今日もわたしは 小窓の部屋で
書き物をしていた
白い帳面に ことばを書いていくと
時々文字が緑色に光って
虫のように動きだし 帳面の紙から離れて
小窓をぬけてどこへともなく とんでゆく
一体どこへいくんだろうと
考えていると 小窓の向こうで
きれいなガラスの鈴のような
透き通った声がした
ごめんください
アルファ・キグニというものです
わたしはあわてて小窓に近寄り
窓を開けた
そこには静かな星がいた
薄い紺碧のヴェールをかぶり
自分の光をほんの少し押さえている
きっとそのままの自分の光を人に見せるのは
はしたないことだと思っているからだろう
アルファ・キグニは別の名をデネブという
だが星はデネブというより
アルファ・キグニと呼ばれるのを好むと言った
はくちょうの宮の中の 北十字の室で働いております
アルファ・キグニは小窓から中に入りながら言った
そして小部屋の真ん中に姿勢を正して座ると
青い表紙をした 分厚い本をわたしに差し出した
わたしがその本を受け取ると その表紙には
白い十字架が描かれてあり
その十字架の縦横の二本の線が交差しているところには
紫色の透き通った石がはめこまれていた
アルファ・キグニは言った
新しい知恵の本です
あなたはなにより学ぶことが好きですから
喜んでいただければと持ってまいりました
それはもう とわたしは嬉しく言った
よい書物を読むのは大好きだった
新しい知恵を心に食べることは何よりの喜びだった
これでまた おもしろいことを勉強できる
わたしは さっそく本を開いてみた
象牙色の上質の紙の上で
緑色の文字が行儀よく並んでいたかと思うと
文字は一斉に動き出し 小さなつむじ風に巻き込まれたように
舞い上がって いっぺんにわたしの頭の中に入って
わたしの思考の中に溶けてくるのだった
わたしは ああと言った
そしてしばらく
自分の中に起こった変化を注意深く見つめていた
沈黙が長く続いたが アルファ・キグニはじっと待っていてくれた
やがてわたしは 頭の中で
すきとおった言葉を編み
言ったのだ
あらたにも 宮に宿れる 玉の児の 瑠璃のおもひを かなしとおもふ
それをきいたアルファ・キグニはそっと笑い
小さな声で言った
あなたはもう 美しいものしかないところにいなさい
美しいことしか聞けぬところにいなさい
美しいことしか言えぬあなただから
そうなのですか とわたしは言った
けれども ああ 真実の子は産まれてくるのですね
この世に
どんな厳しい運命が待っていようとも
こどもたちは 生まれてきてくれるのですね
すべては 神の御心なれば
アルファ・キグニは言った
そして立ち上がり 別れの言葉を言うと
窓から去っていった
わたしはしばし本を抱いてじっとしていた
悲しみも喜びも わたしの心にはかすかにしか現れなかった
今のわたしは 必要以上に心を動かしてはいけないのだ
だから理屈でのみ理解せねばならない
悲しいことだが そう悲しくは感じない
喜ぶべきことだが そううれしくも感じない
ただ思う
これは真実なのだ
わたしはまた 本のページをぱらりとめくった
薄紅の桜のような文字が行儀よく並んでいた
文字は花吹雪のように紙の上から飛び出して
わたしの頭に飛び込んできた
かすかに暖かい光が わたしの思考の池を
鮒のように泳いでいる
しばしの沈黙のあと わたしはまた歌った
長き夜の 短きことを 君は知る 神は高くも 深きこと知る