「窓際のトットちゃん」を読んだのはもう何十年前のことだろう。
面白かったことはよく覚えている。破天荒だったトットちゃん。
今、もう一度読み返してみようと思った。みんな違ってみんないいらしい今の時代の目でもう一度。
そんな窓際のトットちゃんから42年、待望にしてはいささか待たせすぎの「続 窓際のトットちゃん」が出版された。普段本を読まない母も、これは読みたいとアトレの本屋さんへ買いに行ったら売り切れ中で一冊もなかったそうだ。丸善で買ってプレゼントした。
母が大事に読んだ後、私に廻ってきた。
正直、そこまで期待しないで読み始めたんだけど、とても面白かった。
徹子が何を伝えたかったかがよーーく理解できた。それは徹子が徹子になるまでの冒険の物語なんだけど、この、続の続編が私は早くも読みたい。徹子のNY時代、これはまた別にもう本があるのかもしれないけど。
もう日本で寝る間もなく、売れっ子だった徹子がNYへ芝居の勉強をしに行く決心をした時の文章がとても心に刺さった。それは自分を汽車に喩えたものなんだけど、
”汽車がずっと走ってきたレールから少し外れて、引き込み線へ入るような時間を持ちたかった。引き込み線にじっと止まっている汽車は、レールを走っている汽車からすると、置いてきぼりを食っているようにも見える。たしかにさびしかったり心細かったりもするだろうけど、急いで走っているときには気づかなかった景色も、きっと発見できるに違いない。”
この文章でジーンときた後に、あとがきで泣いてしまった。
思い出して話そうとするとまた涙が溢れてくる。
最近の徹子さんのこと、お化けみたいに思っててごめんなさい。
やっぱりものすごく偉大な女性だった。