昨日に引き続きブログの結果をご報告したい
訪問者数7,547人(3,074,109人中10位)
閲覧回数15,681回
という結果だった
昨日は一昨日の流れで多くの読者の方々にご訪問いただいた
まぁ、このまま落ち続けていつもの数字に落ち着くのだと思う
もう少しだけ夢をみさせていただきたい
頑張ってきた成果が現れる瞬間は本当に嬉しい
”継続は力なり・・・”
何事にもいえるのではないだろうか?
まさにそんな言葉が頭に浮かんでくる
ギターもブログも一夜にして成り立つことはないということだと思う
ギターでもブログでもそれを義務だと思えば続かない
私は楽しんで続けているのだ
特にギターに関しては自分でも分かるほどにリラックスしている
レスポールと決別したことで良い意味で肩の荷が下りたのだ
ギターとの相性は少なからずあると思う
巷の人気ギターとは関係ないと考えるべきだと思う
自分が欲しいと思うギターとも区別したい
足の形が異なるように指の長さや太さも違う
万人に弾き易いギターは存在しないということ
私にとってここ数年の気付きは
”テレキャスターとの相性の良さ・・”
テレキャスのボディ形状が合っていると感じる
このギターの前に使っていた白テレキャスも弾き易いギターだった
廉価なギターが故にネックは薄い
ヴィンテージを模したモデルの多くは丸太のようなネックを採用する
速弾きもカッティングも奏法として認識されていなかった時代に作られた
何でもかんでも古い時代のものが良いと言う人も多い
何となく言いたいことは理解できる
飾って楽しむ、持っていることに満足を感じるならばそれで良いと思う
実際にメインで使うということになると少々話は違ってくる
テレキャスは何故弾き易いのか?
レスポールと同様にコンター加工もエルボー加工もない
大きな違いはボディの厚みとボディエッジの面取りだと思う
テレキャスは角が丸いのだ
一方のレスポールはかなり角ばっている
私は肋骨に当たる部分にタオルを挟んで弾いていた
私が使っていた個体はボディの前後バランスも悪かった
無意識に弾いていると『尻下がり』になってしまう
『ヘッド落ち』の逆の状態なのだ
度を過ぎれば、どちらもかなりのストレスになる
演奏中にはその他にも行うべき作業が山積しているのだ
演奏技術に余裕がある匠を除いては多くの場合に負担になる
いまだにレスポールをメインのギターにしている人もチラホラといるようだ
「レスポールって弾き難くない?」
と質問してみたい
まぁ、太った人、痩せた人、手が長い人、手が短い人・・・
千差万別、色々な人がいるのだと思う
繰り返しになるが私との相性は悪かった
眺めていてカッコいいということは私も認める
壁に飾っておきたくなるギターなのだ
ギター図鑑で眺めるのも良いと思う
車でも自転車でもギターでも『毎日使い』が大事だと思う
用途や目的を考えて購入すると良いと思う
私はどんな製品も『使う』ということを前提に選んでいるのだ
その中に自分の趣向や好みを少し加えているという感じ
実用性が7割くらいが趣味としては丁度良いと思う
実用性で考えるならば、ギターは10万円未満で良いと思う
プロならばいざ知らず・・
私を含めた素人にはそれを超える価格のギターは
オーバークオリティだといえる
私にとってはUSA製のストラトもドラゴンもプチ贅沢品なのだ
趣味において贅沢のすべてが悪か?と問われれば答えはNOだと思う
趣味には多少の色気のような物も必要だと思う
それに触れることで明日への活力が漲るならばそれも正義だといえる
倹約&節約で生活している知り合いがいるのだが見ているこちらが息苦しくなってくる
散財や無駄遣いも微妙だが・・
丁度良いバランスを見極めるのは思ったよりも難しい
私はアコギも好きだが完全に道具という意識で選んでいるのだ
私は4万円台で買った
意外にも人気があるようで中古でも市場に流通しない
新品で10万円超えで販売しているショップを見かけたことがある
ネットの値段は常に流動的だと感じる
値段があってないようなもの
ケースが付属していなかったので別途で購入した
見た目は立派だが激安のハードケースなのだ
使い勝手は悪くない
某メーカーの高級ケースをコピーしているのだと思う
留め金の数や位置などが微妙に異なる
値段が高い製品には必ず理由がある
それを販売する側も自信を持って長所をアピールしてほしい
某メーカーの高級ケースはある部分が良く壊れるという
どのケースも同じ部分が壊れるのだ
問題はそれを放置しているメーカーと販売店にあると思う
「修理すればいんでしょ?」
は通用しない
今の時代は光のような速さで情報が拡散される
ネットの時代に生きているということを自覚すべきなのだ
「あそこのケースって値段は高いけど壊れ易いみたいだぜ」
悪い噂ほど早く広く広がってしまうものなのだ
私も当ブログでは酷評の類いは避けているのだ
実際に買った製品の中には酷い物も少なくなかった
それは心の中に留めておくことにしている
良い物はこの場をかりて積極的に紹介しているのだ
「初心者にはどんなギターがお勧めですか?」
という質問を受けることがある
私は迷わず『フェンダー』を勧める
フェンダーブランドには信頼感がある
姉妹品であるスクワイヤーにもフェンダー魂が息づいている
とにかく信頼できるブランドなのだ
メキシコ製のドラゴンを経験したことでそれが確信に変わった
最近では本家を凌駕するほど技術が向上しているという
本国の腕利きのマイスターが現地に派遣されているという
製造過程から出荷にいたるまでを厳しくチェックしているという
先に述べた某メーカーの壊れ易いケースとは真逆なのだ
優れたメーカーは悪いイメージが拡散することを知っているのだ
人の噂も同じ
良い噂は意外に広がらないが悪い噂は想像の倍で広まってしまう
世の常人の常なのだ
人間は悪い噂が大好物なのだ
困ったことだがそれが事実なのだ
他人の悪口を意気揚々と書いている人は微妙・・
そんな姿を想像するだけで背筋が寒くなってしまう
読者のみなさんにはそういうことはないと思うが十分にご注意いただきたい
ある本で有名なが学者が言っていた
「毎日感謝の気持ちを持って生活すると良いと思う」
「どんなに些細な事にも感謝を抱くことが大事だ」
まぁ、そんなような内容だったと記憶している
何が起こるのか?
不思議なことに風が良い方向に吹いてくるという
幸運が知らぬ間に舞い込んでくるというのだ
私はこの考えに賛同しているのだ
愚痴を言っても一日、悪口を言っても一日・・
同じ一日ならば良い時間を過ごしたい
発散が苦手な人がいることも事実
溜まったストレスが歪んだ形として噴出してしまう
目はつり上がり、肩の筋肉はガチガチ・・
そんな状態でギターを弾いたらどうなるのか?
「あぁ~ なんでイイ音が出ないんだよ~」
「このギターがダメなんじゃねぇ~のぉ?」
「このアンプがダメなんじゃねぇ?マジで」
私はこのような状態を『負のスパイラル』と呼んでいる
こういう場合には何をやってもダメなのだ
すべてが裏目に出てしまう
私にも経験がある
ギターや機材を買っては売りを延々と繰り返す
病んでいたのだ
心理学において『買い物行動』は重要な位置づけだとされている
ストレス発散行動のひとつだという認識があるようだ
ストレス食いなども同じような仲間なのだろうか?
どか食いには限界があるが買い物には終わりがない
場合によってはローンに手を出すことも十分に有り得る
心が弱い人は要注意なのだ
ある朝、夢の中にギターの神様が降りてきた
「お前のギターが下手なのはギターのせいじゃないぞ」
「もっと練習するんだ もっと頭を使って練習するんだ」
良く覚えていないが・・・
そんな内容の言葉だったような気がする
起きた後にギターが上手くなっているはずもないが・・
何となくギターのネックを握った感じが違っていたことを思い出す
頭をクールダウンして色々と考えた
ギターや周辺機材の断捨離を始めたのもこの頃だったと記憶している
何故そのギターを買ったのか? 何をきっかっけで購入に至ったのか?
実は曖昧な部分も多かったりするのだ
長いギターライフにおいては浮き沈みがある
ギターを置いて冷静に考えてみることも大事だと思う
何も考えないで練習することは何もしていないことに等しい
良くある話なのだ
弾いていればそれなりに進歩や技術の向上はあるのだろうが・・
それを思うほど実感できないことが多い
人間が成長するにあたり大事なことは成果を感じること
成績が上がればさらに勉強する気も起きる
営業成績が上がれば、周囲の人間の見方や接し方も変わる
イケメンがモテるのは30歳くらいまでだと思う
能力がない中年おじさんは堕ちていくものなのだ
ギターにも同じような匂いを感じることがある
頑張ってギターを練習して上手くなれば美味しい話も舞い込んでくる
イケメンではない残念な中年おじさんにも十分に勝機があるのだ
楽器の良いところは万人に平等であるところだと思う
そこそこお金が自由になる人が上手くなるという保証はない
お金が厳しい庶民が上手くならないということもない
ギターと寿命は平等なのだ
そんな潔さに惹かれて私はギターを続けているのだ
成果が見えるところも良い部分だと思う
ここ最近は褒められることが多くなった
廉価なギターをメインに使うようになってからなのだ
「え~ そんなに安いの?」
ギターを知り過ぎたベテランには廉価のギターは眼中にもない
ある意味で盲点なのだ
”値段が高いギターは良い音がするんだ・・・”
まるで呪文のように頭に刷り込まれているのだ
自分の経験なのだろうか?
信頼できる誰かの言葉なのだろうか?
値段が高いギターが優れていることは当然だと思う
しかしながらギターの値段と性能が比例するか?は微妙だと思う
ここでいう性能とは弾き心地や出音など色々な要素を含む
私は他人が所有する値段が高いギターを弾かせてもらう機会が多い
恵まれた環境にあると感謝しているのだ
買いもしない高額なギターをガチャガチャと弾くのは人間失格
こういう人が少なくないのも現実の話
楽器店の悩みのタネでもある
”お客様は神様です・・”
という時代は終わったように感じる
値段が高いギターは常に優れているか?
これに関しては眉唾ものだといえる
弾き方や個体差など状態にかなりの差がある
『ん? これで80万円のギターなの?』
心の中で呟くことも多々ある
日本人はとにかく見栄の塊なのだ
どこの大学の出身か? どこの会社の勤めているか?
年収はいくらくらい?
そんなことが価値基準になっている人も多い
そんな人がギターを趣味にしたらどうなるのか?
私の周囲にもそんな人が少なくない
最終的にはギターを買って満足してしまうのだ
というか、それしか選択肢がないのだ
それに気づいた頃には後の祭りなのだ
一度良い楽器を手にした人が原点に立ち返ることは無理
ギターを始めた頃の純真な気持ちに立ち返ることは難しい
そんな見栄や意味のないプライドが技術の向上を妨げているのだ
他人の良いアドバイスに耳を傾けることが出来なくなっている
”我が道を行く・・”
我が道が正しいならば何の問題もない
間違っている場合にはそれを軌道修正できない
他人から何かを言われる(注意やアドバイス)うちが花だと思う
期待しているからこそ何かを言うのだ
少なくとも私はそういう考えて生きている
向かうべき道を見失ったギター弾きは見ていて痛々しい
読者の皆さんは如何だろうか?
部屋のギターたちを見回していただきたい
自分との相性はどうだろうか?
「このギターは何年も使ってないなぁ・・」
断捨離をお勧めする
良い意味での身辺整理はギター向上の鍵になる
整理が出来ない人は片付けが出来ない人
ゴミ屋敷とは言わないが・・
部屋の至るところに不要な物が埃を被っているのだ
埃を被った過去の誇りもこの際に捨ててしまうのだ
片付けられない人は考えを整理出来ない人
ギターテクの向上のプロセスが組み立てられない人
ダラダラと目的もなく今日もギターを弾いてしまう
時間の無駄、電気代の無駄なのだ
少し厳しい表現になってしまったが・・
これは事実なのだ
ギター弾きのあるある話なのだ
不要なギターをまとめ売りして気にいったギターに一本化するのもお勧め
値段が高いギターというよりは自分に合ったギターという感じ
本気で探すならば試奏は必須
特にネックを徹底的に握っていただきたい
極端な話、弦を弾かなくても分かるのだ
楽器店でも下手な人に限って試奏が長い
店員さんもイライラしているのだ
そして買わないのだ
「えっと・・ もう少し考えてみます・・」
買う気がないのか? クールダウンしているうちに冷静になるのか?
そういう人が再び来店して購入に至るケースは少ない
本気でギターを買う人は即決が多い
気持ちを決めて来店しているのだ
後は抱えた感じと雰囲気なのだ
リアルには画像では伝わらない質感がある
私もそんな質感に何度もKOされた一人なのだ
楽器店の雰囲気に飲まれてしまうのだ
それも良い経験だと思う
家で弾いてみると思ったほど良くないことも多い
逆に気楽にポチった廉価のギターが思ったよりも良いことも多い
謎なのだ
ギターの奥深い部分なのだ
まだまだ解明しなくてはならないことが多いと思う
先が見えないことはある意味では幸せだと思う
「あぁぁ~ このギターに飽きた~」
「もっといいの買うわ~ ネット検索する~」
ギター弾きの脳内も奥深い・・
ギターは楽し・・😉