西鉄ライオンズ(現・西武)のエースで知られていた、稲尾和久さんが13日午前、悪性腫瘍のため福岡市内の病院で逝去されました。70歳でした。
稲尾さんは、昭和31年(1956年)に西鉄ライオンズに入団。デビュー年で21勝を挙げ新人王獲得。昭和33年の日本シリーズでは、巨人に3連敗の後自らの4連投で4連勝、シリーズMVPにも輝き、西鉄の日本一に大きく貢献しました。西鉄ファンに「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた稲尾投手は、翌年は20連勝、3年連続で30勝以上とスーパーエースぶりを充分に発揮。昭和36年(61年)には年間42勝をマーク。現在では考えられない勝利数でした。
1969年、稲尾さんは14年間の現役生活にピリオドを打ち引退、通算成績756試合276勝137敗、生涯防御率1.98(歴代3位の数字)。現役時代は最多勝4回、奪三振王3回、最優秀防御率5回、年間最優秀選手2回と「鉄腕」の名に相応しい偉業でした。
引退の翌年に西鉄の監督に就任しましたが3年連続で最下位。太平洋クラブでも2年連続4位。ライオンズでは一度もAクラスになれないまま辞任しました。1984年から3年間、ロッテオリオンズの監督に。最初の2年間は2位の好成績でしたが、3年目の86年には4位、Bクラス転落の責任をとって辞任。
監督業を離れてからは野球解説者、マスターズリーグ・福岡ドンタクズの監督、日刊スポーツ野球評論家を務めました。日刊スポーツでは福岡ソフトバンクホークスに檄を飛ばすようなコラムを記載しておりました。
福岡ドームが完成した平成5年、稲尾さんは野球殿堂入りを果たします。今年になってからは、10月に別府市内で「稲尾記念館」がオープン。稲尾さんも現地に駆けつけ元気な姿を見せましたが、30日に体調不良を訴えて入院。12日未明に容態が悪化、13日午前1時21分帰らぬ人となりました。
突然の訃報を聞いて「マジで?」というのがありましたが、死因が悪性腫瘍、つまりガンだとわかってショックでした。最期まで九州野球を発展し続けた功労者というイメージが強く、ホークスを応援し続けた方だったので非常に残念です。
稲尾さんの急逝は、福岡の野球に一つの時代が終わったような気がします。あなたは昭和の偉大なる大エースでした。福岡ソフトバンクホークスファンとして心よりご冥福をお祈りいたします。そして、天国でもホークスを応援してください。