

先日まで開催された大相撲初場所は、大関・稀勢の里(田子ノ浦部屋)が初優勝を果たしました。千秋楽では横綱・白鵬を下し、14勝1敗の成績で終了。その翌日の横綱審議委員会で、稀勢の里の横綱昇進の審議が行われ、満場一致で推薦することを決め、25日の春場所番付編成会議の臨時理事会で横綱昇進が正式に決定されました。「第72代横綱」となった稀勢の里、伝達式での口上で何を語ったのか?
横綱昇進の伝達式は、田子ノ浦部屋ではなく東京・帝国ホテルで実施(部屋が狭いため)。使者役の高田川親方が「大関・稀勢の里を満場一致で横綱に推挙されました」と伝えると、稀勢の里は「謹んでお受けいたします。横綱の名を恥じぬよう、精進いたします。本日は誠にありがとうございました」と述べました。
伝達式を終えた後の記者会見で、稀勢の里は「より一層気が引き締まった」と心境を語り、口上については「自分の今の気持ちをそのまま伝えた。緊張のあまり噛んでしまった」と反省していました。伝達式に同席してい父親は、「シンプルで彼らしい口上だった」と褒めておりました。
理想の横綱像の質問には「みんなから尊敬されるような横綱になりたい。もっと稽古して強くなりたい」。横綱としての抱負は「横綱となった以上は負けられない。毎場所優勝争いに加われる力士になりたい」と誓いました。
「詰めが甘い」、「ここ一番の時に勝負弱い」と言われ続けて来た稀勢の里関が、念願の横綱昇進。初土俵から15年もかかりましたが、やっと夢を叶えましたね。伝達式での口上で「不惜身命」や「不撓不屈」、「精神一到」といった四字熟語を使うかと思われましたが、非常に分かりやすい内容となりました。1999年の三代目・若乃花(現・花田虎上=まさる)が横綱に昇進して以降は、ハワイ出身の武蔵丸、モンゴル出身の朝青龍に白鵬、日馬富士、鶴竜と外国人横綱が続きましたが、19年ぶりに日本出身の横綱が誕生しました。
初場所までは、横綱はモンゴル人力士の3人でしたが、稀勢の里が加わることで「4横綱」に。若貴兄弟と曙と武蔵丸の時以来(1999年7月~2000年3月)ですね。「若貴時代」の大相撲はかなり面白かったけど、それに匹敵する位の「相撲ブーム」が来ています。横綱が4人もいると、優勝争いが激しくなるかもしれない。その一方で、誰か1人は休場する、さらには1年前後で引退することも…。初場所では鶴竜と日馬富士が途中休場しましたが、3月の春場所では全員皆勤で終えてほしいところだ。
稀勢の里が所属している田子ノ浦部屋では、稀勢の里が横綱土俵入りの時に使われる「綱」をつくる作業が行われ、この日は綱の材料となる麻を揉みほぐす「麻もみ」をやっていました。麻もみを終えると、翌日は「綱打ち」所属力士が総動員で綱を完成させます。
「主役」の稀勢の里は、の芝田山親方(第62代横綱・大乃国、スイーツ親方でお馴染み)の指導の下、土俵入りの練習。本人は雲竜型を希望しているそうです。
新横綱のお披露目となる明治神宮での横綱土俵入りは、27日に実施されます。平日だけど、新横綱目当てに大勢の観客が殺到しそうですね。初めての土俵入りで緊張するかもしれないけど、ノーミスで終えてほしい。
初場所優勝をきっかけに始まった「稀勢の里フィーバー」、横綱昇進でさらに加熱する勢いです。新横綱として迎える春場所でも期待がかかります。昇進後にいきなり優勝したのは、1995年初場所の貴乃花が最後です(13勝2敗)。「横綱の先輩」である日馬富士と鶴竜は、昇進後の場所で共に9勝6敗と苦戦。白鵬は11勝4敗、朝青龍と若乃花は10勝5敗でした。稀勢の里は春場所で優勝争いに加われるか?横綱の重圧に負けないでもらいたい。




