなみに、青森市の「ねぶた」は、人形型で立体的。
お囃子は明るくアップテンポな感じ。
かけ声は「ラッセラー」です。意味は?です。
闘いに出陣するねぶたのイメージなので、
跳んではねて、とても賑やかです。
弘前の「ねぷた」は、扇形です。
(町内によっては人形型を作る所も。)
行列は静かに進み、粛々と(?)流れ、
早くてスムーズです。
こちらのお囃子は、短調の暗め。
弘前の「ねぷた」は、闘った後のねぷただから。
絵がとてもおどろおどろしいものもあり、怖いです。
後ろの送り絵が美人画で、きれいです。
かけ声は「ヤーヤドー」です。
ちなみに私たち夫婦は、弘前出身なので、
弘前ねぷたが一番好きですよ。
五所川原の「立佞武多」は、とにかく背が高い。
進み方はスムーズです。
お囃子は明るめです。これは闘っている最中の図でしょうか。
かけ声は「やってまれ」と勇ましいです。
黒石の「ねぷた」は、扇形。
ここはどこよりも台数が多くて、
進み方とお囃子は、弘前と同じ。
かけ声は「やーれやーれや」です。
五所川原高校の生徒さんたちが踊っています。
進学校で勉強が大変なのに、
ねぷたも作って出してます。
あら、弘前高校のねぷたを思い出しましたよ。
娘もゆかたを着て、サンバ風に踊っていたなあ。
私がゆかたを着せないといけなくてね。髪結ったりね。
親も大変だよ。笑
懐かしい!
太鼓にねぷたが付いています。
これは私は初めて見ました。
いよいよ立佞武多の出陣。
近くでは横の姿になってます。あちゃ~!
正面が近くで撮れなかった。
残念!
ねぷたの最後は、必ず笛と太鼓が続きます。
青森ねぶたもそうですが、
立佞武多も正装があって、
参加者は正装しないと入れてもらえません。
(見物客は自由ですよ。)
変な格好で入ると、捕まえられますよ~!笑
注意してくださいね。
正装は、市内のお店で売られています。
***
立佞武多の館の近くに、
教会と関係のある方のお店があります。
かわいい雑貨や洋服があって、
この日、祭りに合わせて、店の外でも営業してました。
娘と父親が、私におみやげを買ってくれました。
たこ焼きとこれ。
そこのお店の小物入れです。
何を入れようかな。
とりあえず数少ない(笑)イヤリング入れに。
ありがとう~!
今年はどこのねぷたも見られなかったなあ。
弘前も青森も、今日で夜の部は終わり。
明日は午前の運行です。
立佞武多は8日までです。
どうぞ見に来てくださいね。
***
今日は、広島の原爆投下の日です。
あれから70年経ちました。
広島のことを考えると、
毎年、義母と義祖父の事を思い出します。
広島原爆投下時に、
義母と義祖父が広島市の近郊に居たのです。
危うく難を逃れました。
だから、広島の事は他人ごとではありません。
もし被爆していたら、ノブさんは被爆2世、
娘は被爆3世になっていたかもしれません。
放射能の威力は、世代を超えて現れます。
また、先日もテレビ「朝イチ」で紹介されていた
佐々木さだ子さんのことを、
私も昔から印象に残っていました。
小学校の時の道徳の教科書に載っていたから。
さだ子さんは広島原爆で被爆して、
12歳で白血病で亡くなってしまいました。
生きたいと願い、薬の包み紙で、毎日鶴を折っていましたが、
千羽折り終える前に亡くなりました。
原爆さえ投下されていなければ、
いや、戦争さえなければ、
彼女は今も元気に歩んでいたかもしれません。
戦争反対!原爆反対!
原爆の原料を造る原発反対!
憲法9条の下で、
他国と戦争せずに守られてきた
尊い歴史を終わらせようとしてはいけない。
今年もこのことを心に強く刻んで
広島の平和祈念式典を見ます。
ここあでした。