ペイジ師匠にとってドラゴンテレキャスは特別なギター
レスポールのイメージが強い氏だが・・
マニアの間ではむしろこのギターを代表に挙げる人も多い
レジェンドには伝説も多い
このギターにも色々なエピソードが詰まっている
このギターの成り立ちには盟友ジェフベックの存在が欠かせない
天才と天才の融合には心惹かれるものがある
ジミヘンとクラプトンも然り・・
ペイジ氏は美術学校の出身なのだ
絵が得意な人は音楽も得意であることが多い
工作とは区別したい
工作が得意な人はギターメンテに足を踏み入れることが多い
使う部分が異なるのだ
絵も音楽も『創造の産物』なのだ
その才能がない人にとって無から何かを創造することは無理なのだ
逆立ちしても努力しても無理なのだ
人間は諦めが肝心だということ
ペイジ師匠は天才なのだ
私も絵が好きだが私がペイントしたらもっと色が増えていると思う
センスがない人は色を塗りすぎてしまう
これは音楽にもいえる
不要な音をどんどんと詰め込んでしまう
少ない音数で最大限に魅力を引き出す
それがプロと素人の大きな違い
素人にも上手いプレイヤーは多い
しかしながら、独創性に富んだ人は少ない
どこまでいっても真似事なのだ
素人ギター弾きにもその人生の大半をコピーで終える人も多い
それでも飽きずにギターを続ける人はマシだと思う
普通の神経ではそんな自分に嫌気が差してしまう
コピー三昧の日々に飽きてしまうのだ
読者の皆さんは如何だろうか?
現在の自分のギターとの向き合い方に疑問を抱く人はまだマシだと思う
伸び代が感じられる
私はいくらギターを弾いても満足できない
自分の音にも満足しない
迷っているのだ
話をドラゴンテレに戻そう・・
このギターとの出会いは大きかった
私のギターライフにおいてアームレスのギターは必須
このサドルとの出会いですべての問題が解決した
ちなみにペイジ師匠はオリジナルのサドルで数々の名演を残した
特にピッチが甘いと感じたことはない
技術(指先のコントロール)の差なのだろうか?
私はオリジナルのサドルを大切に保管しているのだ
いつでも元に戻せる用意がある
良いギターの改造は最小限に留めるべき
これは私の持論なのだ
巷にはかなりの高級ギターでも改造してしまう人がいるようだ
そもそもそのギターを選んだ意味がなくなってしまう
パーツの制約がない価格帯のギターにはストーリーがある
制作者の考えがギターに宿っているのだ
改造を加えることですべてのバランスが崩れてしまう
これは間違いない事実なのだ
このギターは決して高級ではないが計算され尽くしていると感じる
ピックアップのチョイスからすべてのパーツに至るまでストーリーがある
ペイジ師匠の監修の元で試作が繰り返されてきたという
カスタムショップの限定モデルは200万円を超えているそうだ
数量限定だが一切市場に流通しない
ペイジファンの本気を感じる
生粋のギター好きには信念があるのだ
一本筋が通っているものなのだ
読者の皆さんも一生付き合える相棒に出会っていただきたい
欲しいギターがあるならば迷わずに買った方がよい
すぐに飽きて売り買いするくらいなら買わない方が良いと思う
大事な部分はそこなのだ
ギターの購入金額ではないと思う
一生使っていけるならば数十万円のギターも悪くない
インドア派であるギター弾きの多くは意外に無駄遣いしない
ギター以外にお金を使うことが少ない
日々頑張っているのだ
自分へのご褒美も悪くないと思う
頑張っていない人はもう少し頑張ってから買った方が良いと思う
我慢は体に毒なのだ
まったく我慢出来ない人も考えものだが・・
良いギターに出会うと人生が変わる
良いギターとは何だろう?
”良いギター=値段が高いギター・・”
申し訳ないがあまりにも発想が貧困過ぎる
良いギターとは自分に合ったギターという意味
そのギターを抱えることでイメージやパフォーマンスが広がるギター
そういう意味なのだ
それが廉価なギターも構わないと思う
自分に合っているならばそれで良い
身の丈に合わない高価なギターに苦戦している人を見ると痛々しさを感じる
自己満足の世界から抜けきれない苦しさを感じる
メーカーの都合が良いカモになっている
まぁ、そう層が市場を支えていることも事実
メーカーや楽器店にとっては上客なのだ
お金を使わない人には興味がない
お金を使ってくれる客さんこそが良い客という理論が成り立つ
良いギターと機材があれば良い音が出ると確信している
所謂、その手の都市伝説はいまだに根強く残っている
意外にもレジェンドたちが愛用したギターは普通なのだ
今でこそヴィンテージなどと呼ばれているが当時は普通のギターだった
後に成功して高価なギターを手に入れるもメインで使うは普通のギターなのだ
このドラゴンも59年製の普通のテレキャスだった
ペイジ氏の手によって伝説のギターに昇華した
ヤードバーズの時代からテレキャスを愛用していた
ツェッペリンの初期にはすべてこのギターとスプロの小型アンプで演奏した
ライブもレコーディングもすべてこのギターだった
ピックアップや配線なども無改造だったようだ
改造は塗装を剥いでペイントしたこと
ステージで目立つ為だったと語っている
ミラーを貼り付けた時期もあった
ミラーボールのような効果を狙ったようだ
ペイジ好きの私もミラーを貼り付けたいとは思わない
ステージのプロの真似をする必要はない
しかしながら、このドラゴンのペイントには心惹かれる
テレキャスが好きというよりはこのギターが好きなのだ
所謂、生粋のテレキャスのキンキンした音は苦手なのだ
黒テレもこのギターを基準にセットアップしているのだ
結果的に廉価な材が太くマイルドな音を送出することになった
テレキャスの音は太いのだ
アームレスということでレスポールと比較されることも多い
そもそもハムとシングルでは異なる
シーンによってはハムの音が埋もれてしまうことも多い
色々な意味で太いシングルが有効であることをペイジ氏は知っていたのだ
後にこのギターはロック系で用いられるテレキャスの基準になった
単音のリフに対応できるテレキャスは色々な場面で便利なのだ
レスポールで抱えていたモヤモヤした感情を払拭することができた
ペイジ氏もこのギターにダダリオを張っていた
時期によってアーニーボールと使い分けていたようだ
ひとつ言えることは天才は普通を好むということ
道具に変化を求めない
これはジミヘンやクラプトンなどの他の天才にも共通している
天才や達人は凝った道具を嫌う
意外にも素を好む
クラプトンなどは一時期はアンプに直で弾いていたそうだ
ジミヘンもペイジ師匠も極力エフェクトを好まない
現代のプロにもいえるが派手なペダルボードを好む人ほど上手くない
すべてが機材頼みなのだ
何をもって上手いと判断するかは微妙だが・・
個人的にそういうスタイルは好きではないということ
シンプルな機材から繰り出される多彩な音に心惹かれる
憧れるのだ
ギター弾きは自分自身が楽器の一部であるべきだという持論がある
徹底的に弾き込んだ先に待っている至福の時間を夢みて日夜ギターを弾いている
ペイジ氏がレスポールに移行した流れには諸説ある
ジミヘンの存在が大きかったようだ
友人であるクラプトンもジェフベックもジミヘンを真似るようにストラトに持ち替えた
それまではギブソン派だった
詳しくはネットで検索してみていただきたい
ハムバッカーで数々の名演を残した
ジミヘンの出現はそれらをすべて超えてしまった
すべての原点は真似から始まる
ジミヘンに憧れてストラトを使ったことは良かったと思う
各々の進化を遂げるのも天才の証
単なる真似事にならない偉大さを感じる
一方でペイジ氏はそんな流れに反発したのだ
そもそも氏はフェンダー派なのだ
シングル好きだった
「ジミヘンがフェンダーなら俺はギブソンを使う」
天才が故の意地なのだと思う
後に氏はレスポールのローをカットした仕様に変更した
独自のピックアップの配線レイアウトを編み出した
現在では多彩な配線の組み合わせが存在するが当時は珍しかった
ストラトのセレクターが3ポジションだった時代なのだ
要するにレスポールのルックスでシングルのような音を狙った
氏が目指していた音は紛れもなく音が太いドラゴンテレだった
天才ジミヘンをリスペクトしながらも微妙に反発心を抱いていた
そんな心の表れがギター選びに出ているのだと思う
そこまで踏み込んでギターを知るとより楽しさも増す
自分が何故そのギターが欲しいのか?
何故そのギターが必要なのか?
それが言い当てられない段階では購入は尚早だといえる
買い物行動にもそれなりに理由付けが必要なのだ
理由が明確ならば財布の紐も緩む
自分が進むべき道が決まれば散財も終わる
良い音は独創的な発想から生まれるのだ
闇雲に機材を買い換える前のレジェンドの伝記でも読んだ方が良い
私は迷うと常々そう自分に言い聞かせているのだ