その日わたしは
ぼんやりと 岩戸の中を巡っていた
和室をいくつも通りながら
なんとなく またあのサンルームに出会えはしないかと
けれど いくつふすまを開いても
あのサンルームには出会えなかった
海が見たいと思ったのだが
それはどうやらあきらめるより仕方がないようだ
わたしの心は 自動的に向きを変え
ほかの楽しみを見つけようと 視線を動かす
ある和室に きれいな芥子の花を描いた絵があった
わたしはその絵に近寄り しばしの間絵に見入った
ああ 美しい絵だ
これは人間が描いたものではない
それはすぐにわかった
人間の描く絵もとてもすばらしいが
人間にはまだ描けないものを
この画家は描いている
人間にはまだ見えるはずのないものを
描いている
気に入っていただけましたか
と 後ろから声がした
ふりむくとやはり そこに星がいる
星はアリオトだと 名乗った
わたしはアリオトに挨拶をし
これはあなたが描かれたのですかと 尋ねた
アリオトは笑いながら 静かに
そうです と言った
わたしは言った
すばらしいですね
この芥子は 愛のためにとてもいいことをしている
この花が咲いているだけで 人間はとても助かる
そして
ええ そう とアリオトは言った
この絵を見るだけで 芥子はあなたを明るい愛に導いてくれます
暗い子宮に沈んでいた心臓を 光の中に呼び戻してくれる
そうすれば あなたの胸の心もとてもよいことになっていく
ああ わかります
とわたしは言った
その絵の中の芥子を見るだけで
わたしの心は まるで水底に倒れていた船が
ゆっくりと浮かび上がってくるかのように
次第に軽くなってくるのだ
それでわたしはまた 自分がどういう病気だったのか
わかるというわけなのだが
わたしは ずいぶんと傷んでいるのですね
わたしが言うと アリオトは目を閉じ
微笑みを変えずに言った
深く考えるのはやめましょう せめて今は
あなたは何もわからなくてよいのです
この絵は さしあげます
プロキオンのそばの壁に飾っておくといい
きっとよいことが起こるでしょう
ありがとう とわたしは言い
遠慮なく絵を受け取った
アリオトは しばしわたしを
愛おしそうに見つめ かすかに吐息を唇から漏らした
悲哀を暖かく燃やして 彼は一層深い愛でわたしを包んでくれた
わたしはその顔を見て やっと気づいた
アリオトの片目が 白翡翠と土耳古玉で作った義眼であることに
ああ あなたも
わたしは言った
アリオトは静かに答えた
だれでも 地球を目指す星は
多少なりともこうなるもの
すぐに治ります
だがこの義眼が少し おもしろいことをするものですから
わたしはそれが気に入って しばらくつけているつもりなのです
おもしろいことと 申しますと?
わたしは絵を抱きしめながらアリオトの顔を見つめた
するとアリオトは 義眼ではない方の目を閉じ
義眼の目をぱちぱちとまばたかせた
すると目の奥から 魚の歌うような快い玉水の音が聞こえてくる
それはきれいな澄んだ音で
耳の奥までしみとおって それはわたしの記憶の中から
一筋の歌を呼び出してくるのだった
あかき実を 鳥にあたえよ たかそらの…
銀の小星の 雨と降る世に
わたしが歌うと アリオトが 下の句を継いだ
わたしは絵を大切に抱いて アリオトに深く礼を言って頭を下げた
アリオトは微笑んで 静かに姿を消した
小部屋に戻ると わたしは絵を プロキオンのそばの壁に飾った
殺風景な部屋に 花畑ができたように
何やら部屋の中が明るく 暖かくなった
絵の中で かすかに芥子が揺れた
わたしは思った
始まるのだ もう
いや
始まっているのだ
すべての星が 降ってくる
すべての 星が
ひとびとよ 愛するひとびとよ
あなたがたのために わたしたちは来る
何度でも 何度傷つこうとも
目を閉じると わたしの瞼の裏で
不思議なアリオトの義眼が
小さな星のように くるくると回りながら
青く光っていた