ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版 第8回 行政裁量論(その1)

2015年06月29日 10時12分26秒 | 行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版

 はじめに

 今回の内容については、私の「租税法における行政裁量」『税務行政におけるネゴシエーション(日税研論集65号)』(2014年、日本税務研究センター)233頁もお読みいただければ幸いである。

 

1.裁量(Ermessen)の意味

 最近では、マスコミなどにおいても裁量という言葉が一般的に使用されている。かつて、田中二郎博士は、行政法の真髄は裁量であると言われたという。それほど、行政法において、裁量は重要な意味を与えられている。

 そして、裁量は、行政法において基本的な事柄(?)でありながら、最も難しい問題の一つでもある。もっとも、これは、日本の教科書において裁量という言葉そのものに対する説明がないことにもよるのかもしれない。私が学部生であった頃、日本語の行政法学の教科書で裁量について初学者向けにわかりやすく説明したものは皆無であった。むしろ、ドイツ語の行政法学の教科書のほうが、説明としては丁寧かもしれない。実際、日本でも定評のあるHartmut Maurer, Allgemeines Verwaltungsrechtには図による説明が掲載されており、これによって私はようやく意味を理解したほどである※※

 ※以前、「現在も事情はそれほど変わらない。これでは教科書が売れなくなる訳である」と記したが、最近の教科書では裁量の意味などについて解説がなされているものが増えている。良い傾向である。

 ※※但し、現在のドイツ行政法学においては、後に取り上げる効果裁量のみが認められており、要件裁量を認める日本の行政法学とは異なっていることに、深い注意を必要とする。ドイツにおいては、学説も判例も要件裁量の存在を否定するのが一般的である。これは、裁量を認める範囲を限定しようとする意図から生じているのであろう。これとは対照的であるのが、日本の行政法学であり、判例である。とくに、これまでの行政法学は、行政裁量を統制する必要性を説きながらも、(少なくとも結果的には)判例に追従する形で、行政裁量が認められる範囲を広げてきた。

 また、裁量は、これ自体は行政作用でも何でもないが、行政法学においては、古くから行政行為(行政処分)について説明がなされてきたものである。現在においても、行政裁量論を行政行為(行政処分)の箇所において扱う教科書が少なくない。しかし、憲法学から明らかなように、裁量は、何も行政行為(行政処分)の専売特許ではない。憲法学においては立法裁量が登場するし、行政法学において、裁量は行政立法、行政指導、行政契約、委任立法などにおいても登場する。

 ここで、裁量という言葉の意味を説明しておくこととしよう。まず、国語辞典を開いて欲しい。私があの『広辞苑』とともに使用してきた、西尾実=岩淵悦太郎=水谷静夫編 『岩波国語辞典』〔第5版デスク版〕(1994年、岩波書店)432頁によると、裁量とは「自分の意見でとりさばき、処置すること」である。次に、法律学辞典を参照しよう。やはり私が長らく使用してきた、竹内昭夫=松尾浩也=塩野宏編『新法律学辞典』〔第5版〕(1989年、有斐閣)669頁によると「国家機関の判断又は行為が法の認める範囲内で法の拘束から解放されることを広く自由裁量という」。

 もう少し簡単に言うならば、裁量とは、法(主に法律であるが、憲法などによる場合もある)によって国家機関に与えられた判断や意思形成の余地のことである。

 例えば、Xという事実が存在し、それに対して考えられる適法な法的効果としてA、B、Cがあるとする。その際、行政庁は、どの法的効果が適切であるかを選択するという判断をする権限が与えられることがある。この場合、行政庁は、違法な法的効果Dを選んではならないが、A、B、Cのいずれの効果を選んでもよい(適法である)。A、B、Cの中からの選択において問題となるのは、違法性の有無ではなく、当・不当(妥当性・不当性)に留まる。そして、裁量行為とは、行政庁に裁量が与えられ、その裁量の結果としてなされた行為のことである。

 これに対し、Yという事実が存在し、それに対して考えられる適法な法的効果がEしか存在しない場合には、そのEをもたらす行為をしなければならない。こうした行為を羈束行為という。この場合、Fという法的効果をもたらせば、違法である。

 さて、以後の説明との関連もあるので、ここで不確定概念を取り上げておく。不確定概念が往々にして行政庁の裁量につながり、慎重に扱うことが求められているからである。もっとも、不確定概念が用いられているからといって行政権に裁量が認められるとは限らないことには、注意が必要である。

 法律の条文には、よく不確定概念が用いられる。これは、抽象的・多義的な概念のことである。本来、このような概念を用いないことが望ましいのであるが、現実には用いざるをえない場合が多い。不確定概念の例として、「正当な理由」(国税通則法第65条第4項など)、「必要があるとき」(国税通則法第74条の2第1項など)〔以上は経験概念を内容とする〕、「公益上必要のあるとき」(これは目的概念あるいは価値概念の例)がある。

 ●最三小判平成9年1月28日民集51巻1号147頁(Ⅱ―210)

 YはX所有の土地について収用裁決を申請したが、この土地については賃借小作権の存否に関する争いがあったので、収用委員会は小作権割合を4割とする不明裁決を行った。問題となったのは土地収用法第71条に規定される「相当な価格」の意味であるが、最高裁判所第三小法廷は、これを不確定概念であるとしながら、「通常人の経験則及び社会通念に従って、客観的に認定され得るものであり、かつ、認定すべきものであって、補償の範囲及びその額(中略)の決定につき収用委員会に裁量権が認められるものと解することはできない」と述べた。

 なお、この判決は、土地収用法における損失補償について完全補償説を採用したものとしても重要である。

 

 2.要件裁量と効果裁量

 一連の行政過程のうち、いずれの段階において行政権に裁量が認められるかという観点に立つ場合、要件裁量と効果裁量との区別が語られてきた。

 要件裁量とは、行政行為の根拠となる要件の充足について、行政庁が最終認定権を有する場合の裁量である。具体的には、認定された事実を(行政行為の)構成要件にあてはめる段階での裁量である。この段階にのみ裁量の余地を認めるのが、戦前の佐々木説(京都学派)であり、要件裁量説ともいう。

 これに対し、効果裁量とは、行政行為をするか否か、するならばいかなる行政行為をするかということについて、行政庁が最終認定権を有する場合の裁量である。この段階にのみ裁量の余地を認めるのが戦前の美濃部説(東京学派)であり、効果裁量説ともいう。

 要件裁量説に立てば、効果裁量はいかなる場合であっても認められないことになる(認める必要がないということであろう)。逆に、効果裁量説に立てば、要件裁量は認められないことになる。美濃部達吉博士は、行政行為(処分)の性質や、自由裁量・羈束裁量の区別との関連において、効果裁量についての三原則を提唱した。それによると、(1)「人民」の権利を侵害し、負担を命じ、またはその自由を制限する「処分」は、いかなる場合でも自由裁量行為ではない、(2)「人民」に新たな権利を設定し、その他「人民」に利益を供与する「処分」は、法律がとくに人民にその利益を要求する権利を与えている場合を除いて、原則として自由裁量行為である、(3)直接に「人民」の権利義務を左右する効果を生じない行為は、法律がとくに制限を加えている場合を除いて、原則として自由裁量である。

 判例はいかなる傾向を示しているのであろうか。戦前は効果裁量説に立っていたようである。戦後も、例えば最二小判昭和31年4月13日民集10巻4号397頁は、効果裁量説に立ちつつ、農地調整法第4条(昭和24年改正前)の規定は自由裁量を認めない趣旨であると述べた。この判決は要件裁量を否定したものであると理解されている。

 しかし、判例は、不確定概念との関係において要件裁量を認める傾向を強めている。そのため、近年において、要件裁量・効果裁量の区別はそれほど重要ではないとも言いうる。

 ●最一小判昭和36年4月27日民集15巻4号928頁

 事案:Y市立A中学校教諭であった原告Xは、Y市教育委員会からB中学校への転補処分を受けた。しかし、Xは、処分が違法であるとしてBに移らず、Aに留まった。Yは職務命令を発したがXが拒否したので、Xを懲戒免職処分に付した。Xは、この処分の取消を求める訴訟を提起した。いくつかの問題があったが、紹介処分に関する教育委員会の開催の告示が開始30分前になされ、しかも非公開であったことが、旧教育委員会第34条第4項にいう「急施を要する場合」に該当するかということなどが争点の一つであった。

 判旨:最高裁判所第一小法廷は、「急施を要する場合」についてY市教育委員会委員長(会議の招集権者)の要件裁量を認めた(高裁判決と逆の判断)。

 なお、この裁量は、後に取り上げる覊束裁量であると解すべきであろう。

 ●最大判昭和53年10月4日民集32巻7号1223頁(憲法判例としても有名なマクリーン事件、Ⅰ―80)

 事案:アメリカ人の原告Xは、在留期間を1年とする許可を受けて日本に居住した。Xは1年間の在留期間更新を申請したが、彼が在留期間中に無届で転職したこと、政治活動を行ったことが理由となり、Y法務大臣は申請を拒否する処分を行った。この事件では、当時の出入国管理令第21条第3項にいう「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り」という文言が問題となった。

 判旨:最高裁判所大法廷は、まず、在留外国人の在留期間の更新が権利として保障されるものでないと述べ(出入国管理令第21条が根拠とされる)、在留期間の更新について法務大臣の広汎な要件裁量を認めた。また、法務大臣の判断が「全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があったものとして違法となるものというべきである」とも述べている。

 この判決についての評価は少々難しいが、在留期間の更新が権利として保障されるものでないとする点において効果裁量説的な要素を持ち、美濃部三原則に従っているようにも見える(実際、効果裁量を否定している訳ではなかろう)。しかし、基本的には要件裁量を正面から認めるので、裁量の所在という点では佐々木説に立っているということになる。

 ●(専門的・技術的裁量) 最一小判平成4年10月29日民集46巻7号1174頁(伊方原子力発電所訴訟、Ⅰ―81)

 事案:某電力会社が核原料物質等規制法に基づき、内閣総理大臣に原子力発電所設置許可の申請を行い、内閣総理大臣は設置許可を行った。これに対し、近隣住民などが設置許可の取消を求めて取消しを求める訴訟を提起した。

 判旨:最高裁判所第一小法廷は、要件裁量という言葉こそ使わないが、原子炉施設設置許可について「各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的判断にゆだね」られると述べた。さらに「原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてなされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきである」と判示し、実質的に裁量を認めている(原子力委員会や原子炉安全専門審査会という存在の意味が大きい)。

 専門的・技術的裁量は、主に要件裁量の段階において認められることになる。もっとも、本件の場合、内閣総理大臣に効果裁量が与えられているようにも解されるが、その前提が「原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断」にあることから、要件裁量も認められるという構造になっているのであろう。

 ●(やはり専門的・技術的裁量) 最三小判平成5年3月1日民集47巻5号3843頁(家永教科書第一次訴訟、Ⅰ―82①)

 最高裁判所第三小法廷は、教科書検定において「学術的、教育的な専門技術的判断」が求められることから文部大臣(当時)の合理的な裁量に委ねられるとした。しかし、「合否の判定、条件付合格の条件の付与についての教科用図書検定調査審議会の判断の過程(検定意見の付与を含む)に、現行の記述内容又は欠陥の指摘の根拠となるべき検定当時の学説状況、教育状況についての認識や、旧検定基準に違反するとの評価等に看過し難い過誤があって、文部大臣の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、右判断は、裁量権の範囲を逸脱したものとして、国家賠償法上違法となるものと解するのが相当である」と述べた。

 この判決においては、結局、裁量権の行使が違法と判断されたことになる。

 ●(清掃計画と裁量)  最一小判昭和47年10月12日民集26巻8号1410頁(Ⅰ―78)

 事案:浄化槽清掃業を営むXは、市長Yに対してH市における汚物処理業の許可申請を行ったが、Yは不許可処分をした。Xは不許可処分の取消しを求めたが、最高裁判所第一小法廷は、Xの請求を認めた東京高等裁判所判決を破棄し、事件を同高等裁判所に差し戻した。

 判旨:市町村長が許可を与えるか否かについては「清掃法の目的と当該市町村の清掃計画とに照らし、市町村がその責務である汚物処理の事務を円滑完全に遂行できるかどうかという観点から、これを決すべきものであ」り、市町村長の自由裁量に委ねられている。

 以上の事例は、要件裁量が認められたものである。しかし、判例の立場が効果裁量説から要件裁量説に移ったという訳ではない。

 ●(学生に対する処分) 最三小判昭和29年7月30日民集8巻7号1501頁

 某公立大学の学生は、A教授の解雇反対を主張して教授会の会場に入り込み、退場を求められたが拒み、大声で発言を続けて教授会を流会させた。このため、学長はこの学生を放学処分に付した。最高裁判所第三小法廷は、学生について懲戒処分を発動するか否か、懲戒処分のうちのいずれの処分を選ぶかを決定することが懲戒権者の裁量に委ねられていると述べている。

 学生に対する懲戒処分は、次に示す例とともに効果裁量が認められる典型的な事例であるといえる。

 ●(公務員の懲戒処分)  最三小判昭和52年12月20日民集31巻7号1101頁(神戸税関事件、Ⅰ―83)

 事案:税関の職員だった被上告人3名は、組合活動において指導的役割を果たし、業務の処理を妨げたとして懲戒免職処分に付された。3名はこの処分の無効確認と取消しを求めて出訴した。

 判旨:最高裁判所第三小法廷は、国家公務員法に定められた懲戒事由が公務員について存在する場合に「懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されている」と述べている。

 判例の流れを概観する限り、結局、要件裁量か効果裁量かという問題ではなくなっており、法律の規定の仕方、あるいは立法による行政への委任の仕方によって要件裁量が認められるか否かという問題になっている。

 そればかりでなく、裁量は、要件裁量の段階、効果裁量の段階においてのみ認められる訳ではない。ここでは、塩野宏『行政法Ⅰ』〔第五版補訂版〕(2013年、有斐閣)125頁以下の説を取り上げ、説明をしていく。

 行政庁の判断過程は、①事実認定、②事実認定への構成要件のあてはめ(要件認定)、③手続の選択、④行為の選択(するかしないか、するとしたらどのようなものをするか)、⑤時の選択(いつするか)に分けられる。

 ①は、裁判所による審査の対象となる。事実認定に裁量を認める訳にはいかないであろう。

 ②について裁量が認められるとする考え方が要件裁量説である。この場合、行政の終局目的というような程度にしか要件が定められていない、あるいは要件が法律上何も規定されていない場合に認められるというのである。

 ③についても、認められる場合がある。逆に、実体判断のための行政手続について裁判所による統制をした例(最一小判昭和46年10月28日民集25巻7号1037頁。Ⅰ―125番。個人タクシー事件)、行政庁の判断した材料およびその判断の仕方(他事考慮など)について裁判所による統制をした例(東京高判昭和48年7月1日行裁例集24巻6・7号533頁)がある。いずれも、後に取り上げる。

 ④について認める説が効果裁量説である。この考え方は、美濃部三原則に示されているように、国民の権利を侵害し、国民に負担を命じ、または国民の自由を制約する行為には(自由)裁量を認めず、逆に、国民に新たに権利を設定するなど利益を供与する行為、または直接的に国民の権利義務に関係のない行為には、原則として(自由)裁量を認める、というものである。

 ⑤についても、認められる場合がある。その例と考えられるのが、次の判決である。

 ●最二小判昭和57年4月23日民集36巻4号727頁(Ⅰ―131)

 事案:上告人である不動産会社Xは、建設会社Aと建物の建築請負契約を締結した。Aは建築資材の搬入をBおよびCに依頼したが、車両が道路法と車両制限令に抵触するため、道路管理者である東京都Y区に特殊車両通行認定を申請した。この申請は受理されたが認定がなされなかった。この建物の建設については住民の反対運動があり、Y区は、反対する住民との間での話し合いによる解決がなされるまで車両認定を保留するという通知をし、実際に半年近くも保留された。これに対し、Xは工事の中断によって損害を受けたとして損害賠償請求を行った。

 判旨:最高裁判所第二小法廷は、車両制限令第12条に規定される、道路管理者による車両の認定は許可などと異なり、確認的行為としての性格を有するもので基本的には裁量の余地はないとしつつも、この認定に附款を付しうることなどを理由として、具体的な事案に応じて裁量権を行使することが全く許されない訳ではないと述べた。

 現在においては、上述②および④のいずれにも裁量が認められ、さらに②および⑤についても裁量を認める場合がありうる、という傾向にある。これは、法律によって全ての行政活動を拘束できるように規定することが、もともと難しいし、ますます難しくなっていること、仮にそのようにするとかえって行政の硬直化を招くおそれがことによる。それだけに、裁量統制の問題はさらに重要になる。

 ▲事実認定に裁量は認められるのか?

 上記においては、「事実認定に裁量を認める訳にはいかない」として、行政庁による事実認定は全面的に裁判所による審査の対象となる、という立場をとった。しかし、近年、学説において、事実認定に裁量が認められる場合がある、という立場もみられる。

 たとえば、宇賀克也『行政法概説Ⅰ行政法総論』〔第5版〕(2011年、有斐閣)322頁は、「事実認定については行政裁量は認められないのが原則であるが、原子力発電所の安全性のように高度な科学技術的問題について専門的行政機関が判断を行った場合、裁量を承認する判例もある。この点を明言するのが、高松高判昭和59・12・14行集35巻12号2078頁である」と述べている(宇賀教授があげる判決は、伊方原発訴訟控訴審判決である)。

 また、櫻井敬子・橋本博之『現代行政法』〔第2版〕(2006年、有斐閣)98頁は、伊方原発訴訟最高裁判決のように、安全性の審査のような専門技術的判断が問題とされる場合には、要件裁量ではなく、事実認定裁量とでも言うべきものが認められるか否かについて見解が分かれる、と述べる。さらに、同書99頁は、ドイツ法とアメリカ法との違いを述べたうえで実質的証拠法則を持ち出しており、事実認定についても行政裁量が存在すると表現するかのような記述をなす

 ※なお、櫻井敬子・橋本博之『行政法』〔第4版〕(2013年、弘文堂)118頁も参照。

 もし、ここで事実認定に裁量が認められるというのであれば、安全性の審査は事実認定の段階での審査であり、そこに裁量が認められる、というように理解しうることとなる。

 実際のところ、宇賀教授の記述のうち、前半は曖昧な記述となっていて、事実認定と要件認定とが区別されているのか否かが判然としない。

 そして、仮に事実認定の裁量をいうのであれば、具体的にいかなる場面において裁量が働くのか。

 しかし、安全性云々が問題となる場合に、事実認定とは「設計図に書かれた数字、図、計算式が●●のようになっている」と判断することである、ということを意味するのではなかろうか。従って、その段階において裁量が認められる訳はないのである。原子力発電所に限らず、高層マンションでも何でもよいのであるが、数字、図、計算式が安全性の基準に照らして妥当なものであるか否かは要件認定の問題であるはずである。

 もっとも、「各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的な判断」というのは、実質的に要件認定が原子力委員会で行われているということで、内閣総理大臣が事実認定をしているというようにも読めなくはない。しかし、これでは諮問という形式を無視しかねないし、原子力委員会の判断を尊重したところで必ずしもその通りに判断しなくともよいということであれば、事実認定とは全く異なる。むしろ、効果裁量的なものと理解したほうがよいくらいである。

 宇賀教授による記述についてのもう一つの疑問は、伊方原発訴訟控訴審判決のどの部分が、事実認定に裁量を認めるものと理解しうるのであろうか、という点である。

 解答として考えられるのは、「原子炉等規制法が右のとおり抽象的、包括的な規定をするにとどめていることは、原子炉の安全性に関する判断につき行政庁の専門技術的裁量を予定し、その一環として、右判断のために必要な具体的基準を下位の法令及び行政庁の内規等で定めることを是認しているものとみられ、要するに、その基準の内容については、科学的・専門技術的見地から原子炉の安全性を確保するに足りると合理的に考えられる範囲内で、これを行政庁の裁量に委ねているものと解せられる」という部分である。

 しかし、これは事実認定ではなく、安全基準の設定の話である。安全基準の設定は、事実などを基にはするであろうが、要件設定を意味するのであり、要件認定に関する部分であろう。従って、事実認定における裁量ではない。このことは、判決の次の部分からも明らかであると思われる。

 「更に、右の原子炉規則等に定められている審査基準や設置法の安全審査会に関する規定からも明らかなごとく、原子炉の安全性に関する判断は、極めて複雑な技術体系を有するものを対象とし、多くの専門分野にわたる事柄につきそれぞれの専門家を動員して行われるものであり、しかも、その判断には、将来の予測に係る事項についてのものも含まれており、なお、事柄によつては、判断の方法・根拠等につき選択の余地があり、複数の方法のうちいずれかを選択したことが専門技術的見地からして不合理ではないとみられる場合もあると考えられる。したがつて、原子炉の安全性に関する判断は、それぞれの専門分野についての専門技術的知見に基づく個別的な判断を集積し、現在における科学的技術的知見、実績、専門家である審査委員の学識、経験等を結集した上での総合的な評価・判断として成り立つものといわざるを得ないから、かかる判断過程等からしても、右判断が行政庁の裁量を伴うものであることは否定すべくもない。

 そうすると、原子炉等規制法及び関連法令は、行政庁に対し、原子炉の安全性が肯定された場合における原子炉設置の許否についての政策的裁量のみでなく、安全性を肯定する判断そのものについても専門技術的裁量を認めていると解せられるから、原子炉設置許可処分は行政庁の裁量処分であるといわなければならない。

 もつとも、原子炉の安全性に関する判断が行政庁の裁量とされているのは、その判断の性質にかんがみ、具体的・かつ詳細な判断基準や判断過程等を法律に定めることが適切でないことから、いわば手段的に個別的な判定を行政庁に委任する趣旨であると思われるので、その裁量は、周辺住民の生命、身体にかかわることにも照らし、法律の委任する範囲内で合理的な根拠に基づき適正に行われるべきものである」。

 これが事実認定における裁量を肯定する論であるとすれば、事実認定という概念の幅が拡大されてしまっているとしか考えられない。日本における行政裁量論が抱える問題の一端を示すものと言いうるであろう。

 

 3.裁量と司法審査―自由裁量と覊束裁量―

 伝統的・通説的見解は、裁判所が審査しうる範囲という点から、自由裁量と羈束裁量とを分けていた。

 まず、自由裁量は、便宜裁量ともいい、法が個別事案の処理を行政庁の公益判断に委ね、行政庁の責任で妥当な政策的対応を図ることを期待している場合になされる裁量のことである。行政庁の政治的・政策的事項に属する判断や高度の専門的・技術的な知識に基づく判断であり、それを誤るとしても原則として当不当の問題にすぎない(客観的な法則性に即した法的判断ではない)。従って、判断の誤りは裁判所の審査の対象とはなりえない。当不当の問題として行政不服申立てなどによって行政内部の矯正を待つしかないとされ、適法違法の問題ではないこととなる。授益的行政行為の多くが自由裁量行為であるとされた。

 次に、覊束裁量は、法規裁量ともいい、法は明確な規定を欠いているが、行政庁が経験則や法的衡平感に基づいて客観的視点から個別事案に相応しい判断を行うことが予定されている場合になされる裁量のことである。通常人が共有する一般的価値判断に従いつつ、裁判所が法規裁量の正誤を判断する。つまり、法律問題として、裁判所の全面的審査の対象となる。賦課的行政行為の多くが覊束裁量行為であるとされた。

  要件裁量と効果裁量との区別については、覊束裁量と自由裁量との区別との関連で争われていた。東京学派は、要件裁量を否定しており、その上で、要件裁量を否定し、基本的に、賦課的行政行為を覊束裁量行為であるとし、授益的行政行為の多くが自由裁量行為であるとした。これに対し、京都学派は、効果裁量を否定し、基本的に、要件が規定されている場合であれば、たとえ不確定概念であっても覊束裁量行為であるとし、全く要件を定めていないか公益概念を示すのみであれば自由裁量行為であるとした。

 しかし、この区別も絶対的なものではない。具体的に区別が困難であることも多いし、両者が相対化していることもあって、区別しなくなる傾向にある。自由裁量であるからといって裁判所の司法審査権が全く及ばないという訳ではない(行政事件訴訟法第30条を参照。なお、現在のドイツ行政法学において自由裁量は存在しない旨が述べられるのは、この点にあるものと思われる)。逆に、覊束裁量であるからといって裁判所の司法審査権が完全に行使されるとは限らない。その意味において、自由裁量と覊束裁量とは量的な相違に留まるのであり、質的な相違を示すものではない。

 たとえば、前掲最三小判昭和52年12月20日は、公務員の懲戒処分(賦課的行政行為)について「国公法に定められた懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきである」と述べている。東京学派による伝統的・通説的な考え方によれば、懲戒処分は覊束裁量行為であるが、国家公務員法第82条(その前提として同法第98条第1項・第101条第1項、人事院規則14-1第3項(当時)がある)の規定は、覊束裁量と自由裁量との双方を認める規定である(第82条の本文は覊束裁量行為であるとも考えられるが、第3号は自由裁量を規定するものと解釈しうる)。

 また、最二小判昭和63年6月17日判時1289号39頁(Ⅰ―93)は、 優生保護法に明文の根拠がないにもかかわらず、医師会による医師指定処分の撤回を認容している。

 このようにしてみると、むしろ、行政庁に認められる裁量は質的にも量的にも増大している、ということがわかる。このため、裁量に対して裁判所がどの程度まで審査しうるのかという問題は、依然として重要であり、また、重要性を増してきているとも言いうる。

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行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版 第13回 行政行為論その5:行政行為の職権取消と撤回

2015年06月17日 00時55分01秒 | 行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版

 ★はじめに

 第9回の冒頭において「行政行為に限らず、行政契約などを含めて行政作用を学ぶ際には、まず、民法学の法律行為論を復習していただきたい」と記した。第10回において扱った行政行為の附款は、民法の附款論と土台を共通とするし、第12回において扱った行政行為の瑕疵も、実は民法学における法律行為論の応用であることがおわかりいただけるのではないかと思う。今回取り上げる行政行為の取消も、基本となるのは法律行為論である。

 

 ★★本論

 

 1.裁判所(の判決)による取消と行政庁による取消

 行政行為の取消という場合、裁判所による取消と行政庁による取消とがあるが、日本の行政法学においては双方を取消と称するために、混乱を避ける意味で、この講義ノートにおいては行政庁による取消を職権取消と表わすことにした。ドイツにおいては、裁判所による取消をAufhebung、行政庁による取消をRücknahmeというのが一般的である。ちなみに、撤回はWiderrufである。

 

 2.行政行為の職権取消

 (1)職権取消の意味

 行政行為の職権取消とは、既に述べたように行政庁による取消である。取消とは、違法な行政行為の効力を、原則として行政行為がなされた時点まで遡って失わせることである※。法律関係を元に戻すということでもある。この点において、法律による行政の原理の回復であると言いうる。

 取消権を有するのは、第一に行政行為を行った行政庁である。その他、その行政庁の上級行政庁は、監督権限の行使の一環として取消権を有する。なお、行政不服審査法に基づく不服申立の結果として、不服審査庁が行政行為を取り消す場合は、ここにいう職権取消に該当しない。

 ※民法第121条は「取消しの効果」として「取り消された行為は、初めから無効であったものとみなす。ただし、制限行為能力者は、その行為によって現に利益を受けている限度において、返還の義務を負う」と定める。

 (2)職権取消の根拠

 行政行為の職権取消も、行政行為である。そのため、第9回において示した行政行為の定義などからすれば、職権取消にも法律の根拠が必要ではないかと思われるかもしれない。

 しかし、通説(・判例)は、職権取消について法律の根拠を不要と解する。問題はその理由であるが、塩野宏教授は「法治国原理の要請するところ」と主張している※。取消が法律関係を瑕疵のない状態に戻すことを意味し、また取消が法律による行政の原理の回復であると理解することができるので、妥当な見解であろう。

 ※塩野宏『行政法I』〔第五版補訂版〕(2013年、有斐閣)170頁。

 (3)行政行為の職権取消に制約はあるのか?

 職権取消は、行政庁が瑕疵ある行政行為の効力を失わせるものである。しかし、そのことから行政庁が職権取消を無制約になしうるという訳ではない。これについては、対象となる行政行為の性質に照らして検討をなすべきである。

 まず、賦課的行政行為(不利益処分)の職権取消については、とくに問題はないと考えられる。但し、行政行為の相手方にとっては賦課的行政行為であっても、他の関係者など第三者にとっては授益的行政行為であるというような場合には、第三者の利益を保護する必要性から、制約があるものと考えられる。

 これに対し、授益的行政行為(許可、認可など)については問題がある。私人は行政行為の存続を信頼している。そこで、信頼保護の観点からの制約、さらに法的安定性の観点からの制約が存在すると考えられるのである。学説は、一般論としてこうした制約を認めているが、具体的にいかなる場合にこうした制約が認められるか、答えることは難しい。

 (4)職権取消の効果

 既に記したように、一般的には行政行為がなされた時点にまで遡り、行政行為の効果は失われる。これを「取消は遡及効を有する」と表現する。但し、学説は、授益的行政行為の職権取消について遡及効を持たない取消(つまり、将来に向かってのみ効果を生ずる取消)の余地を認める。

 

 3.行政行為の撤回

 行政行為の撤回とは、成立時には適法であった行政行為を、その後の事情によって効力を存続させるのが望ましくなくなったときに、将来に向かってその効力を失わせることである※。法令上は取消しという言葉を使うが、全く意味が違う。

 ※法律によっては、特別な場合に撤回に遡及効を認めている。

 職権取消と同様に、行政庁による撤回行為も行政行為である(このように考えないと説明がつかない)。しかし、通説・判例は、撤回についても、とくに法律の根拠を必要としないとする。実はその理由が明確であると言えないのであるが、一つの考え方は公益適合性である※。また、処分権限に法的根拠を求めることも可能であるかもしれない※※。

 ※田中二郎『新版行政法上巻』〔全訂第二版〕(1974年、弘文堂)155頁。塩野・前掲書173頁も参照。

 ※※塩野・前掲書174頁も参照。

 これに対し、授益的行政行為の撤回については法律の根拠を要するという説も有力である。もっとも、撤回については法律に明文の根拠を置く場合が多い。

 ●最二小判昭和63年6月17日判時1289号39頁(Ⅰ―93)

 事案:Xは産婦人科などを開業する医師であり、医師会Yから優生保護法第14条第1項の指定を受けていた。しかし、Xは実子斡旋行為を行っており、これを公表した。こうした事実などが存在したため、Yは指定を「取り消した」。Xは指定取消処分などの取消と損害賠償を求めて出訴した。

 判旨:最高裁判所第二小法廷は、撤回によってXが不利益を受けることを考慮しても、その不利益を公益上の必要性が上回るような場合には、法令に直接の根拠がなくともYはXに対する指定を撤回することができると判断した※。

 ※ちなみに、この判決の事案がきっかけとなって、民法に特別養子制度の規定が追加されることになった。

 なお、職権取消の場合と異なり、行政行為をした行政庁のみが撤回をなしうる(上級行政庁が外されている点に注意すること)。

 (2)撤回に制約はあるのか?

 撤回は、違法な行政行為の効力を失わせる行為ではない。敢えて言うなら公益などに照らした上で(適法ではあるが)不当な行政行為の存続を断ち切る行為である(そのために、遡及効がないとされるのである)。その上で、とくに法律の根拠が必要とされていないために、制約については職権取消以上に問題がある。学説などにおいては、職権取消と同様に、対象となる行政行為の性質に照らして議論を展開させている。

 まず、賦課的行政行為の撤回については、原則として自由であると解される。これは、適法性の問題ではなく、行政行為の相手方の利益保護という問題に由来するものであると思われる。

 これに対し、授益的行政行為の撤回については、やはり信頼保護などの問題がある。適法な行政行為の効力を失わせるのであるから、行政行為の相手方の利益保護という観点は欠かせない。他方、公益上の要請など、適法ではあっても行政行為の存続が望ましくないという場合もありうる。そのため、基本的に比較衡量的な視点に立って考察を進めなければならない。

 制約については、おおむね、次のような原則が立てられることとなるであろう。

 ①行政庁は恣意的に撤回することが許されない。

 ②公益上の理由による撤回については、既得権保護の要請を上回るものでなければならず、認められたとしても、私人の既得権益などとの調整を必要とする。

 ③授益的行政行為を受けた相手方が、その行政行為の根拠となる法律に定められた義務に違反した場合など、有責事由をなした場合には、撤回が認められる。このような場合については、明文で定めることが多い。

 ④当初は許可要件などが私人に存在したが、その後消滅した場合にも、撤回が認められる。このような場合についても、明文で定めることが多い。

 このうち、②については、期間の定めがあれば(法律の規定により、または附款により)、期間内の撤回が許されないと解することが可能である。そうでない場合には撤回をなしうるが、その際に相手方に補償をすべきか否かという問題が残る。

 ●最三小判昭和49年2月5日民集28巻1号1頁(Ⅰ―94)

 Xは、レストランなどの事業を営むために東京都が所有する土地を借り受けた。この土地はXの自己負担で整地されたが、程なく一部が占領軍に接収され、一部は喫茶店の敷地として利用されたが、大部分は放置された。東京都は卸売市場の用地とするため、土地の半分強についてXに対する使用許可を「取消し」た上、喫茶店の建物を残りの土地に移転することを命じた(行政代執行で実現)。この事件においては、使用許可を「取り消された」部分について補償金の支払いが必要か否かが争われた。

 判旨:最高裁判所第三小法廷は、行政財産としての土地についての使用許可によって与えられた使用権に期間の定めがない場合には「当該行政財産本来の用途または目的上の必要を生じたときはその時点において原則として消滅すべきものであり、また、権利自体に右のような制約が内在しているものとして付与されているもの」であるとして、補償の請求を認めた東京高等裁判所判決を破棄し、差し戻した。

 なお、判決において、「使用権者が使用許可を受けるに当たりその対価の支払いをしているが当該行政財産の使用収益により右対価を償却するに足りないと認められる期間内に当該行政財産に右の必要(注:行政財産本来の用途または目的上の必要)を生じたとか、使用許可に際し別段の定めがされている等により、行政財産について右の必要にかかわらず使用権者が当該使用権を保有する実質的理由を有すると認められる特別の事情が存する場合」には補償が必要とされると述べられている。

 

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行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版 第12回 行政行為論その4:行政行為の瑕疵

2015年06月14日 09時52分43秒 | 行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版

 〔はじめに〕今回の内容については、森稔樹「行政処分の無効」髙木光・宇賀克也編『行政法の争点』(Jurist増刊 新・法律学の争点シリーズ8、2014年、有斐閣)38頁もお読みいただきたい。

 

 1.行政行為の瑕疵の意味

 瑕疵とは、簡単に言うならば欠陥であり、違法な点または不当な点である。行政行為は、常に適法かつ妥当なものであるとは限らない。違法である場合も考えられるし、違法とまでは言えないが不当な内容のものも考えられる。そのような行政行為が瑕疵ある行政行為である。

 行政行為が瑕疵を帯びれば、すなわち、行政行為が違法であれば、その行政行為は無効であるとするのが最もわかりやすい。しかし、行政法学においては、行政行為に公定力が存在することを前提とする。そのため、行政行為が違法の瑕疵を帯びていても、常に無効となる訳ではない。

 違法な法律行為は無効である。たとえば、遺言は要式行為であるから、民法が定める様式に従っていない遺言は無効である(同第960条)。意思表示が法律の規定に従っていない以上、効果意思→意思表示に法律が助力を与え、効力を生じさせる必要もないからである。

 しかし、第9回において述べたように、法律行為的行政行為の場合は、行政庁の効果意思→意思表示に法律が助力を与えるのではなく、先に法律の意思があり、それにのっとって行政庁の意思表示がなされるのである。換言すれば、行政庁の意思(表示)は法律の意思に拘束される。そのため、民法の法律行為論における瑕疵とは意味が異なる。法律行為の瑕疵が意思表示の瑕疵であることは、民法第94条ないし第96条を読めば理解できる。

 そして、意外に見落とされやすいことであるが、民法の法律行為も、瑕疵があるから常に無効であるという扱いはなされていない。例えば、民法第94条によると、通謀虚偽表示は無効である。そのようなものを有効として扱うべき理由が存在しないからである。しかし、通謀虚偽表示をもって善意の第三者(すなわち、事情を知らない第三者)に対抗することはできない(法律行為の無効を主張することはできない)。民法学は無効の法律行為を瑕疵ある法律行為として扱わないが、これは民法自体に法律行為が当初から無効である場合と取り消しうる場合とが規定されているためであろう。

 また、第96条によると、詐欺や強迫をきっかけとする法律行為(意思表示)は、当初から無効なのではなく、取り消しうるにすぎない。従って、詐欺に引っかかったことによって何らかの意思表示をした場合、本人が取消の意思を表示すれば、法律行為は成立当初から効力を失うが、本人が追認すれば法律行為は確定的に有効になる。すなわち、取り消しうる法律行為(意思表示)はさしあたり有効なのである。

 瑕疵ある行政行為(違法な行政行為または不当な行政行為)の効力を考える際に前提となるのが公定力である。第11回において述べたように、行政行為が違法(または不当)である場合であっても、無効である場合を除いて、取消権限のある者(行政行為をした行政庁、その上級行政庁、不服審査庁、裁判所)によって取り消されるまで、何人もその行為の効力を否定できない。また、瑕疵ある行政行為であっても取消訴訟の排他的管轄に属するのが原則である。

 しかし、行政行為に常に公定力が伴う、という訳ではない。瑕疵の程度によっては、もはや公定力を認める必要のないほどの高い違法性を有する行政行為も存在する。行政法学においては、このようなものを無効の行政行為として扱う。無効なのであるから、行政行為の効力は一切存在しない。従って、公定力も認められないし、不可争力も生じず、取消訴訟において存在する出訴期間の制限にも服しない。また、取消訴訟の排他的管轄にも属しないので、取消訴訟でない訴訟においても裁判所が行政行為の無効を認定することができる。

 

 2.取り消しうべき瑕疵と無効の瑕疵の両者の区別

 以上から、瑕疵ある行政行為(あるいはその瑕疵)は、次の二つに分けられることとなる。

  取り消しうべき行政行為(違法または不当な行政行為として取り消しうるが有効な行政行為)

  無効の行政行為

 問題は、両者をいかに区別するのかということである。

 (1)重大明白説(判例・通説)

 この説によると、行政行為の瑕疵が重大な法令違反であり、しかもその瑕疵の存在が明白であれば、行政行為は公定力を失って当初から無効である。瑕疵の存在は、主体、内容、手続、形式の各要素について判断されることとなる。

 これに対し、行政行為の瑕疵が重大明白なものでなければ、行政行為は無効なものではなく、取り消しうべきものであるにすぎない。すなわち、その行政行為は取り消されるまで有効である。

 この考え方には、次のような問題が存在する。

 ①瑕疵の重大性という概念自体は明確であるが、具体的にいかなる場合が重大な瑕疵といいうるのか?

 結局は、行政行為の適法要件の重要性について解釈をすることになる。

 ②重大な瑕疵の明白性というが、その意味は何か?

 塩野宏教授にならって記すならば、瑕疵が瑕疵であることの明白性、瑕疵があることの明白性、そして、瑕疵の明白性が誰にとって明白であるのか(これについて見解が分かれる)、ということになる。

 こうした点について、重大明白説はさらに二つに分けられる。

 a.外観上一見明白説

 名称の通り、行政行為の成立時点より重大な瑕疵が存在することが誰にとっても外見から明らかである場合にのみ、瑕疵の明白性に該当すると考える。従って、行政庁の調査義務などは問題にならない。

 ●(農地買収・売渡処分)最小三判昭和34年9月22日民集13巻11号1426頁(Ⅰ―85)

 事案:Xが所有する農地は、自作農特別措置法による買収処分を受け、この土地が小作人に売渡処分された。Xは、これらの処分の無効確認を求めた。

 判旨:最高裁判所第三小法廷は、違法な行政行為が取消しうべきものであるとしても、それだけで重大かつ明白な瑕疵として無効の原因になる訳ではないと述べた。その上で、無効原因については、誤認が重大かつ明白であることを具体的な事実に基づいて主張すべきであると述べ、Xの主張を退けた。

 なお、重大明白の主張立証責任は原告側にあるということになる。

 ●(所得税額の決定と無申告加算税)最三小判昭和36年3月7日民集15巻3号381頁

 事案:Xの先代Tには養子がいた。Xと養子およびその子との間には山林などの所有権をめぐる争いがあった。しばらくして示談が成立し、TとXが所有する山林などを養子の息子に贈与し、その代償として800万円を受け取ることになった。ところが、山林所得税が課せられることを防ぐために、示談契約書に800万円の金額が示されず、養子が行った山林などの立木の処分についても、立木の売買契約書の売渡人を、実際に収入を得ていた養子ではなく、登記名義人のTとした。Y税務署長は、Tに対して山林所得金額および所得税額の決定通知書を送り、無申告加算税を賦課した。Tは死亡したので、Xが、Tに当該年度の山林所得が全くなかったことなどを理由としてYの処分の無効確認を求めて出訴した。

 判旨:最高裁判所第三小法廷は、まず、「行政行為が当然無効であるというためには、処分に重大かつ明白な瑕疵がなければならず、『処分の要件の存在を認定する処分庁の認定に重大・明白な瑕疵がある場合』を指す」と述べ、前掲最小三判昭和34年9月22日を引用している。その上で、「瑕疵が明白であるかどうかは、処分の外形上、客観的に、誤認が一見看取し得るものであるかどうかにより決すべきものであって、行政庁が怠慢により調査すべき資料を見落としたかどうかは、処分に外形上客観的に明白な瑕疵があるかどうかの判定に直接関係を有するものではな」いと述べて、Xの請求を棄却した。

 外見上一見明白説によるならば、よほどのことがない限り、行政行為が無効であるような場合は存在しない、という結論が導かれかねない。これが極論であるとしても、行政行為が無効であると判断される場合は非常に限定されることであろう。まして、課税処分などのように、基本的に第三者への影響を考慮する必要がない行政行為についてまで明白性を要求する理由は判然としない。北野弘久博士は、次のように述べて重大明白説、とくに外見上一見明白説を批判する。

 「租税事件の取消訴訟には、出訴期間の制約のほかに行政不服申立て前置主義の適用が規定されている。このため人びとが右の制約を遵守することができなかった場合には、もはや取消訴訟を提起することができなくなる。この場合、無効確認訴訟を提起しようとしても、従来のように無効事由が『重大かつ明白』に限定される場合には出訴が困難となる。

 結論を先に述べると従来の『重大かつ明白』の理論は、明治憲法下のように行政裁判と司法裁判とが分離しており、司法裁判所では原則として課税処分の適法性を審査しえない制度のもとにおいて妥当したのであった。日本国憲法下では、司法裁判所はひろくすべての行政処分の適法性を審査しうることとなった。これに加えて、税務行政処分は本来厳格に法によって羈束されるべきであることなどを考慮すると、果たして従来の瑕疵理論を維持することに合理性があるか、重大性の要件の充足だけで足りるのではないか、という疑問が提起されうる。」※

 ※北野弘久『税法学原論』〔第六版〕(2007年、青林書院)308頁。

 b.調査義務違反説

 客観的明白説ともいい、代表例として東京地判昭和36年3月21日行裁例集12巻2号204頁がある。重大な瑕疵の明白性について、外観から誰しも一見して認識しうる場合のみならず、行政庁が行政行為をなすに際して、職務上当然に行うべき調査義務を尽くさず、そのために行政行為の重要な要件を誤認していた場合にも、瑕疵の明白性を認める考え方である。下級裁判所の判決に散見された。

 (2)明白性補充要件説

 この考え方は、瑕疵の重大性を無効の瑕疵の要件とするが、他に明白性などの要件を課すか否かについては、必ずしも要求しなくともよいと捉えるようである。

 ●(譲渡所得の課税処分)最一小判昭和48年4月26日民集27巻3号629頁(Ⅰ―86)

 事案:原告X1の姉の夫Aは、X1およびその夫X2からの借金の担保とするために、また、自らが経営する会社の債権者からの差押えを回避するために、自らが所有する土地および建物について、X1およびX2に無断で登記の名義を変更した。Aの事業経営が不振となったため、Aはこの土地の売却を思い立ち、売買契約書などを偽造した上で土地を第三者に売却した。Y税務署長は、調査をした上でX1に建物の譲渡に関する所得が、X2に土地の売買による譲渡所得があったものとして課税処分を行い、さらに滞納処分を行った。X1およびX2は、課税処分の無効を主張したが、第一審および控訴審は、いずれも請求を棄却した。

 判旨:最高裁判所第一小法廷は、原判決を破棄し、事件を差し戻す判決を下した。理由において、課税処分が課税庁と被課税者との間にのみのものであり、第三者を考慮する必要がないというような場合には、課税処分がもたらす不利益を甘受させることが著しく不当であると認められるような例外的な事情がある場合には、課税処分を当然に無効であると解すべきであると述べている。また、本件には課税要件の根幹に関して重大な瑕疵がみられるとしつつ、明白性については触れることなく、特段の事情がない限り、原告2名に課税処分の「不可争的効果による不利益を感受させること」が「著しく酷である」と述べている。

 (3)判例はどちらの説を採用するのか

 最高裁判決は調査義務違反説を採用しないようであるが、外観上一見明白説を採用するものと明白性補充要件説を採用するものとが存在する。一貫していないようにもみえるし、見解を変更したかにもみえるのであるが、基本的には重大明白説のうちの外観上一見明白説を維持しているようである。明白性補充要件説は、利害関係を有する第三者が存在しない、または、そのような第三者が存在するとしても利益を主張することが正当化されない(前掲最一小判昭和48年4月26日の事案はまさにこの典型例である)という事件について採られているのではなかろうか。

 

 3.瑕疵が重大かつ明白であるとされる場合

 判例が採る外観上一見明白説を前提とした場合、いかなる瑕疵が重大かつ明白であるかは、単純に判断できないものと思われる。そればかりでなく、既に述べたように、瑕疵が重大かつ明白であるが故に無効である行政行為は、存在するとしても非常に限られたものとなるであろう。

 しかし、一定の場合を想定することは可能である。ここでは、原田尚彦教授の説明に従いつつ、簡単に解説していく。

 (1)行政行為をした行政庁が、実はその行政行為について無権限である場合

 法律によって権限が与えられていないのであるから、当然、重大かつ明白な瑕疵に該当する。

 但し、「事実上の公務員の理論」に注意する必要がある。これは、無権限者が正規の手続で公務員に選任され、外観上は公務員として行った行為を有効として扱う理論である(行政法上の秩序と継続性を保護するため)。例として、村長の解職請求がなされ、それに基づいて選挙が行われて新村長が選出され、就任したが、実は解職請求が無効であったという場合がある(最判昭和35年12月7日民集14巻13号2972頁)。

 また、行政庁の瑕疵ある意思表示に基づく行政行為について、民法第93条ないし第96条は適用されないというのが一般的な理解である(但し、行政庁が全く意思のない状態の場合は別の話である)。

 (2)手続に瑕疵があるという場合

 同意を要する行政行為の場合、同意がなければ行政行為は無効である。しかし、一般的に、判例は手続上の瑕疵を取消事由として扱い、無効事由としていない。

 なお、原則として行政庁は単独制であるが、委員会などのような合議制の行政庁も存在する。この場合、例えば招集手続を欠く会議、定足数を欠いた会議などにおいて行われた議決は無効と解すべきである。ただ、会議に無資格者が参加していた場合について、最一小判昭和38年12月12日民集17巻12号1682頁(Ⅰ―122)は、決議の公正を害する特段の事由が認められない限り、決議を無効とさせるような重大な瑕疵は存在しないと述べる。

 (3)行政行為の形式に不備がある場合

 行政行為は、一般的に不要式行為である(行政手続法第8条第2項・第14条第3項を参照)。但し、書面が要求される場合には、口頭で行った行政行為は無効である。

 (4)行政行為の内容自体に瑕疵がある場合

 これに該当するものとして、内容が不明確な行政行為、実現不可能な行政行為(事実上であっても論理上であってもよい)、および重大な事実誤認に基づく行政行為がある。

 

 4.違法性の承継

 先行するAという行政行為(例.租税賦課処分)の後にBという行政行為(例.滞納処分)があるとする。Bという行政行為について取消訴訟が提起された場合、Aが違法であるからBも違法と言いうるか、という問題がある。一般的には、Aが違法であったからといって当然にBも違法であるということにはならないが、Aの違法性がBに承継される場合も存在する。

 ●(農地委員会の買収計画と買収処分)最二小判昭和25年9月15日民集4巻9号404頁

 事案:或る村の農地委員会は、Xが所有する農地を不在地主所有の農地と認定し、買収する計画を立てた。Xはこの計画について異議の申立て、さらに訴願を行ったが却下された。買収計画が県の農地委員会によって承認されたので、県知事Yは買収令書を交付し、買収を行った。Xは、訴願の却下に対しては訴訟を提起しなかったが、買収処分については訴訟を提起した。

 判旨:最高裁判所第二小法廷は、自作農特別措置法第5条の規定を参照しつつ、これに該当する農地を買収計画に入れることの違法性が買収処分の違法性でもあると述べ、原告が異議申立てや訴願を行わなかったことによって買収計画が確定的効力を有するとしても買収計画の違法性がなくなるものではないとしている。

 それでは、いかなる場合に違法性の承継が認められるのか。

 先行の行政行為と後続の行政行為とが結合して一つの効果の実現を目指し、完成させるものである場合には、違法性の承継が認められる。このような例として、土地収用法上の事業認定と収用裁決(名古屋地判平成2年10月31日判時1381号37頁)がある(但し、福岡高判平成6年10月27日訟務月報42巻9号2127頁は違法性の承継を認めない)。

 先行の行政行為と後続の行政行為が別の効果の発生を目指すのであれば、違法性の承継は否定される。例として、租税賦課処分と滞納処分(鳥取地判昭和26年2月28日行裁例集2巻2号216頁)、第一次納税義務者に対する課税処分と第二次納税義務者に対する納付告知(最二小判昭和50年8月27日民集29巻7号1226頁)※がある。

 ※ちなみに、最一小判平成18年1月19日民集60巻1号65頁は、第二次納税義務者が第一次納税義務者に対する課税処分について不服申立てをなすことを認容する。

 

 5.瑕疵の治癒

 これは、行政行為がなされた時には欠けていた要件が追完され、瑕疵がなくなった場合を指している。

 ●(農地買収計画に対する訴願裁決)最二小判昭和36年7月14日民集15巻4号1814頁(Ⅰ―88)

 事案:或る地区の農地委員会は、Xが所有する池沼に関する買収計画を定めた。Xはこれを不服として訴願を提起した。県の農地委員会は、訴願棄却裁決を停止条件として買収計画を承認し、県知事は買収令状を交付し、本件の池沼を買収した。そして、Xの訴願は棄却された。そこで、Xは買収計画の無効確認訴訟を提起した。

 判旨:最高裁判所第二小法廷は「農地買収計画につき異議・訴願の提起があるにもかかわらず、これに対する決定・裁決を経ないで爾後の手続を進行させるという違法は、買収処分の無効原因となるものではなく、事後において決定・裁決があったときは、これにより買収処分の瑕疵は治癒されるものと解する」として、Xの請求を認容した大阪高等裁判所判決を破棄し、事件を差し戻した。

 瑕疵の治癒を認めるべきか否かについては、結局のところ、瑕疵が軽微であるか否か、最初の処分を取り消すことによって第三者の既存の利益を侵害するか否か、という点を考慮するしかない。

 ●(更正処分の理由付記に不備があった場合)最三小判昭和47年12月5日民集26巻10号1795頁(Ⅰ―89)

 事案:法人Xは法人税について青色申告の承認を受けていたが、事件当時は解散しており、清算手続をしていた。Xが確定申告をしたところ、Y税務署長は増額更正処分を行った。しかし、その通知書には理由が書かれているとはいえ、金額が記載されているにすぎなかった。これを不服としたXは、国税局長への審査請求を経て出訴した。なお、理由については審査請求に対する裁決書において明確にされたと主張されている。

 判旨:最高裁判所第三小法廷は、理由付記の不備を認めて違法とした上で、理由付記を求める法人税法の趣旨からすれば、国税局長の裁決によってYの理由付記の不備という瑕疵が治癒されるとすることは、法の目的に沿わず、申告者にとっても審査手続の最中に十分な不服理由を主張できないという不利益を招くとして、更正処分における理由付記の不備は、審査請求に対する裁決によって治癒されないと判断した。

 

 6.違法行為の転換

 Aという行政行為が法令の要件を充たしていないが、同じ行政行為をBという別の行政行為として考えると要件を充足しているという場合に、Aではなく、Bと読み替えて行政行為の効力を維持しようとすることがある。これが違法行為の転換であるが、判例でもあまり認められていないし、むやみに認めるべきではないであろう。なお、違法行為の転換と理由の差し替えとは、表面的に類似する部分もあるが、区別すべきである。

 ●(農地委員会の買収計画)最大判昭和29年7月19日民集8巻7号1387頁(Ⅰ―90)

 事案:或る村の農地委員会は、X所有の農地を小作地と認定し、自作農創設特別措置法施行令第43条によって小作人から買収の請求があったものとして買収計画を定めた。Xは訴願を県の農地委員会に提起したが、県の農地委員会は小作人による請求がなかったと認めつつも、同施行令第45条(こちらは、法律の附則に定められた日の事実を基にして、市町村のうち委員会が買収計画の可否を審議しなければならないとしか定められていない)を適用して買収計画を相当とする裁決を出した。Xはこれを不服として提訴した。

 判旨:最高裁判所大法廷は、施行令第43条による場合と同第45条による場合とで買収計画を相当と認める理由が異なるとは認められないとして、転換を認め、Xの上告を棄却した。

 

 7.その他

 行政行為の瑕疵に関する問題としては、他に次のようなものがある。

 (1)瑕疵の補正(最一小判昭和43年6月13日民集22巻6号1198頁)

 (2)表示の誤記(最三小判昭和40年8月17日民集19巻6号1412頁)

 (3)理由の差し替え

 行政行為としては全く同じであるが、基礎となる事実および法的根拠を、訴訟の段階になって変更することを、理由の差し替えという。違法行為の転換と類似するが、意味が異なるので注意を要する。最三小判昭和56年7月14日民集35巻5号901頁(Ⅱ―193)は、法人税の青色申告に対する更正処分について理由の差し替えを認めている。

 この問題は、かねてから租税法学において総額主義か争点主義かという問題として論じられてきた。第27回において取り上げる。

 (4)事情判決

 行政事件訴訟法第31条に規定されるもので、行政行為が違法であることを認めつつ、取り消すと公益などに著しい障害があるという場合に、判決主文においては請求を棄却し、理由においては違法であることを宣言するというものである。なお、行政不服審査法第40条第6項も事情裁決を規定する。やはり第27回において取り上げることとする。

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行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版 第9回 行政行為論その1:行政行為の概念

2015年06月12日 07時31分06秒 | 行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版

 ★はじめに

 行政行為に限らず、行政契約などを含めて行政作用を学ぶ際には、まず、民法学の法律行為論を復習していただきたい。

 これは、単に法律行為との異同を知るために必要であるというだけではない。そもそも、行政法学は成立時期が遅い、若い学問である。そのため、歴史の古い民法学の理論を借用する形で行政法学を形成しなければならなかった。行政行為、行政契約などの行政作用は、いずれも民法の法律行為論を土台とし、応用として変形させたものである。

 法律行為にも幾つかの分類が存在するが、行政行為論との関係でとくに留意していただきたいのが、契約、単独行為、合同行為の区別である。行政行為は、法律行為のうちの単独行為に近いものである。以下の記述を参照しながら、行政行為と契約との相違、行政行為と単独行為との相違、行政行為と合同行為との相違をまとめてみるとよい。

 

 ★★本論

 行政庁が行う処分、すなわち行政処分は、行政法学においては行政行為(Verwaltungsakt)と呼ばれることが多い。日本の法令上は「処分」と表現されるが、まともな定義がなされていない。行政手続法第2条第2号において一応は「処分 行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為をいう」として定義がなされているが、これは満足な定義になっていない。

 その他、主な法律から「処分」について定義らしいものを示している条文を掲げておく。

 行政事件訴訟法第3条第2項:「この法律において『処分の取消しの訴え』とは、行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為(次項に規定する裁決、決定その他の行為を除く。以下単に「処分」という。)の取消しを求める訴訟をいう」。

 (旧)行政不服審査法第2条第1項:「この法律にいう『処分』には、各本条に特別の定めがある場合を除くほか、公権力の行使に当たる事実上の行為で、人の収容、物の留置その他その内容が継続的性質を有するもの(以下「事実行為」という。)が含まれるものとする」。

 (新)行政不服審査法第1条第2項:「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為(以下単に「処分」という。)に関する不服申立てについては、他の法律に特別の定めがある場合を除くほか、この法律の定めるところによる」。

 そこで、ここでは、行政行為≒行政処分として説明を加える。

 

 1.行政行為の定義

 行政行為とは、行政庁が、法律(「法令」とする例も多い)に基づき、優越的な意思の発動または公権力の行使として、国民に対して具体的な事実について直接的に法的な効果を生じさせる行為である。運転免許証の例(許可)の他に、農地譲渡の認可、課税処分などがある。

 この定義には、次のような前提が存在する。

 ①行政行為には法律による行政の原理が直接的に妥当する。そのため、法律の根拠を必要とする。

 ②行政行為の場合、行政と国民とは対等の関係にはないことが前提となっている。従って、地方公共団体が締結する売買や請負などの契約、国有財産の貸付や譲渡などは含まれない。

 ③具体的な事実について直接的に法的な効果を生じさせる、もっと言うならば具体的な事実について国民の権利・自由または義務に直接的な変動を及ぼす。

 

 2.行政行為の分類

 行政行為は、いくつかの観点から分類されうる。 ここでは、そのいくつかを取り上げることとする。

 (1)授益的行政行為と賦課的(負担的)行政行為

 これは、相手方が行政行為によって現実に受ける利益・不利益という観点による分類である。単純な二分法ではあるが、効果を軸におくためにわかりやすく、行政手続(法)の側面において有益であり、実定法の解釈にも即するという利点がある。

 ここで授益的行政行為(ein begünstigender Verwaltungsakt)とは、相手方に対し、権利を付与し、権利の制限を撤廃し、または利益を与えるなど、有利な法的効果を生ずるものであり、授益処分ともいう。行政手続法にいう「申請に対する処分」の多くが含まれる(というより、申請に対する行政行為を前提としていると考えてよい)。

 一方、賦課的(負担的)行政行為(ein belastender Verwaltungsakt)とは、権利を制限し、義務を課すなど、相手方に不利益な効果を生ずるもので、賦課的行政行為、侵害的処分ともいう。行政手続法では不利益処分という。命令・禁止、剥権行為などがこれにあたる。

 以上は、相手方が現実に受ける利益・不利益という効果のみに注目している。しかし、現実には、行政庁の相手方である私人(許可の申請をした者など)にとっては授益的行政行為であるが、近隣住民などの第三者にとっては(事実上ではあるが)不利益な効果が生じるものがある。このようなものを二重効果的行政行為(複効的行政行為、Verwaltungsakt mit Doppelwirkung)という。

 当然ながら、相手方たる私人にとっては賦課的(負担的)行政行為であるが、第三者にとっては(事実上ではあるが)利益をもたらすような効果を生じるものもありうる。しかし、実際のところ、このような行政行為を二重効果的行政行為として扱うことはない(争訟となるような場合が存在しないからであろう)。

 (2)法律行為的行政行為と準法律行為的行政行為

 これは、ドイツ民法学において定立された法律行為論を基にして、ドイツの行政法学者コルマン(Karl Kormann)が作り上げた分類であり、若干の変化を伴って日本の行政法学に取り入れられ、第二次世界大戦後の日本の行政法学においては田中二郎博士による分類法として有名なものである。1980年代から多くの批判が寄せられたのであるが、これに代わる決定打もないというのが現状である。

 ここで、田中博士の分類法について説明を加えていく。

 ①法律行為的行政行為とは、行政行為の内容が行政庁の効果意思の表示を要素とするものである(但し、民法の法律行為論とは逆に、法律の意思が先に存在する)。 次のように細分化される。

 A.命令的行為:私人に対して、作為、受忍または不作為を命ずるもの。下命、許可および免除に細分される。

 a.下命(Befehl) 作為、不作為、給付または受忍を命ずる行為で、業務改善命令や建築物除却命令などが該当する。

 なお、不作為を命ずる下命を、とくに禁止(Verbot)という場合がある。

 b.許可(Erlaubnis) 法律による一般的な禁止(不作為義務)を解除する行為で、自動車運転免許などが該当する。許可を受けないでした行為は強制執行または処罰の対象になるが、その行為の効力が必ず否定される訳ではない。

 もっとも、許可を命令的行為とする考え方については、近年になって少なからぬ批判が寄せられ、形成的行為に含められることも多くなっている(ドイツの行政法学においては、古くから形成的行為とされている)。許可の場合、本来的には私人の自由に属する事柄を、公益上の理由から全面的に禁止しておき、一定の場合にその禁止を解除するということで、次の免除に近い性質を有し(不作為義務の解除と考えられるためである)、新たに権利や権利能力などを設定するのではないために、命令的行為とされたのであろう。

 c.免除(Dispens) 作為義務を解除する行為である。

 B.形成的行為:私人に対して法的地位を設定し、変更し、または剥奪するもの。特許、認可および代理に細分される。

 d.特許(Verleihung) 設権行為ともいう。私人に対して新たに権利能力、権利、包括的法律関係を設定する行為である。公務員の任用や公企業の特許などが該当する。また、平成18年改正前の民法第34条は、公益法人の設立の際に「主務官庁の許可を得」なければならないと定めていたが、ここにいう「許可」は講学上の許可ではなく、特許に該当する(民法学にいう許可制は行政法学にいう特許制である)。

 なお、特許の変種として、変権行為および剥権行為がある。 変権行為は「既存の権利・能力・法律関係等を変更する行為」※をいう。また、剥権行為は「権利能力・行為能力・特定の権利又は包括的な法律関係を消滅せしめる行為」をいい、法人の解散、公務員の罷免などが該当する※※。

 ※田中二郎『新版行政法上巻』〔全訂第二版〕(1974年、弘文堂)123頁。

 ※※田中・前掲書123頁。

 e.認可(Genehmigung) 補充行為ともいう。私人の行為を補充してその法律上の効力を完成せしめる行為である。農地売買の際の農地委員会の許可、鉄道事業者やバス事業者の運賃変更に対する国土交通大臣の認可などが該当する。認可を受けない行為は、原則として無効である。

 f.代理 文字通りの代理である。 田中博士の説明を引用すると「第三者のすべき行為を国が代わってした場合に、第三者自らがしたのと同じ効果を生ずること」であり、「当事者間の協議が調わない場合に国が代わってする裁定、一定の場合に国が代わってする会社の定款の作成、役員の任命」が例としてあげられている※。行政行為の定義に忽然と登場するという印象を受けるためか、批判される概念でもある。

 ※田中・前掲書123頁。

 ②準法律行為的行政行為とは、行政行為の内容が行政庁の効果意思以外の判断・認識などの精神作用の表示を要素とするものである。次のように細分化される。

 ア.確認(Feststellung):法律行為を確定する行為であり、行政庁の判断の表示である。所得税の更正決定や当選人の決定などが例としてあげられる。

 確認は、準法律行為的行政行為とされる他の行為と異なり、行政手続法にいう処分に含められる。また、許可などと類似する場合もあり、行政庁の意思表示として法律行為的行政行為に含める見解もある(日本では少ないが、ドイツの行政法学においては定説である)。

 イ.公証(Beurkundung):「特定の事実又は法律関係の存否を公に証明する行為」であり※、行政庁の認識の表示とされる。選挙人名簿などの公簿への登録、免許証の交付などが例としてあげられる。

 ※田中・前掲書124頁。

 ウ.通知(Mitteilung):常に行政行為である訳ではなく、「観念の通知」という事実行為である場合もある。法律の規定によって通知に何らかの法的効果が与えられる場合に、準法律行為的行政行為とされるのである。

 エ.受理(Annahme) :「他人の行為を有効な行為として受領する行為」のことであり、「到達と異なり、受動的な意思表示である」※。願書や届出書などの受理が例としてあげられている。但し、受理によっていかなる効果が生ずるかは法律の定めに左右される。行政手続法第7条はこの受理の概念を排除したものと理解されている※※。

 ※田中・前掲書125頁。

 ※※宇賀克也『行政手続法の解説』〔第6次改訂版〕(2013年、学陽書房)93頁。

 以上が田中博士による分類の概要であり、近年においても地方公務員試験などにおいて登場しているが、近年、日本の行政法学においてこの分類法は次第に用いられなくなっている。ドイツの行政法学は、行政行為を行政庁の公法的意思表示と捉えており、日本の法律行為的行政行為および確認行為を行政行為とする。これに近い考え方を日本において採用するのが塩野宏教授である。次のような分類である。

 α.命令行為:作為、不作為を命ずるもの。

 β.形成行為:私人に法的地位を与えたり拒否したりするもの。許可、認可、免許の拒否など。

 γ.確定行為:法律関係を確定したり、それを拒否したりするもの。租税の更正や決定など。

 ちなみに、ドイツの行政法学では、行政行為を次のように分類する(表現などは、Wilfried Erbguth, Allgemeines Verwaltungsrecht mit Verwaltungsprozess- und Staatshaftungsrecht, 7. Auflage, Nomos Verlagsgesellschaft, 2014, §12 Rn. 34ff.による)。

 命令的行政行為(Befehlende Verwaltungsakte):一定の行為を命じたり禁止したりする行政行為のことである。

 形成的行政行為(Gestaltende Verwaltungsakte):具体的な法律関係を直接的に基礎付け、変更し、または排除する行政行為のことである。

 確定的行政行為(Feststellende Verwaltungsakte):権利、または法的に重要な資格を確定させ、または拒否する行政行為のことである。

 (3)実定法における許可、認可などの用語について

 行政法学において、許可、認可などの概念は明確に区別されるのであるが、実定法においては、許可、認許、特許、免許、承認、認証などの語が登場し、厳密に使い分けられていないため、混乱が生じる。そこで、行政法学における概念の違いを整理する意味で、再び田中博士の分類により、記しておく。

 ①許可と認可との違い

 第一に、許可は、本来であれば人の自由に属する事柄を、公益上の理由などから全面的に禁止しておき、一定の場合にその禁止を解除するというものである。許可の対象は法律的行為である場合もあり、事実的行為である場合もある。

 これに対し、認可は、一定の法律的行為(例、農地売買契約)の効力を完成させる行為である。認可の対象は法律的行為に限られる。禁止の解除という性格を持たない。

 第二に、許可を受けるべき行為なのに受けないで行った場合には、禁止違反として強制執行や処罰の対象になるが、法律行為の効力(例、肉の販売契約)は直ちに否定されない。すなわち、許可を受けるか受けないかということと私法上の行為の効力とは別の問題なのである。

 これに対し、認可を受けないで行った契約などの効力は完全に成立しない。しかし、許可と異なり、そもそも認可を受けないで法律的行為をなすことが禁じられている訳ではないので、強制執行や処罰の対象にならないのが原則である。

 ②許可と特許との違い

 田中博士の分類法によれば許可は命令的行為であり、一定の場合に禁止を解除するに留まる。そのため、許可によって何らかの利益(例、独占的な利益)を伴うとしても、それは反射的利益※である。また、許可は、必ずしも申請を前提要件とするものではない(通常は申請に基づくが)。

 ※反射的利益とは、法が何らかの利益の実現を目指して或る行為を命令したり制限したりする結果として私人が受ける事実上の利益のことである。すなわち、私人の利益を法的に直接保護するという訳ではない。行政事件訴訟法第9条により求められる訴えの利益の有無を判断する際に重要な概念となる。反射的利益の例として、医師法によって医師に診療義務が課される結果として患者が診療を受ける利益などがあげられる。

 これに対し、特許は、本来、私人が有しないとされる特別な権利能力や権利、包括的な地位などを設定する行為である。このため、特許を受ける私人に、第三者に対抗しうる法律上の力を与えることになる。また、特許は、申請を前提要件とする。

 ③特許と確認との違い

 特許は法律行為的行政行為であり、私人のために特別な権利能力、権利、包括的な地位などを設定する効果意思の表示である。

 確認は準法律行為的行政行為であり、特定の事実または法律関係に関し、存否や真否を公の権威をもって判断する行為で、この判断(意思でない点に注意すること!)の表示に法律が一定の効果を付与するものである。

 特許法による特許:これは行政行為の特許ではなく、確認である。

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行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版 第11回 行政行為論その3:行政行為の効力

2015年06月11日 06時00分01秒 | 行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版

 行政法学の教科書には、たいてい、「行政行為には特殊な効力が備わっている」という趣旨のことが書かれている。たしかに、民法の法律行為、とくに契約と比較すれば、効力に違いがあることは否定できない。しかし、行政行為は一方的な行為であるから、第9回の冒頭において述べたように、法律行為で言うならば契約などのような双方行為ではなく、単独行為に類似するものと考えるべきであり、契約を引き合いに出すことは妥当性を欠くものと思われる。もっとも、単独行為と比較しても行政行為の効力に特殊性がみられることは否定できない。そこで、行政行為の効力をここで概観しておく。

 

 1.公定力

(1)公定力の意味

 行政行為が違法である場合であっても、無効である場合を除いて取消権限のある者(行政行為をした行政庁、その上級行政庁、不服審査庁、裁判所)によって取り消されるまで、何人もその行為の効力を否定できない。このようなことを指して、行政行為の公定力と表現する。

 公定力は、行政行為の効力の代表的な存在である。行政行為には他にも効力が存在するが、公定力が認められるから拘束力や不可争力などの効力も認められるのであって、公定力のない行政行為は無効であるから他の効力も認められるはずがないのである。

 ●最三小判昭和30年12月26日民集9巻14号2070頁(Ⅰ―71)

 事案:かねてから賃借権に関して争いのあった農地につき、某村農地委員会が原告に賃借権ありとする裁定処分をしたが、これに不服の被告が上級機関である某県農地委員会に訴願(当時)をし、某県農地委員会は一旦棄却したが、被告の申出によって再審議をした結果、被告に賃借権ありという裁決(これも行政行為である)を下した。そこで、原告は被告に対し、本件土地についての耕作権の確認および引渡を求めた。最高裁判所第三小法廷は、次のように述べて原告の上告を棄却した。

 判旨:「行政処分は、たとえ違法であつても、その違法が重大かつ明白で当該処分を当然無効ならしめるものと認むべき場合を除いては、適法に取り消されない限り完全にその効力を有するものと解すべきところ」、某県農地委員会が行った「前記訴願裁決取消の裁決は、いまだ取り消されないことは原判決の確定するところであつて、しかもこれを当然無効のものと解することはできない。」

最高裁判所第三小法廷は、某県農地委員会の裁決(これも行政行為である)が取り消されていないことを理由として原告の請求を棄却した。

 この判決については、公定力の他、後に取り上げる行政行為の不可変更力、行政行為の瑕疵の程度なども論点として存在している。某県農地委員会が出した最初の裁決について不可変更力があるとすれば、現在の行政不服審査法にいう再審査請求の手続がなされていないのに被告の請求により最初の裁決を覆す裁決を出したことには疑問が残る。最高裁判所第三小法廷は、某県農地委員会の行為について重大かつ明白な瑕疵は存在しないと述べているが、手続的にも実体的にも重大かつ明白な瑕疵が存在すると言えないのであろうか。

 (2)公定力の法的根拠

 行政行為に公定力を認めるとするならば、その根拠は何か。実は、行政法学において、このことが問題とされてきた。行政行為が実定法上のものであるからには、実定法に根拠を求められなければならないが、行政作用法には、一般的であれ、個別的であれ、公定力の存在を明示する規定が存在しないからである。

 かつては、規定の有無に関係がなく、行政行為に公定力が存在することが当然の前提とされており、行政行為の公定力は行政行為の適法性を推定させる力であるというような説明がなされた。しかし、これは実定法制度を完全に超越しており、日本国憲法の下において妥当すべき論理ではない。

 そこで、現在は、公定力の根拠を行政事件訴訟法における取消訴訟制度に求める見解が、学説などにおいて多数の見解となっている。行政行為をした行政庁自身が職権により取り消す場合などは別にして、私人が行政行為を取り消してもらいたいと思って裁判所に訴えるならば、取消訴訟制度によらなければならない。このため、取消権を有する者でなければ、私人であれ裁判所であれ他の行政庁であれ、その処分の効力を否定することはできないということになる。

 なお、第19回において述べるように、行政行為の内容に違反する私人に対し、その内容を履行するように行政庁の側から民事訴訟によって争うことがあるが、これは公定力とは関係ない。

 ※しかし、最三小判平成14年7月9日民集56巻6号1134頁(Ⅰ―115)は、パチンコ店の建築工事中止命令という行政行為の内容を履行するように求める宝塚市の訴えを裁判所法第3条第1項に照らして不適法であると判断し、却下した。

 (3)損害賠償請求との関係

 行政行為によって私人が損害を受けた場合、通説・判例は、直ちに国家賠償請求訴訟を提起してよいとする(すなわち、取消訴訟を先に提起する必要はない)。国家賠償請求訴訟において行政行為の違法性を審査することは当然であるが、行政行為の効力と関係なく、請求を認容しうるからである。

 ●最二小判昭和36年4月21日民集15巻4号850頁(Ⅱ―240)

 これは自作農特別措置法に基づく土地買収計画の無効確認を求めた訴訟である。訴訟中にこの買収計画が取り消されたため、訴えの利益がなくなったとして請求は棄却されたが、判決において「行政処分が違法であることを理由として国家賠償の請求をするについては、あらかじめ右行政処分につき取消又は無効確認の判決を得なければならないものではない」と述べられている。

 ▲もっとも、租税債権のように金銭債権・債務が関係する行政行為については、議論がある。国家賠償請求権、租税債権のいずれも金銭債権であるためである。

 以前から争われていたのが、課税処分の公定力と国家賠償訴訟との関係である。もし、課税処分が違法であるとして、国税通則法に定められた不服申立手続を経ることなく(租税法の場合は、不服申立前置主義が妥当する)、ただちに国家賠償請求訴訟を提起できるとすれば、不服申立手続を置く意味がなくなりかねない。国家賠償請求訴訟で裁判所の認容判決が出れば、実質的に課税処分の取消と同じ法的効果が生じてしまうからである。そのため、租税の場合については、行政争訟制度を利用せずに直ちに国家賠償請求を訴訟を提起することに否定的な見解が有力に主張されていた。

 私は、速報判例解説編集委員会編『速報判例解説(法学セミナー増刊)』第5号(2009年、日本評論社)315~318頁に掲載されている「固定資産税等の課税客体の評価の誤りについて国家賠償請求が認められた事例」において、神戸地判平成20年7月18日判例集未登載への解説・批評の形で課税処分の公定力と国家賠償請求訴訟との関係を論じた。詳細は同論文、および注に掲記した諸文献を参照されたいが、そもそも国家賠償法と行政争訟法とは目的を異にすることからして、課税処分の公定力を理由に国家賠償請求訴訟を認めないとする理由に乏しい。不服申立期間、出訴期間のいずれも徒過していなければ、国家賠償請求訴訟を認めないことに理はある。しかし、いずれの期間も徒過している場合に公定力を強調し、国家賠償請求訴訟を認めないとするのであれば、行政庁の側からの職権取消または減額更正処分を待つしかなくなる。そうであるとすれば、国税通則法第23条第1項が(減額)更正の請求の期間を5年としていること、地方税法第17条の5第1項が、原則として、法定納期限の翌日から起算して5年を経過した日以後において更正・決定処分をなすことができない旨を定めることから、結局は一切の法的救済の途を閉ざすことになりかねない。

 従って、私は、課税処分のように金銭債権が内容に含まれている行政行為についても、不服申立期間または出訴期間を徒過している場合については、公定力とは無関係に、ただちに国家賠償請求訴訟を提起しうると解する。次の判決も参照されたい(長めに引用した)。

 ●最一小判平成22年6月3日民集64巻4号1010頁

 事案:原告は名古屋市内に冷凍倉庫を所有していた。ところが、昭和62年度より平成18年度まで、名古屋市長はこの倉庫を一般倉庫と評価し、固定資産税および都市計画税の賦課処分を原告に対して行っていた。この処分に従って原告は両税を納めていたところ、同市の某区長(同市長から権限の委任を受けていた)は平成18年5月26日付で、原告所有の倉庫が冷凍倉庫に該当するとして、登録価格を修正した旨の通知を原告に対して行った上で、平成14年度から平成18年度までの5年度分については固定資産税および都市計画税の減額更正をした。さらに、名古屋市長は原告に対してこの5年度分の納付済み税額と更正後税額との差額を還付した。そこで原告は、昭和62年度から平成13年度までの分について固定資産税および都市計画税の過納金相当額等の支払を請求する訴訟を提起した。名古屋地判平成20年7月9日判例自治332号43頁は原告の請求を棄却し、名古屋高判平成21年3月13日判例自治332号40頁も控訴を棄却した。

 判旨:最高裁判所第一小法廷は、以下のように述べて原審判決を破棄し、名古屋高等裁判所に差し戻した。なお、引用文中の赤字は私による強調箇所である。

 「国家賠償法1条1項は、『国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。』と定めており、地方公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときは、当該地方公共団体がこれを賠償する責任を負う。前記のとおり、地方税法は、固定資産評価審査委員会に審査を申し出ることができる事項について不服がある固定資産税等の納税者は、同委員会に対する審査の申出及びその決定に対する取消しの訴えによってのみ争うことができる旨を規定するが、同規定は、固定資産課税台帳に登録された価格自体の修正を求める手続に関するものであって(435条1項参照)、当該価格の決定が公務員の職務上の法的義務に違背してされた場合における国家賠償責任を否定する根拠となるものではない」。

 「原審は、国家賠償法に基づいて固定資産税等の過納金相当額に係る損害賠償請求を許容することは課税処分の公定力を実質的に否定することになり妥当ではないともいうが、行政処分が違法であることを理由として国家賠償請求をするについては、あらかじめ当該行政処分について取消し又は無効確認の判決を得なければならないものではな」く(前掲最二小判昭和36年4月21日参照)、「このことは、当該行政処分が金銭を納付させることを直接の目的としており、その違法を理由とする国家賠償請求を認容したとすれば、結果的に当該行政処分を取消した場合と同様の経済的効果が得られるという場合であっても異ならないというべきであ」り、「他に、違法な固定資産の価格の決定等によって損害を受けた納税者が国家賠償請求を行うことを否定する根拠となる規定等は見いだし難い」から、「たとい固定資産の価格の決定及びこれに基づく固定資産税等の賦課決定に無効事由が認められない場合であっても、公務員が納税者に対する職務上の法的義務に違背して当該固定資産の価格ないし固定資産税等の税額を過大に決定したときは、これによって損害を被った当該納税者は、地方税法432条1項本文に基づく審査の申出及び同法434条1項に基づく取消訴訟等の手続を経るまでもなく、国家賠償請求を行い得るものと解すべきである」。

 この判決には二つの補足意見がある。

 まず、宮川光治裁判官は「不服申立手続及び抗告訴訟」と国家賠償請求とは「目的・要件・効果を異にして」いることを指摘する。その上で、「公務員の不法行為について国又は公共団体が損害賠償責任を負うという憲法上の原則及び国家賠償請求が果たすべき機能をも考えると、違法な行政処分により被った損害について国家賠償請求をするに際しては、あらかじめ当該行政処分についての取消し又は無効確認の判決を得なければならないものではないというべきである。この理は、金銭の徴収や給付を目的とする行政処分についても同じであって、これらについてのみ、法律関係を早期に安定させる利益を優先させなければならないという理由はない」と述べている。

 また、金築誠志裁判官は、取消訴訟と国家賠償請求訴訟とでは制度の趣旨・目的が異なることを指摘し、「一般的には、取消判決を経なければ国家賠償訴訟を提起できないとか、取消訴訟の出訴期間を徒過したときはもはや国家賠償請求はできないなどと解すべき理由はない」と述べる。その上で、「固定資産の価格評価は、法的な側面、経済的な側面、技術的な側面等、専門的判断を要する部分が多く、専門的・中立的機関によって審査するにふさわしい事柄であり、また、大量の同種処分が行われるものであるから、固定資産評価審査委員会の審査に強い効力を与えて、その早期確定を図ることは合理的と考えられ、国家賠償訴訟によって同委員会の審査が潜脱されてしまうのは不当であるように見える。しかし、こうした問題は、取消訴訟に前置される他の不服申立てに係る審査機関にも多かれ少なかれ共通するものであり、同委員会を特に他の不服申立てに係る審査機関と区別するだけの理由はないし、固定資産課税台帳に登録された価格の修正を求める手続限りの不服申立前置であっても制度的意義を失うものではないから、不服申立てを経ない国家賠償請求を否定する十分な理由になるとはいえない」と述べる。

 (4)刑事訴訟との関係

 行政行為に違反した者が刑事訴追を受けた場合、行政行為が違法であると主張するに際して、刑事訴訟において主張すれば足りるのか、別に取消訴訟を提起して行政行為の取消判決を得る必要があるか、という問題がある。最二小判昭和53年6月16日刑集32巻4号605頁(Ⅰ―72)、そして学説も、犯罪の構成要件の解釈と公定力とは無関係であることなどを理由として、刑事訴訟において主張すれば足りると解している。

 

 2.拘束力

 行政行為が成立すると、それは行政機関そのものに対する拘束力を有する。そして、相手方に対し、法律上あるいは事実上の効果を及ぼし、拘束力をもつ。ここから、行政行為の無効とは、行政行為の効力のうち、拘束力が欠けた状態のことである、と言い換えることも可能である。

 なお、最近は、拘束力を行政行為の効力としてとくにあげる必要はないとする見解が有力である。たしかに、私人に対する法律上の拘束力は公定力によって説明をなしうる。しかし、公定力自体によって行政行為をなした行政庁自身に対する拘束力を説明することはできないものと考えられる。

 

 3.不可争力(形式的確定力)

 一定の期間を経過すると、私人の側から行政行為の効力を争うことができない。この根拠も、一般的には行政事件訴訟法第14条および(旧)行政不服審査法第14条、(新)行政不服審査法第18条に求められる。但し、無効の行政行為に不可争力は存在しない。また、行政庁の側からの職権取消や撤回を妨げない。

 なお、個別法により、別に出訴期間が定められることもある。この期間が極端に短い場合には、憲法第32条に違反するものと評価されることになる(最大判昭和24年5月18日民集3巻6号199頁を参照)。

 

 4.執行力

 相手方の意思に反して行政行為の内容を行政権が自力で実現できる力を、執行力という。行政庁がその適法な行政行為を執行する際に、裁判所その他の第三者機関によって(相手方の)義務の存在が確認されなくとも、自力で義務の履行を執行でき、相手方の争訟提起があっても当然に執行を妨げられない。「自力執行力」とも呼ばれ、行政不服審査法第34条第1項、行政事件訴訟法第25条第1項で認められる。

 但し、実際には、執行力が認められるためには行政代執行法などの根拠を要する。このため、正確には執行付与力というべきであろう。

 

 5.不可変更力と実質的確定力

 或る種の行政行為(裁決など)について、公権力の側においてもこれを変更しえない場合がある。その行政行為をした行政庁自身がこれを変更できない場合のことを不可変更力という。

 さらに、上級行政庁や裁判所であってもこの行政行為の取消や変更をなしえず、またはこれに反する行為をなしえない場合がある。このことを実質的確定力と表現する。

 これらについては、実定法の根拠規定が存在しない。不可変更力、実質的確定力のいずれも、学説・判例によって構成されたものである。これらが認められるのは、行政庁がなす権利確定行為や争訟裁断行為が裁判所の判決と同様の効果を有するからであるとされるのであるが、やはり実定法の根拠なしに認めることには問題があるものと思われる。とくに、実質的確定力については、本来であれば明文の根拠が必要ではなかろうか。不可変更力についても、行政不服審査法などに規定することは可能であると思われる。

 不可変更力に関する代表的な判決として、最一小判昭和29年1月21日民集8巻1号102頁(Ⅰ―73)がある。これは、自作農創設特別措置法に基づく農地委員会の裁決に不可変更力を認めた判決である(裁決が実質的に裁判所の判決と変わらないことが理由とされている)。

 また、実質的確定力に関する判決として、最三小判昭和42年9月26日民集21巻7号1887頁(Ⅰ―74)がある。自作農創設特別措置法に基づく農地委員会の買収計画および取消決定と再度の買収計画に関するもので、取消決定が確定したことにより、行政庁もそれに拘束される結果として、再度の買収計画が違法であると判断された。

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行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版 第6回 行政立法(2)

2015年05月30日 16時33分28秒 | 行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版

 4.行政規則(行政命令)

 (1)定義など

 行政規則とは、行政機関が定立する、私人の権利義務に直接関係しない行政立法のことである。従って、法規命令と異なり、行政規則は外部的効果を有せず、行政内部における効果のみを有し、法律などの解釈の基準を示す(解釈基準)、行政庁の裁量権行使の基準を示す(裁量基準)、などの機能を有する。

 ▲ここで、外部的効果と内部的効果について説明を加えておく。

 外部的効果とは、或る行為などの効果のうち、行政の外部に対して働く何らかの法的効果のことである。法規命令の場合は、施行によって国民一般に対する拘束力を有する(法規命令は「法規」としての性格を有する)。また、行政行為は、特定の私人に対する法的拘束力を有する。

 内部的効果とは、或る行為などの効果のうち、行政の内部に対してのみ働く法的効果のことである。行政規則の場合、上級行政機関が下級行政機関に何かを命じるなどして効果を生じるのであるが、一般国民または特定の個人に対する法的拘束をなすものではない(法的には無関係である。つまり行政規則は「法規」でないということなのである)。

 行政規則は、通常、次のような形式として存在する。

 ①訓令・通達(国家行政組織法第14条第2項、内閣府設置法第7条第6項):上級行政機関が下級行政機関に対し、その権限の行使を指図するために発する命令のことである。論者によって用語法が異なるが、一般的には区別がなされていない。あえて言うなら、文書による命令が通達であるということになろうか(そのように定義する例もある)。

 ②要綱(地方公共団体の場合):条例を施行するためのものなど、様々な目的を有する。

 ③告示(国家行政組織法第14条第1項、内閣府設置法第7条第5項):但し、外部に対する法的拘束力を有する場合、すなわち法規としての性格を有する場合がある(国立公園などの指定の告示。なお、文部科学省は、学習指導要領を告示の形式で示しながら、法的拘束力があると主張しており、最一小判平成2年1月18日民集44巻1号1頁も法的拘束力を認める)。

(2)訓令・通達の法的拘束力に関する問題(重要)

 訓令・通達は行政規則としての法的性質を有するが、法規としての性質を有しない。このことから、従来の学説・判例は、内部行為的性質を重視しつつ次のような法理を示してきた。

 ①通達は、国民の法的地位に直接影響を及ぼすものではない。単に下級機関の権限行使を制約するにすぎない。そのため、上級行政機関は、その有する包括的な行政監督権限に基づき、下級機関の所掌事務について、とくに法律の根拠を必要とせずに通達を発することができる。

 ②行政庁が国民に対して通達に反する処分を行っても、その処分は通達違反の故に直ちに違法とは認められない。国民は、通達に違反した不利益な処分を被っても、処分が通達に違反することのみを以て処分の違法を主張することはできない。行政庁側も、処分が通達に違反しないことを理由として、処分の違法性が争われているときにその処分の適法性を根拠づけることは許されない。また、裁判所も、法令の解釈運用の際に訓令・通達の拘束を受けることはない。従って、通達に定められた取扱いが法の趣旨に反している場合には、裁判所は、その取扱いの違法も判断できる。

 ③通達は、国民と直接関係しない。従って、違法な通達が発せられ、そのために事実上国民に対し不利益な効果が及んでも、国民は通達自体を争うことはできない。もし違法な通達が発せられた場合には、国民は具体的な不利益処分が行われるのを待ち、行政処分がなされた段階で、この行政処分に対して行政訴訟などを提起して、違法な通達を執行した具体的処分の違法性を争えばよい。

 ●最三小判昭和43年12月24日民集22巻13号3147頁(Ⅰ―57)

 墓地、埋葬等に関する法律第13条に定められた「正当な理由」(埋葬の拒否に関する)について厚生省環境衛生課長が通達を発していたが、宗教団体間の対立から埋葬拒否事件が多発するに至り、同省公衆衛生局環境衛生部長が新たに通達を発した。これに対し、原告寺院が異宗徒の埋葬の受忍が刑罰によって強制されるなどとして、新たな通達の取消しを求めて出訴した。最高裁判所は、上に示したような通達の性格を述べた上で、通達が直接的に原告寺院の埋葬受忍義務を課したり墓地の経営管理権を侵害したりするようなものではなく、通達は行政処分ではないとして、上告を棄却した。

 しかし、現実において、通達は行政機構に対して強い指導力(ないし拘束力)を有し、国民の地位に大きな影響を及ぼすことが多い。状況によって、通達に何らかの法的意味を認めることも必要となろう、具体的には次のような論点がある。

 a.通達によって慣習法化した場合(例、法解釈):通達が変更されるときなどに問題となる。

 ●最二小判昭和33年3月28日民集12巻4号624頁(Ⅰ―56)

 旧物品税法において「遊戯具」は課税対象物品とされたが、パチンコ球遊器は10年間ほど課税の対象となっていなかった。しかし、東京国税局長は、パチンコ球遊器が「遊戯具」に該当するという趣旨の通達を発し、これに基づいて税務署長がパチンコ球遊器製造業者に対して物品税賦課処分を行った。判決は、「本件の課税がたまたま所論通達を機縁として行われたものであっても、通達の内容が法の正しい解釈に合致するものである以上、本件課税処分は法の根拠に基く処分と解するに妨げがな」いと述べた。

 b.通達によって処分への審査基準が設定された場合(例、平等原則違反)。また、大量一律に許認可の可否を決定する場合。

 c.国民が通達の影響で直接的に重大な不利益を被り、しかも通達そのものを争わなければ、救済を全うしえないような特段の事情がある場合。

 (3)要綱の問題

 補助金給付要綱(これは、実際上、裁量基準として機能する。また、法律の委任を受けていない場合が多い)や指導要綱(宅地開発指導要綱など、地方公共団体において制定された、行政指導の基準)などの形式で存在する。とくに指導要綱が問題とされうる。

 ●最一小判平成5年2月18日民集47巻2号574頁(Ⅰ―103)

 武蔵野市は、中高層建築物建設事業を行う業者に対して開発負担金を納付することを求める行政指導をするため、指導要綱を制定した。原告業者は、賃貸マンションを建設する際に開発負担金を納付したが、これが強迫(行政指導のことを指している)によるものとして返還請求訴訟を起こし、控訴審では国家賠償請求を追加した。最高裁判所は、強迫の主張は認めなかったが、行政指導の限度を超え、違法な公権力の行使があったとして、原審判決を破棄し、差し戻した。

 (4)裁量基準の公表

 裁量基準として行政規則が定められることが多い。裁判所はこれに拘束されない(前掲最三小判昭和43年12月24日)。しかし、裁量基準が公表されると、国民に予測可能性を与え、行政庁の恣意的な判断を抑制する効果がある。逆に、行政庁の意図を知らしめることによってそのとおりの目的を達成しうる。

 行政手続法第5条は、申請に対する処分についての審査基準を可能な限り具体的に定めた上で公開することを義務付ける。また、同第12条は、不利益処分についての処分基準を可能な限り具体的に定めた上で公開することを努力義務としている。

 ●最一小判昭和46年10月28日民集25巻7号1037頁(個人タクシー事件、Ⅰ―125)

 事案:Xは新規の個人タクシー営業免許を申請した。陸運局長Yはこれを受理し、聴聞を行ったが、道路運送法第6条に規定された要件に該当しないとして申請を却下する処分を行った。Xは、聴聞において自己の主張と証拠を十分に提出する機会を与えられなかったなどとして出訴した。

 判旨:最高裁判所第一小法廷は、手続が行政庁の独断を疑わせるような不公正なものであってはならず、法律の趣旨を具体化した審査基準の設定および公正かつ合理的な適用が必要であり、そして申請人に主張と証拠の提出の機会を与えなければならないと述べ、申請人には公正な手続を受ける法的利益があるとした上で、本件の審査手続に瑕疵があるとして、申請却下処分を違法と判断した。

 (5)意見公募手続

 意見公募手続とは、命令等制定機関が命令等を定めようとする場合に、あらかじめ、当該命令等の案および関連する資料を公示し、意見の提出先および提出期間を定めて広く一般の意見を求めることである(行政手続法第39条第1項)。

 ここで「命令等制定機関」とは、命令等を定める機関のことであり、政令のように「閣議の決定により命令等が定められる場合」は「当該命令等の立案をする各大臣」をいう(行政手続法第38条第1項)。

 また、「命令等」は、行政手続法第2条第8号により、次のものとされる(同イ~ニ)

  法律に基づく命令(処分の要件を定める告示を含む)または規則

  審査基準

  処分基準

  行政指導指針

 なお、行政指導指針に関連して、最一小判平成5年2月18日民集47巻2号574頁(Ⅰ-103)および最三小判昭和60年7月16日民集39巻5号989頁(Ⅰ-132)に注意すること(両判決とも別の機会に扱う)。また、行政手続法第32条以下を必ず参照すること。

 さらに、平成26年改正により、第35条が改正されたこと、および、「行政指導の中止等の求め」として第36条の2が、「処分又は行政指導」を求めうることを定める規定として第36条の3が追加されたことにも注意を要する。 

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行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版 第6回 行政立法(1)

2015年05月30日 04時00分01秒 | 行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版

 1.行政立法とは

 憲法第41条には、国会が「国の唯一の立法機関である」と定められている。ここにいう立法は実質的意味の立法を意味するものとされているから、原則として、実質的意義の立法(権)は立法機関たる議会(国会)によって担われるべきものと考えられる

 しかし、現実の問題として、全ての事項について詳細にわたって立法機関が実質的意義の立法(権)を行使することは不可能である。そこで、法律を執行するための細則などを行政機関が定める必要が出てくる。また、法律は、或る事項についての要件の決定などを行政に委任することが多くなっている。そこで、行政権実質的意味の立法権を行使することになる。

 憲法第73条第6号も、内閣による実質的意味の立法の行使(政令の制定)を認める。但し、実質的意味の立法ということで、国民の権利や自由などに直接の影響を与えることが予定されることになるため、一定の要件を必要とする。

 それでは、何故、行政立法が必要とされるのであろうか。ここで、よく指摘される点に私自身が考えていることを交えて掲げておく。いずれも深く結びついている。

 第一に、福祉国家理念の実現のため、行政需要の拡大と、迅速な対応の必要性が生じたことである。

 第二に、科学技術などの発展と、それに対する専門技術的知識の必要性が高まったことである。

 第三に、法律の改正には時間がかかり、事態の推移などに迅速に対応しにくいが、行政立法の場合は、法律の改正ほど時間がかからないので、より的確な対応を速くとりうることである。

 第四に、現実に見られる一般的な傾向として、専門技術などについては国会(議員)より行政(職員)のほうが熟達している、という事実を否定することはできないであろう。このためもあって、法律で詳細な規制基準を設けることが難しくなっている。仮に法律に盛り込むとすると、今度は法律の規定がわかりにくいものになりかねない。

 勿論、行政立法の有用性を認めるとしても、日本国憲法が三権分立主義を採用する限り、行政立法は例外的な存在である。また、行政立法は国民主権の原理に照らしても例外的な存在と言わざるをえず、むやみな拡大は望ましくない。行政立法の問題点としては、さしあたり、次の点を指摘しうる。

 まず、行政立法については、国会が行政に対して行う統制(コントロール)を働きにくくするという点を指摘しうる

 ※もっとも、それならば法律や条例はどうなのかという問題もある。現実には、法律や条例の大部分が行政の担当部局の職員により、案として作成されているからである。最近でこそ少なくなったが、オール与党化が指摘された地方議会の議員には、議会の役割が執行機関(地方公共団体の長以下の機関)による予算を成立させることこそ議会の役割であると公言する者が多かった。これでは大日本帝国憲法下において天皇の翼賛機関とされた帝国議会と変わりがなく、まともな議会活動を期待できないし、行政の独走などを許すだけである。

 次に、法律の改正と異なり、行政立法の改正は国民の目に触れにくい。とくに、行政規則とされるものがそうであり、行政権の裁量による新設・改正・廃止が実質的に我々の生活に影響を及ぼす可能性がある。

 そして、現在の裁判制度においては、たとえ行政立法が憲法や法律に違反しているとしても、行政立法自体の違憲性や違法性を争う手段がない。何か具体的な事件が発生しなければ、行政立法の違憲性や違法性を問うことができないのである。これでは、仮に行政立法が憲法や法律に違反しているとしても、その状態が放置され、固定化されることになるのである。

 

 2.行政立法の種類

 従来の学説は、行政立法を二つに大別していた。これについては、全く性質の違う手段を一つにしているということで批判がありうるが、ここでは便宜上、従来通りに説明をする。

 法規命令:これは委任命令と執行命令とに分かれる。名称のとおり、私人の権利や自由などに直接の影響を及ぼすことが予定されている。

 行政規則:これは私人の権利や自由などに直接の影響を及ぼさないとされるものである。基本的に行政内部における一般的・抽象的規範である。

 

 3.法規命令

 (1)定義など

 法規命令とは、行政機関が制定する、行政と私人との権利義務関係に関する一般的規律のことである。名称のとおり、狭義の「法規」としての性質を有する。内閣が発する政令(憲法第73条第6号、内閣法第11条)、内閣府令(内閣府設置法第7条第3項)、各国務大臣が発する省令(国家行政組織法第12条第1項)が法規命令に該当する。

 法律の留保の原則によると、狭義の「法規」を作りうるのは、国民の代表機関である議会によって定立される法律(狭義の法律)のみである。法規命令は、この原則に対する例外をなすのであるから、この原則を可能な限り貫徹するためには、行政機関が単独で実質的な意味における立法の権限を行使することを許してはならない。従って、狭義の法律とは異なり、法律の委任がなければ、国民に義務を課し、または権利を制約する規定を設けることはできない(憲法第73条第6号、内閣法第11条、内閣府設置法第7条第4項、国家行政組織法第12条第3項を参照)。

 日本国憲法の下において、法規命令は、委任命令執行命令とに区別される。なお、大日本帝国憲法第9条は、法律の委任を受けることなく天皇(行政)が発する独立命令も認めていたが、日本国憲法において独立命令を認める余地はない。

 委任命令とは、法律の委任により、新たに私人の権利・義務を創設するなど、私人の権利や自由などに直接的・具体的な影響を与えるもので、実体的な条文を定める。学説は、実体性に着目して、個別的かつ具体的な授権規定の必要性を主張する。

 これに対し、執行命令とは、上位の法令の執行を目的とし、上位の法令において定められている私人の権利や義務を詳細に説明する命令、または、私人の権利や義務を実現するための手続に関する命令をいう。執行命令については一般的な授権で足りるとされる(新たな権利義務の設定を伴わないためである)。

 (2)法律による委任の問題点

 委任命令については、法律における授権規定の性質が問題とされる。抽象的・包括的な委任では、法律に何らの要件をも定めないことと同じであり、行政が実質的な意味の立法権を自由に行使することを許容することになりかねないためである。

 私が、個別的かつ具体的な委任の例として、よく講義で委任命令の例として利用するのが、所得税法第27条第1項と所得税法施行令第63条である。まず、所得税法第27条第1項の規定をみよう。

 「事業所得とは、農業、漁業、製造業、卸売業、小売業、サービス業その他の事業で政令で定めるものから生ずる所得(山林所得又は譲渡所得に該当するものを除く。)をいう。」

 この規定は、事業所得とされる所得についての詳細な定義を政令としての施行令に委任する旨を示すが、「農業、漁業、製造業、卸売業、小売業、サービス業」と具体的な例を自ら示している。これにより、施行令に委任されるべき事柄は明確であり、範囲も限定されることとなる。「その他の事業で政令で定めるもの」が、法律に例示された事業から遠くかけ離れたようなものであったり、そもそも事業とは言えないものであったりすることは許されない。そこで所得税法施行令第63条をみよう。次のような規定である。

 「法第二十七条(事業所得)に規定する政令で定める事業は、次に掲げる事業(不動産の貸付業又は船舶若しくは航空機の貸付業に該当するものを除く。)とする。

 一 農業

 二 林業及び狩猟業

 三 漁業及び水産養殖業

 四 鉱業(土石採取業を含む。)

 五 建設業

 六 製造業

 七 卸売業及び小売業(飲食店業及び料理店業を含む。)

 八 金融業及び保険業

 九 不動産業

 十 運輸通信業(倉庫業を含む。)

 十一 医療保険業、著述業その他のサービス業

 十二 前各号に掲げるもののほか、対価を得て継続的に行なう事業」

 基本的に、法律第27条第1項の例示に即しつつ、より詳細に事業の内容を示していることがわかる。施行令第63条第2号は第1号(法律に示された例)に近いものであるし、施行令のほうの第3号にある水産養殖業は、当然、漁業に結びつく。第11号および第12号は少々具体性を欠くが、事業とされるものの範囲が広範であり、時代の変遷とともに拡大することからして、やむをえないものである。また、施行令第63条柱書きでは不動産の貸付業、船舶の貸付業および航空機の貸付業が除外されているが、これらは所得税法第26条において不動産所得とされていることによる。租税法に求められる要請が基因となっているのかもしれないが、所得税法施行令第63条は、委任立法として望ましい形に仕上がっている例と評価することもできるであろう。

 行政法学、さらには憲法学において問題とされるのは、国家公務員法第102条第1項である。同項は、国家公務員に対し、選挙権の行使を除いて人事院規則14-7に定められる「政治的行為」を禁止している。これは、法律そのものが、禁止すべき「政治的行為」の性質について全く例示をしないまま、具体的な中身を人事院規則に委任していることを意味する。選挙権の行使は憲法第15条により保障される基本的人権であるから、これを「政治的行為」から除外するのは当然であり、除外したところで何が「政治的行為」であるかを法律そのものから了知しうる訳ではない。そもそも「政治的行為」はあまりに漠然としている概念であるから、国家公務員法第102条第1項については、法律の授権が包括的にすぎる、白紙委任であるとして、批判も強い。しかも、同項に違反した場合には同第110条第1項第19号という罰則が適用されうるので、一般的・包括的な委任では罪刑法定主義を逸脱することになりかねないのである。

 ※白紙委任の代表例として、刑法第94条がある(現在に至るまで適用例はない)。これは中立命令違反罪を規定するものであるが、犯罪の構成要件が完全に「局外中立に関する命令」に委任されており、法律は刑罰のみを明らかにしている。

 国家公務員法第102条第1項については、裁判でも合憲性が問題とされた。しかし、判例は合憲としている。次の二つの判決を紹介しておこう。

 ●最大判昭和49年11月6日刑集28巻9号393頁(猿払事件):「政治的行為の定めを人事院規則に委任する国公法102条1項が、公務員の政治的中立性を損うおそれのある行動類型に属する政治的行為を具体的に定めることを委任するものであることは、同条項の合理的な解釈により理解しうるところである。そして、そのような政治的行為」は「公務員組織の内部秩序を維持する見地から課される懲戒処分を根拠づけるに足りるものであるとともに、国民全体の共同利益を擁護する見地から科される刑罰を根拠づける違法性を帯びるものであ」り、同項が「同法82条による懲戒処分及び同法110条1項19号による刑罰の対象となる政治的行為の定めを一様に委任するものであるからといって、そのことの故に、憲法の許容する委任の限度を超えることになるものではない。」

 ●最二小判平成24年12月7日刑集66巻12号1722頁:国家公務員法第102条第1項が「同法110条1項19号による刑罰の対象となる政治的行為の定めを一様に委任するものであるからといって、そのこと故に、憲法の許容する委任の限度を超えることにはならない。処理すべき問題は何か、その問題をどのような方向で解決するかが決定された上で、委任がされるときは、一見規定上は白紙委任のようであっても、違憲となるものではないと解される。/本件の場合、人事院規則に政治的行為の定めを委任する目的が、公務員の政治的中立性を維持することにより行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するためであることは、規定の文言及び趣旨からみて明らかであるから、問題の特定は十分にされているということができる。また、上記委任が、公務員の政治的中立性を損なうおそれのある政治的行動の定めを予定するものであることも、規定の文言及び趣旨から合理的に理解することができる。したがって、その委任は、白紙委任ではなく、それ自体において違憲とすべきものではない。」(/は、原文における改行箇所)

 (3)法規命令の違法性

 委任する法律の側ではなく、委任を受けた側(法規命令)の違法性が問題となることがある。以下、若干の例を概観しておく。

 ●最大判昭和46年1月20日民集25巻1号1頁(Ⅰ―51)

 農地法第80条(当時)は、国が強制買収で取得した農地について農林大臣が農地としての性格が認められないとして相当と認めた場合に旧所有者又はその一般承継人に売り払わなければならないと規定していた。法律の規定では対象の土地について限定を加えていなかったが、農地法施行令旧第16条は「公用、公共用又は国民生活の安定上必要な施設の用に供する緊急の必要があり、且つ、そのように供されることが確実な土地等」に限定していた。判決は、施行令旧第16条が農地法の委任の範囲を超えて無効であると述べた。この判決は妥当であり、とくに問題はないものと思われる。

 ●最一小判平成2年2月1日民集44巻2号369頁

 銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)第14条は、現在、次のような規定である。

 第1項:「都道府県の教育委員会は、美術品若しくは骨とう品として価値のある火縄式銃砲等の古式銃砲又は美術品として価値のある刀剣類の登録をするものとする。」

 第2項:「銃砲又は刀剣類の所有者(所有者が明らかでない場合にあつては、現に所持する者。以下同じ。)で前項の登録を受けようとするものは、文部科学省令で定める手続により、その住所の所在する都道府県の教育委員会に登録の申請をしなければならない。」

 第3項:「第一項の登録は、登録審査委員の鑑定に基いてしなければならない。」

 第4項:「都道府県の教育委員会は、第一項の規定による登録をした場合においては、速やかにその旨を登録を受けた銃砲又は刀剣類の所有者の住所地を管轄する都道府県公安委員会に通知しなければならない。」

 第5項:「第一項の登録の方法、第三項の登録審査委員の任命及び職務、同項の鑑定の基準及び手続その他登録に関し必要な細目は、文部科学省令で定める。」

 訴訟が提起された当時の規定によれば、銃砲刀剣類のうちで美術品や骨董品としての価値があるものについては、文化庁長官への登録によって所持できるとされていた。訴訟で問題とされたのは、銃砲刀剣類のうち、どのようなものが登録の対象になるかということである。

 銃砲刀剣類登録規則第3条は、第1項において「登録審査委員は、都道府県の教育委員会の指示を受けて、火縄式銃砲等の古式銃砲及び刀剣類の鑑定の職務に従事する」と定め、第2項において「登録審査委員は、鑑定にあたつては、次条の鑑定の基準に従つて公正に行なわなければならない」と定める。この鑑定を受けなければ登録をすることができない訳であるが、第4条第1項は鑑定の対象を「日本製銃砲にあつてはおおむね慶応三年以前に製造されたもの、外国製銃砲にあつてはおおむね同年以前に我が国に伝来したもの」としているのに対し、第4条第2項は、刀剣類の鑑定の対象を日本刀に限定している。外国刀剣(サーベル)は、それが美術品や骨董品としての価値がある物であるとしても登録の対象とならない訳である。

 ※元々は文化財保護委員会規則であったが、昭和43年から文部省令となった。現在は文部科学省令である。

 最高裁判所第一小法廷は、法律が登録基準の設定自体を省令に委任しており、省令においてどのような基準を定めるかについては行政庁の専門技術的な裁量が認められるとした上で、登録の対象を日本刀のみとする登録規則第4条第2項は法律の委任の趣旨を逸脱するものではないと述べた。

 省令における基準設定について、行政庁の専門的な裁量が認められることはやむをえないであろう。しかし、この事件の場合、立法の経緯はともあれ、法律の規定のみからでは登録の対象が日本刀のみに限られるという趣旨を読み取ることはできず、判旨には疑問が残る。

 ●最三小判平成3年7月9日民集45巻6号1049頁(Ⅰ―52)

 旧監獄法第50条は、在監者への接見の制限について「命令」(法務省令)で定めるとしており、同法施行規則第120条は14歳未満の者が在監者と接見することを許さないとする規定であった。判決は、この制限が法律によらないで被勾留者の接見の自由を著しく制約するものであるとして、施行規則第120条が法律の第50条による委任の範囲を超え、無効であると述べた。

 ●最一小判平成14年1月31日民集56巻1号246頁

 事案:児童扶養手当法第4条第1項は、児童扶養手当の支給要件を次のように定めている。

 「都道府県知事、市長(特別区の区長を含む。以下同じ。)及び福祉事務所(社会福祉法(昭和二十六年法律第四十五号)に定める福祉に関する事務所をいう。以下同じ。)を管理する町村長(以下「都道府県知事等」という。)は、次の各号のいずれかに該当する児童の母がその児童を監護するとき、又は母がないか若しくは母が監護をしない場合において、当該児童の母以外の者がその児童を養育する(その児童と同居して、これを監護し、かつ、その生計を維持することをいう。以下同じ。)ときは、その母又はその養育者に対し、児童扶養手当(以下「手当」という。)を支給する。

 一 父母が婚姻を解消した児童

 二 父が死亡した児童

 三 父が政令で定める程度の障害の状態にある児童

 四 父の生死が明らかでない児童

 五 その他前各号に準ずる状態にある児童で政令で定めるもの」

 この第5号を受けて児童扶養手当法施行令第1条の2が定められるが、その第3号は「母が婚姻(婚姻の届出をしていないが事実上婚姻関係と同様の事情にある場合を含む。)によらないで懐胎した児童(父から認知された児童を除く。)」と定められていた。すなわち、子が父から認知されなければ、母は児童扶養手当を受給するが、子が父から認知されると児童扶養手当を受給できないこととなる。

 X(原告・被控訴人・上告人)は、A(子)が同施行令第1条の2第3号に定められる児童に該当するとして児童扶養手当を受給していた。しかし、B(父)がAを認知したため、Y(県知事。被告・控訴人・被上告人)は、同号括弧書きに該当するとしてXの受給資格を喪失させる処分を行った。そこで、Xは同号括弧書きが憲法第14条に違反するなどとして処分の取消を求めた。

 判旨:最高裁判所第一小法廷は、同号括弧書きが法律の趣旨、目的に照らして均衡を欠く結果となり、法律の委任の趣旨に反すると述べ、本件受給資格喪失処分を取り消した(反対意見がある)。判決理由中においては、法律第4条第1項ないし第4項が「法律上の父の存否のみによって支給対象児童の類型化をする趣旨でないことは明らかであるし、認知によって当然に母との婚姻関係が形成されるなどして世帯の生計維持者としての父が存在する状態になるわけでもない。また、父から認知されれば通常父による現実の扶養を期待することができるともいえない。したがって、婚姻外懐胎児童が認知により法律上の父がいる状態になったとしても、依然として法4条1項1号ないし4号に準ずる状態が続いているものというべきである」。

 なお、この判決を受けて、児童扶養手当法施行令第1条の2第3号の括弧書きの部分は削除されている。

 ●最大判平成21年11月18日民集63巻9号2033頁(Ⅰ-53)

 事案:高知県安芸郡東洋町に居住する原告ら(このうちのX5が公務員としての農業委員会委員であった)は、地方自治法第80条第1項に基づき、同町選挙管理委員会に対し、同町議会議員のAについて解職請求を行った。原告らは、この解職請求に係る署名簿を平成20年4月14日に同町選挙管理委員会に提出し、17日に受理されたが、5月2日、署名簿にある全員の署名を無効とする旨の決定を行った。そのため、原告らは異議を申し立てたが、同調選挙管理委員会は異議申立てを棄却したため、出訴した。高知地判平成20年12月5日民集63巻9号2117頁は原告らの請求を棄却したため、地方自治法第80条第4項(第74条の2第5項および第8項を準用する)により、最高裁判所へ上告した。

 問題とされたのは、地方自治法第85条第1項が公職選挙法第89条第1項を準用し、これを受ける形で当時の地方自治法施行令第115条・第113条・第108条第2項・第109条が公職選挙法第89条第1項を準用することによって、農業委員会委員が(公職候補者となることができる場合と否とを問わずに)在職中に議会議員の解職請求代表者となることができない旨を定めていたことである。

 最高裁判所大法廷は、前掲高知地判を破棄し、次のように述べて同町選挙管理委員会による異議申立棄却決定を取り消した(最二小判昭和29年5月28日民集8巻5号1014頁を変更したこととなる)。

 判旨:地方自治法は「議員の解職請求について、解職の請求と解職の投票という二つの段階に区分して規定しているところ、同法85条1項は、公選法中の普通地方公共団体の選挙に関する規定(以下「選挙関係規定」という。)を地自法80条3項による解職の投票に準用する旨定めているのであるから、その準用がされるのも、請求手続とは区分された投票手続についてであると解される」から、地方自治法第85条第1項は「専ら解職の投票に関する規定であり、これに基づき政令で定めることができるのもその範囲に限られるものであって、解職の請求についてまで政令で規定することを許容するものということはできない」。しかし、前記の地方自治法施行令の各規定は、地方自治法第85条第1項に基づいて公職選挙法第89条第1項本文を「議員の解職請求代表者の資格について準用し、公務員について解職請求代表者となることを禁止して」おり、これは地方自治法第85条第1項に「基づく政令の定めとして許される範囲を超えたものであって、その資格制限が請求手続にまで及ぼされる限りで無効と解するのが相当である」。

 (4)法規命令に対する手続的な統制の手段

 上述のような問題点を抱える法規命令であるが、手続面において民主的な統制を加えることにより、実体面にも民主的な色彩を高めることが可能である。その手法としては、現在、次のような例がある。

 第一に、国会による事後承認である。日本においては少ないが、災害対策基本法第109条の例がある。

 第二に、審議会などへの諮問である。電波法第99条の11に義務づけの例がある。なお、審議会などは諮問機関の一種とされるが、手続の点などにおいて問題があり、透明化が必要とされている。現在、中央省庁等改革基本法第30条第4号が、会議や議事録の公開を原則とする旨を規定している。

 第三に、公聴会やパブリック・コメント手続である。国民一般、あるいは利害関係人に意見陳述の機会を与えるもので、独占禁止法第71条、不当表示防止法第5条第1項などに例がある。

 なお、最近ではパブリック・コメント手続がとられることが多くなっており、重要性も増している。これは、まず、政策などの趣旨や省令などの原案を公表し、これに対する国民からの意見を聴取するというものである(インターネットが活用されることになる)。そして、意見を集約した上で結果を公表するというものである。場合によっては、さらに公聴会や討論会を開催することもありうる。

 法規命令を含め、行政立法の制定手続については、行政手続法に盛り込むべきであるという議論があり、検討が重ねられたが見送られたという経緯があった。

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行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版 第4回 法律による行政の原理

2015年05月25日 00時06分30秒 | 行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版

 1.法治主義(Rechtsstaatsprinzip)と法律による行政の原理(Der Grundsatz der Gesetzmäßigkeit der Verwaltung)

 今回の題目に掲げられている「法律による行政の原理」(法治行政の原理ともいう)は、ドイツ公法学、とくにオットー・マイヤー(Otto Mayer. 1846-1924)によって確立された法治主義理論に由来するものである。そこで、まず、法治主義の内容をみることとしよう。

 法治主義は、法治国家ともいうことがある。ドイツ語ではRechtsstaatという。この言葉自体に、法治主義の本来の意味が隠れている。Rechtは、法を意味すると同時に権利をも意味し、正義をも意味する。権利という場合にはSubjektives Recht、法という場合にはObjektives Rechtと区別することもある※※。また、Staatは国家を意味する。このことから、Rechtsstaatは、やろうと思えば権利国家とも訳せるのである。

 ※最近では「主観的権利」という言葉が氾濫しているが、権利そのものが主観的なものであるし、客観的権利というものは想定されていないから、誤訳、もっと言えば悪訳である。

 ※※権利が主観的な正義であるとするならば、法は客観的な正義ということになるのであろうか。

 日本国憲法の下における法治主義は、基本的に二つの内容を前提としている。

 第一に、公権力によって国民の権利・自由を制約する場合には、必ず、立法府たる国会(議会)の制定した法律の根拠が必要である。

 第二に、法律の根拠があるからといって国民の権利・自由をどのように制約してもよいという訳ではない。立法府(国民の代表からなる)による法律であっても制約できない権利・自由が存在する。すなわち、基本的人権が尊重されなければならないのである。

 このうち、本来の法治主義の内容は第一のものであるが、これはイギリス法の「法の支配」(Rule of Law)と土台を同じくする。しかし、法の支配と異なる点は、法治主義の場合、立法作用などが行われるための手続を示すものであり、形式的な概念であるということである。法の支配の場合は、元々が王権に対する封建貴族の権利を擁護するためのものであったが、それが一般的に発展し、国民(とくに市民階級)が立法過程に関与し、自らの権利や自由を可能な限り防衛しようとすることに資する原理である。これに対し、法治主義の場合は、ドイツにおいて市民階級の発達が十分でなかったという社会的背景が存在したため、法の支配にみられるような契機は皆無でなかったものの、弱かったのである。また、法の支配の場合は、市民階級の権利や自由の防衛という目的のために法の実質的内容と合理性を問うものであったのに対し、法治主義の場合は、法の実質的内容と合理性はそれほど強く問われなかったのである

 ※もっとも、法規(Rechtssatz)の概念には注意しなければならない。第1回において説明したので、参照されたい。

 しかし、第一の内容のみでは、結局、法律さえあれば如何様にも権利や自由を制約しうるということになる。これでは国家による不法な行為を防ぐことが十分にできなくなる。そこで、第二次世界大戦後のドイツ公法学においては、法治主義に第二の内容が加わり、憲法裁判所制度の設置および発達によって法治主義の概念が豊かなものになっている。これを日本において高く評価するのが長尾一紘教授であり、現在のドイツ公法学における法治主義の内容を「①権力分立原則、②憲法の優位、③基本権の保障、④法律適合性の原則、⑤法的安全性の原則、⑥比例の原則、⑦裁判による権利保護」とまとめている。いずれも、行政法との関連において重要なものである。

 ※長尾一紘『日本国憲法』〔第3版〕(1997年、世界思想社)25頁。

 以上のような法治主義を行政法に当てはめる際に、法律による行政の原理が導き出されることとなる。オットー・マイヤー以来、この原理は次の三点を主な内容とするものである。

 第一に、前述の狭義の法規を作りうるのは法律のみであるという原則を生み出す。これは「法律の法規創造力の原則」とも言われる。ここでは法治主義の元来の内容がそのまま導入され、国民の権利や自由を直接的に制限し、あるいは国民に義務を課する法規範(法規)は、国民の代表機関である議会によって定立される法律によらなければならないとされる。日本国憲法第41条における立法とはこの意味であり、行政機関が単独で実質的な意味における立法の権限を行使することは許されないのである。

 ※もっとも、実際には例外もある。行政立法がそれに該当するが、この場合であっても、日本国憲法においては、法律の委任なくして法規を定めることはできないとされている。詳細は第6回において扱う。

 第二に、行政の様々な活動が法律に反してはならないという原則を生む。これは「法律の優位の原則」(Der Grundsatz des Vorrangs des Gesetzes)とも言われる。従って、行政決定や行政慣例が法律の内容と矛盾する場合には、その範囲において行政決定や行政慣例が違法となる。なお、憲法に違反してはならないことは当然のことである。

 第三に、行政が何らかの活動を行う際に、その活動を行う権限が法律によって行政機関に授権されていなければならない(すなわち、与えられていなければならない)という原則を生む。これは「法律の留保の原理」(Der Grundsatz des Vorbehalts des Gesetzes)と言われている。第一の内容から導き出されるものであり、少なくとも、国民の権利や自由を制約し、または新たな義務を課するような活動を、法律の根拠なくして行政権が単独でなすことは許されないということになる。

 

 2.法治主義の射程距離―侵害留保説、全部留保説など―

 但し、法律の留保の原則については、適用される範囲という問題がある。

 まず、既に述べたように、少なくとも国民の権利や自由を制約し、または新たな義務を課する行政活動については、法律の根拠を必要とする。この考え方については一致がみられる。自由主義を前提とする限り、当然のことである。

 問題は、その他の行政活動にも法律の根拠が必要であるのかということである。上述の考え方に留まる考え方が侵害留保説であり、日本国憲法の下においても支持されてきた。通説であり、判例も、この考え方を前提としているものと思われる。ちなみに、侵害留保説を採りつつも、法律の根拠を必要とする範囲を拡大することは可能であるし、望ましい。

 しかし、民主主義の原則は、国民主権を前提とするから、行政権の発動も国民の意思に従うべきである、という考え方も、当然成り立ちうる。そこで、(少なくとも国民に対する)全ての行政活動に法律の根拠を必要とするという考え方がある。これを全部留保説という。しかし、この考え方に対しては、現実的でない、行政が硬直化して臨機応変に需要の変化に対応できないなどの問題がある。

 侵害留保説と全部留保説との間に、様々な説が展開されている。そのうちの代表的なもののみを取り上げておく。

 まず、権力留保説は、侵害留保説を拡張し、行政がおよそ権力的な行為形式によって活動をなす際には法律の根拠を必要とするという考え方である。国民に権利を与えたり義務を免ずるものであっても、法律の根拠が必要とされることになる。

 つぎに、社会留保説がある。これは福祉国家理念から発生したもので、国民の社会権を確保するために行われる生活配慮行政についても法律の根拠を必要とするという考え方である。給付行政にも法律の根拠が必要であるということになる。

 また、近年、ドイツにおいて「本質性理論」(Wesentlichkeitstheorie.以下、本質留保説とする)が有力になり、連邦行政裁判所の判例において形成・採用されている。この内容は必ずしも明確でないが、基本権(基本的人権)に関する憲法上の条項を基準として、「基本権実現にとって本質的」である領域については、必ず法律の根拠を必要とする、ということである。問題は、本質的か本質的でないかの判断に関する基準であろう

 ※本質留保説に関する日本語の文献として、大橋洋一『行政規則の法理と実態』(1989年、有斐閣)93頁、同「法律の留保学説の現代的課題―本質性理論(Wesentlichkeitstheorie)を中心として―」『現代行政の行為形式論』(1993年、弘文堂)1頁が参考になる。

 現在のところ、この他にも様々な説があるが、なお侵害留保説の妥当性が大きい。

 なお、以上は行政作用法の根拠に関する議論である。行政組織法の根拠は全行政領域に要求される。また、権力的手段に関しては行政作用法・行政組織法・行政手続法の根拠を必要とするのであり、非権力的手段に関しては行政組織法・行政手続法の根拠を必要とすると考えるべきであろう

 ※行政手続法の根拠については、以前ならば不要と考えられていた。新井隆一編『行政法』(1992年、青林書院)20頁。

 

 3.法律による行政の原理、とくに「法律の留保」との関係が問題になる事例

 日本において、行政活動は法律による行政の原理に服すべきであり、少なくとも侵害留保説が妥当すべきである。しかし、実際には法律の留保の要請を充たしていないのではないかと考えられる事例が存在する。ここで若干の裁判例を概観する。

 (1)自動車の一斉検問

 交通取締の一環として行われる自動車の一斉検問であるが、実のところ、そもそも、法的根拠は何かという問題がある。

 判例は警察法第2条第1項説に立つ。行政実務も同じであり、学説においても多数説ではないかと思われる。しかし、警察法は行政作用法ではなく、行政組織法に属する。しかも、同第2条第1項は「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする」と定めている。「交通の取締」が明示されているからであろうが、このような規定が自動車の一斉検問の法的根拠になりうるのであれば、犯罪の捜査についても法的根拠となりうるから、刑事訴訟法の第2編第1章にある規定の一部が不要になるはずである。しかし、そのような説を述べる者は存在しない。警察法第2条第1項説は論旨が一貫せず、妥当性を欠く。

 判例の立場を採りえず、しかも行政作用法に根拠を求めるとすれば、警察官職務執行法第2条説が浮かび上がる。かつて、私はこの説を採っていた。しかし、同条は職務質問、すなわち特定の者に対する質問に関する規定であるから、犯罪の嫌疑の有無を問わない一斉検問を文言解釈によって導きうるはずもなく、類推解釈の許容範囲を超えていることも否定できない。そうなると残るのは、法的根拠がないので違法であるとする説である。

 ●最三小決昭和55年9月22日刑集34巻5号272頁(Ⅰ―113)

 事案:警察官が、飲酒運転の多発地帯である場所で交通違反取締りを目的とする自動車検問を行った。X運転の車は、外観からは不審な点が存在しなかったが、警察官の合図に従い停車した。警察官はXに運転免許証の提示を求めた際、酒の臭いを感じたので降車を求め、派出所で飲酒検知を行ったところ、酒気帯び運転の事実が確認された。Xは自動車検問が何の法的根拠もなく行われたなどとして争ったが、第一審および第二審は、自動車検問の法的根拠を警察法第2条第1項とした上でXの主張を退けた。最高裁第三小法廷も、次のように述べてXの上告を棄却した。

 判旨:まず、自動車の一斉検問については、基本的に警察法第2条第1項を根拠とする説に立ち、「交通の安全及び交通秩序の維持などに必要な警察の諸活動は、強制力を伴わない任意手段による限り、一般的に許容されるべきものである」としつつ、「国民の権利、自由の干渉にわたるおそれのある事項にかかわる場合には、任意手段によるからといって無制限に許されるものではない」としている。しかし、自動車を運転するものは「公道において自動車を利用することを許されていることに伴う当然の負担として、合理的に必要な限度で行われる交通の取締に協力すべき」であるなどのことを考慮すると、一斉検問で「運転者などに対し必要な事項についての質問などをすることは、「それが相手方の任意の協力を求める形で行われ、自動車の利用者の自由を不当に制約することにならない方法、態様で行われる限り、適法なものと解すべきである」と述べている。

 (2)緊急措置と法律による行政の原理との関係

 既に述べたように、法律による行政の原理は、最低限度として、国民の権利や自由を制約し、または新たな義務を課する行政活動について妥当すべきものである。しかし、現実には、目前に公共の安全や秩序に対する危害が存在し、これに緊急に対処しなければならない場合が存在する。このような事態が発生しているのに、対処方法を規定する法律の規定が存在しないならば、行政は何らの予防策などをとることもできず、危害を放置して安全や秩序が崩れるまで待たなければならないのであろうか。これでは、行政が国民の安全を確保することができず、ひいては生命、身体、財産などを保護することができないということになる。緊急措置として、例外的ではあれ、法律の根拠がなくとも何らかの措置をとることができると考えなければならない場合があるのではなかろうか。 

 ●最二小判平成3年3月8日民集45巻3号164頁(Ⅰ-106)

 事案:千葉県浦安町(現在は浦安市)を流れる某河川に、河川法および漁港法による占用許可を受けずにヨット係留施設が設置された。そのため、船舶の航行にとって危険な状態が続いた。浦安町長は、千葉県葛南土木事務所長に撤去を要請したが、撤去はなされなかった。そこで、浦安町長は、本来の河川の管理者である千葉県知事の措置を待たず、このヨット係留施設の鉄杭を独自に撤去した。本来、このような場合には、漁港法に基づいて漁港管理規程(条例)が制定されるべきであったが、浦安町は(漁港管理者であるが)漁港管理規程を制定していなかった。そのため、千葉県知事は河川法に違反する施設の撤去命令を発する権限を有するが、浦安町長はその権限を有していなかった。

 この事件について、原告住民は、撤去に従事した町の職員に時間外勤務手当が支払われたこと、および撤去工事請負契約の代金が支払われたことを問題として、住民訴訟を提起した。ここでの争点は、町(長)が不法に設置されたヨット係留施設を撤去する権限を有するのか、有しないとすれば公金支出が違法であるのかというものである。

 千葉地判昭和62年3月25日民集45巻3号180頁は原告住民の主張を全面的に認めて請求を認容する判決を下し、東京高判平成元年5月30日民集45巻3号189頁は撤去工事請負契約についてのみ原告住民の請求を認容する判決を下した。最高裁判所第二小法廷は、次のように述べて浦安町長の主張を認め、原告住民の請求を棄却した。

 判旨:「本件鉄杭は、本件設置場所、その規模等に照らし、浦安漁港の区域内の境川水域の利用を著しく阻害するものと認められ、同法三九条一項の規定による設置許可の到底あり得ない、したがってその存置の許されないことの明白なものであるから、同条六項の規定の適用をまつまでもなく、漁港管理者の右管理権限に基づき漁港管理規程によって撤去することができるものと解すべきである」が「当時、浦安町においては漁港管理規程が制定されていなかったのであるから、上告人(注:浦安町長のこと)が浦安漁港の管理者たる同町の町長として本件鉄杭撤去を強行したことは、漁港法の規定に違反しており、これにつき行政代執行法に基づく代執行としての適法性を肯定する余地はない」。しかし、「浦安町は、浦安漁港の区域内の水域における障害を除去してその利用を確保し、さらに地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全を保持する(地方自治法二条三項一号参照)という任務を負っているところ、同町の町長として右事務を処理すべき責任を有する上告人は、右のような状況下において、船舶航行の安全を図り、住民の危難を防止するため、その存置の許されないことが明白であって、撤去の強行によってもその財産的価値がほとんど損なわれないものと解される本件鉄杭をその責任において強行的に撤去したものであり、本件鉄杭撤去が強行されなかったとすれば、千葉県知事による除却が同月九日以降になされたとしても、それまでの間に本件鉄杭による航行船舶の事故及びそれによる住民の危難が生じないとは必ずしも保障し難い状況にあったこと、その事故及び危難が生じた場合の不都合、損失を考慮すれば、むしろ上告人の本件鉄杭撤去の強行はやむを得ない適切な措置であったと評価すべきである」。従って、「上告人が浦安町の町長として本件鉄杭撤去を強行したことは、漁港法及び行政代執行法上適法と認めることのできないものであるが、右の緊急の事態に対処するためにとられたやむを得ない措置であり、民法七二〇条の法意に照らしても、浦安町としては、上告人が右撤去に直接要した費用を同町の経費として支出したことを容認すべきものであって、本件請負契約に基づく公金支出については、その違法性を肯認することはでき」ない。(下線は引用者による強調箇所)

 この判決に対する評価は分かれており、法律による行政の原理に対する例外を認容した判決とする評価と、町(長)とヨットクラブ代表者との関係について撤去を適法としたものではないとする評価が存在する。この訴訟の原告はヨットクラブ代表者でなく住民であったため、直接、法律による行政の原理が争われていたと言い難い部分もある。また、ヨット係留施設の存在による危害と撤去措置とが比例関係にあるか否かも問われうるであろう。

 その点を承知した上で、一般論として述べるならば、本来、私人の意思に反して私人の財産たる工作物を撤去するには、撤去命令を定めた法律の根拠が必要である。その根拠が欠けているならば、民事執行によらざるをえない。これが原則であることを認めない訳にはいかない。しかし、国民・住民(私人)の生命や身体を保護しなければならないような場合など、緊急を要するような場合にまで、法律の根拠がなければ活動をなしえないのか。緊急措置(緊急避難措置)が必要ではないのか。極めて限定的に解さざるをえないとはいえ、民法第720条に定められた正当防衛および緊急避難のいずれかが、行政法においても適用される余地はあるものと解される。

 

 4.行政法の一般原則(条理)

 行政法の一般原則というのであれば、先の法律による行政の原理が例であるが、ここでは、不文法の一種としての条理をあげておく。

 条理とは、社会生活において相当多数の人が一般的に承認する道理である。但し、実際には、条理は、裁判官が具体的な事件に即して適切な裁判規準を形成するための手がかりであり、または心構えである。その意味において、慣習法のように、一般的規準として存在するものではない。

 なお、少数説ではあるが、条理の法源性を否定する見解もある。

 刑事裁判においては罪刑法定主義が支配するため、不文法たる条理が援用されてはならない。これに対し、民事裁判の場合、成文法にも慣習法にも判例法の中にも適切な裁判規準がない場合には、条理に従うものとされる。

 (1)比例原則

 国民の権利や自由を制約する際に、その制約の程度に見合うように公権力の行使がなされなければならない、という原則である。換言すれば、国民の権利や自由を制約する際には、必要かつ最小限の手段が用いられなければならない、ということである(必要性の原則過剰禁止の原則)。警察官職務執行法第1条第2項は、この原則を確認した規定であると言われる。「警察は、大砲を使って雀を撃ってはならない」という名言がある

 ※Fritz Fleiner, Institutionen des Deutschen Verwaltungsrecht, 8. Auflage, 1928, S. 412.

 (2)平等原則

 憲法第14条に根拠を求めることができる。法律による行政の原理に適合しているとしても、平等原則に違反する場合には行政活動などが違法となることもありうる(スコッチライト事件として有名な大阪高判昭和44年9月30日判時606号19頁を参照)。

 (3)信義誠実の原則

 民法第1条第2項に規定されている信義誠実の原則は、元々、ドイツの債権法に由来する考え方である。これが民法全体の原則に、さらに法の一般原則にもなり、行政法の分野にも妥当するようになった。なお、日本の判例は「禁反言の原則」という、英米法に由来する語も用いる。ほぼ同義であるが、信義誠実の原則のほうが若干広範囲であるといわれる。

 しかし、行政法において、信義誠実の原則をそのまま援用すると問題が生ずる場合がある。それは、この原則が法律による行政の原理と抵触し、違法な行政活動を確定的に有効としてしまう場合があるためである。信義誠実の原則は、行政活動によって何らかの損害を受けた私人を救済するための手段であるが、これを無条件かつ安直に用いるとすると、他者にとって不公平な結果を招く危険性もある。従って、具体的な事案への適用の妥当性が問題となる。以下、判例の状況を概観しつつ、検討する。

 ▲租税法律主義と信義誠実の原則との抵触

 憲法第30条および第84条(とくに後者)は、租税法律主義を規定する。これが妥当すべき租税関係(さらに言えば租税法)に信義誠実の原則をそのまま援用すれば、当然、租税法律主義との抵触が生じることとなる。具体的な事件に関し、法律に定められた課税要件を行政が勝手に変更することになるからである。一方、結果的には法律が定める課税要件に適合するとしても、手続の面において何らかの問題があった場合には私人の権利や利益が侵害され、納得のできないものとなる可能性もあるから、可能な限りこれを避けなければならない。法律に従った課税を選択するか、私人の権利や利益の擁護を選択するか、難しい判断を迫られるのである

 ※「租税法講義ノート」〔第2版〕の「07 租税法と信義誠実の原則」も参照されたい。

 租税法において信義誠実の原則の適用があるか否かという問題が、初めて本格的に扱われたのが、次に示す判決である。

 ●東京高判昭和41年6月6日行裁例集17巻6号607頁(文化学院非課税通知事件)

 事案:原告Xは民法上の財団法人である(私立学校法による学校法人ではないことに注意!)。Xは、自らが保有し、直接教育の用に供している土地および建物について固定資産税を非課税とするように求める文書を東京都千代田税務事務所長に提出した。同事務所長は、本件土地および建物が地方税法第348条第2項第9号に該当するものと誤認し、本件土地および建物については非課税とする趣旨の決定を行い、通知した。しかし、それから8年ほど経ち、同事務所が調査したところ、Xの土地および建物は非課税物件ではなく、課税物件であることが判明した。そこで、同事務所長は本件土地および建物について固定資産税を賦課徴収するという趣旨の決定をし、Xに送付した。Xは固定資産税を納めなかったので、Y(東京都知事)が土地について差押処分を行った。Xは、この差押処分の取消を求める訴訟を提起し、固定資産税賦課処分の無効も主張した。

 東京地判昭和40年5月26日行裁例集16巻6号1033頁は、本件について信義誠実の原則(同判決では禁反言の原則)の適用を認め、差押処分を取り消したが、Yが控訴した。

 判旨:東京高等裁判所はYの主張を認め、一審判決を取り消した。詳細は「租税法講義ノート」の「07 租税法と信義誠実の原則」を参照。

 この事件において、Xは、かつてなされたYの決定内容を信頼していた訳である。この場合、Xの信頼を保護する必要性があったのであろうか。Xは学校法人でないため、地方税法第348条第2項第9号の適用を受けないという前提事実を基にして考えてみていただきたい。

 そして、次の判決において、最高裁判所が租税法の領域に関する信義誠実の原則の適用に関する原則らしきものを提示している。

 ●最三小判昭和62年10月30日訟務月報34巻4号853頁(Ⅰ-26)

 事案:Xは、Aが経営する酒屋に勤めており、しばらくしてからは実質的に経営をなすようになった。Aは青色申告について所轄税務署長Yの承認を受けており、昭和29年分から昭和45年分まで、事業所得に関する青色申告はAの名義で行われていた。しかし、昭和47年3月に行われた昭和46年分の青色申告はAの名義ではなく、Xの名義で行われている。Xは青色申告についてYの承認を受けていなかった(そもそもそのための申請を行っていなかったようである)が、どういう訳かYはX名義の青色申告書を受理し、その後、昭和47年分から昭和49年分についても青色申告用紙をXに送付し、Xの青色申告を受理していた。なお、Aは昭和47年秋に死亡している。

 或る日、YはAの相続人について相続税の調査を行った。その際にXが青色申告の承認を受けていないことを知った。そこで、Yは昭和48年分および昭和49年分の青色申告の効力を否認し、白色申告とみなして更正処分を行った。Xは、この更正処分が信義誠実の原則に違反するとして処分の取消訴訟を提起した。福岡地判昭和56年7月20日訟務月報27巻12号2351頁および福岡高判昭和60年3月29日訟務月報31巻11号2906頁がXの主張を認めたために、Yが上告した。

 判旨:最高裁判所第三小法廷は破棄差戻判決を下した。この判決において、租税関係に対する信義誠実の原則の適用を完全に否定していない。しかし、適用に際しては、少なくとも次の3つの要件を充足しなければならないという趣旨を述べている。

 ①信頼の対象適格性:行政庁が、納税者(例.青色申告者)に対して信頼の対象となる公の見解を、通達の公表など一般に対し、あるいは申告指導のように個別に示したこと。

 ②信頼保護の正当性。行政庁の表示を納税者が信頼し、その信頼に基づいて行動したことについて、納税者に帰責事由があるか否か(あれば保護されない)。

 ③信頼保護の必要性。②で納税者に帰責事由がなく、後に行政庁の表示と異なる行為(処分)が行われたために、納税者が経済的不利益を被ったか否か。

 (なお、原文は上記要件を一つの文章で表現しており、とくに「いくつの」というように数をあげている訳ではない。そのため、教科書によっては要件が4つまたは5つというように理解されていることがある。私は、判決文において使われている接続詞などから判断して3つに分けた。)

 上の例からわかるように、信義誠実の原則は、多くの場合、相手方の信頼保護と関わる。厳密に言うならば、信義誠実の原則と相手方の信頼保護(の原則)は等号で結ばれない場合があるが、基本的には同じものと考えてよいであろう。

 さて、上記最高裁判所第三小法廷判決は、どの要件に照らして信義誠実の原則の適用を否定したのであろうか。これを試験やレポートの問題として出すと、②、あるいは③の要件を満たさないものと考えられる、という答案が少なくない。

 既に述べたように、判決文では上のようには書かれておらず、ただ一つの文章で表現しているだけであるから、どの要件に該当するかを答えることは難しいかもしれない。しかし、事案をよく読み、さらに、判決文を丁寧に読み返してみると、次に示す文章が続いていることがわかる。

 「納税申告は、納税者が所轄税務署長に納税申告書を提出することによって完了する行為であり(国税通則法一七条ないし二二条参照)、税務署長による申告書の受理及び申告税額の収納は、当該申告書の申告内容を是認することを何ら意味するものではない(同法二四条参照)。また、納税者が青色申告書により納税申告したからといって、これをもって青色申告の承認申請をしたものと解しうるものでないことはいうまでもなく、税務署長が納税者の青色申告書による確定申告につきその承認があるかどうかの確認を怠り、翌年分以降青色申告の用紙を当該納税者に送付したとしても、それをもって当該納税者が税務署長により青色申告書の提出を承認されたものと受け取りうべきものでないことも明らかである。そうすると、原審の確定した前記事実関係をもってしては、本件更正処分が上告人の被上告人に対して与えた公的見解の表示に反する処分であるということはできないものというべく、本件更正処分について信義則の法理の適用を考える余地はないものといわなければならない。」

 すなわち、①の段階で適用がないものと判断されていることが理解されるであろう。①の要件に適合してこそ、②ないし③を論じる意味がある。従って、①の要件は他の要件の前提となっている訳である。

 所轄税務署長の承認を受けずに青色納税申告書を提出したからといって、これが青色申告をなすことと言えないことは当然であろう。また、このように提出された申告書を税務署長が受理し、申告納税額を収納したからといって、これが直ちに青色申告納税の承諾を意味するものではなければ、納税者が青色申告者であることを公的な見解として表示したことにもならない。しかし、本件の場合、誤った扱いであるとはいえ、受理ないし収納という手続を税務署長が行い、しかも数年続いていたということになれば、これはもはや、黙示的であるとはいえ、公的見解を示したと理解してもよいのではないか、という意見も成り立ちうる。納税義務者の立場からすれば、たとえ税務署長の誤りによるとはいえ、一度は青色申告を受けつけ、その申告書に示された税額を収納しているのであるから、自らの誤りを棚に上げて青色申告を否認して更正処分をなすというのは背信的行為であると言わざるをえない。

 ▲信義誠実の原則については、行政行為の撤回などについても問題となる場合が存在する。判例などで問題となったのは、計画や政策の変更に伴う損害である。このような場合には信義誠実の原則が適用されやすいとも言える。下級審判決において、信義誠実の原則の適用を認めた例として、次のものがある。

 ●熊本地玉名支判昭和44年4月30日判時574号60頁

 熊本県荒尾市は、昭和30年代に住宅難を解消するため、公営住宅団地の建設計画を立てた。この計画による公営住宅には浴室設備の計画がなかったので、荒尾市は公衆浴場の建設設置者を募集し、甲を選んだ。荒尾市と甲は協議の末、公営住宅の建設、およびその公営住宅の所在地における公衆浴場の建設を内容とする契約を結んだ。この契約を履行するため、甲は公衆浴場の建設に着手し、翌年に99パーセントほどを完成させ、営業許可も得た。ところが、荒尾市長が死亡したことによって交代し、新市長は突然この建設計画を縮小したため、公衆浴場は経営が不可能な状態に陥った。そこで甲は荒尾市に対して損害賠償を請求した。判決は、荒尾市の行為が不法行為を構成するとして、甲の請求を一部認めた。

 逆に、信義誠実の原則の適用を認めなかったものとしては、札幌高判昭和44年4月17日行集20巻4号486頁、仙台高判平成6年10月17日判時1521号53頁などがある。

 最高裁判所の判例のうち、信義誠実の原則または信頼保護の原則の適用を認めたものの代表例として、次の判決がある。

 ●最三小判昭和56年1月27日民集35巻1号35頁(Ⅰ-27)

 事案:Xは、沖縄県のY村に製紙工場を建設する計画を立てた。Y村の当時の村長であったAは、Xからの陳情を受け、工場を誘致してY村所有の土地をXに譲渡する旨の議案を村議会に提出した。これが可決されてから、AはXの工場建設に全面的に協力する旨を言明し、さらに手続を進めた。Xも、村有地の耕作者に対する補償料の支払い、機械設備の発注の準備などを進め、工場敷地の整地工事も完了させた。ところが、ちょうどその頃に村長選挙が行われて工場誘致反対派のBが村長に当選し、就任した。BはXに対し、工場の建設確認申請に同意しない旨を伝えた。Xは、工場の建設や操業ができなくなったとして、Y村を相手取って損害賠償を請求する訴訟を起こした。第一審判決および第二審判決はXの請求を棄却したが、最高裁判所第三小法廷は破棄差戻判決を下した。

 判旨:地方公共団体の施策が変更されること自体に、何ら違法性は存在しない。しかし、施策が特定の者に対する具体的な勧告や勧誘を伴い、「その活動が相当長期にわたる当該施策の継続を前提としてはじめてこれに投入する資金又は労力に相応する効果を生じうる性質のものである場合には」この施策が活動の基盤として維持されることを信頼するのが通常であり、そのような場合の信頼は法的に保護されるべきである、と述べられている。そして、施策の変更によって「社会観念上看過することのできない程度の積極的損害を被る場合に、地方公共団体において右損害を補償するなどの代償的措置を講ずることなく施策を変更することは、それがやむをえない客観的事情によるのでない限り、当事者間に形成された信頼関係を不当に破壊するものとして違法性を帯び、地方公共団体の不法行為責任を生ぜしめるものといわなければならない」。

 (4)権利濫用禁止の原則

 民法第1条第3項に規定される権利濫用禁止の原則も、民法に限らず、あらゆる法領域に適用されるべき法の一般原則である。

 そもそも、民法が明治時代に制定されてから長らくの間、信義誠実の原則および権利濫用禁止の原則に関する明文の規定は民法に存在しなかった。信義誠実の原則が日本の学説や判例において肯定されるようになったのは大正期である。また、権利濫用禁止の原則は明治期から判例において登場していたが、本格的に定着したのは宇奈月温泉事件として有名な大判昭和10年10月5日民集14-1965によると言われる。両原則が民法第1条として明文化されたのは第二次世界大戦後の昭和22年であり、親族編・相続編の大改正と同時に第1条が追加されたのである。以上につき、四宮和夫・能見善久『民法総則』〔第八版〕(2010年、弘文堂)14頁を参照。

 形式的には法律による行政の原理に適合する活動としても、その活動の目的が不当なものであれば、違法と判断されざるをえない。行政法学においては、とくに行政裁量論において裁量権の逸脱・濫用の例として取り上げられることが多かった。

 ●最二小判昭和53年5月26日民集32巻3号689頁(Ⅰ―33)および最二小判昭和53年6月16日刑集32巻4号605頁(Ⅰ―72)

 事案:X社は、某県公安委員会に個室付公衆浴場の営業許可を申請した。しかし、この計画を知った某町は、個室付公衆浴場の予定地である場所から200mも離れていない場所に児童遊園を設置するために県知事に認可を申請し、被告会社への営業許可よりも早い日に認可を得た。X社は個室付公衆浴場を開業したため、県公安委員会から営業停止処分を受け、また、風俗営業等取締法違反に問われて起訴された。そこで、X社は、営業停止処分の取消を求めて出訴するとともに(途中で県に対する国家賠償請求訴訟に変更した)、刑事訴訟においては無罪を主張した。

 判旨:最高裁判所は、いずれについてもX社の請求を認めた。昭和53年5月26日判決において、本件の児童遊園の設置が専ら被告会社の営業を規制(阻止)することを目的としており、これを受け入れた上でなされた県の認可は行政権の濫用にあたる、とされている。

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行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版 第2回 行政法とは何か

2015年05月24日 09時32分26秒 | 行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版

 現在、私のサイト「川崎高津公法研究室」に「行政法講義ノート〔第5版〕」を掲載しておりますが、様々な事情により、内容を大きく変更する必要が生じてきました。そのために第6版を準備しております。とはいえ、仕事の関係でなかなか進みません。そこで、今回は暫時改訂版として「第2回    行政法とは何か」を掲載します。なお、本文についてはこれまでより少し大きなフォントで公開することといたしました。

 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 1.公法と私法との区別

 それでは、行政法とは何か。

 行政法を「行政に関する法」、より詳しく言うならば「行政の組織・作用・統制に関する法である」と定義することも可能である。あれこれと難しいことを考えるのでなければ、定義としてはこれで充分かもしれない(それでも「難しい言葉」が入っているが)。

 しかし、例えば県庁において事務用品・備品を購入する際に、(会計法などによる規制は別として)民事法(とくに民法)による規律が妥当すべきである。道路や学校校舎などの建設についても、やはり民事法の請負契約が基本的に妥当すべきである。このような場合にまで、行政法という必要はない。

 そこで、日本の行政法学は、伝統的に、公法と私法の二分論を採用し、行政法を公法に位置づけた上で、行政法は「行政の組織及び作用並びにその統制に関する国内公法」であると定義してきた

 ※田中二郎『新版行政法上巻』〔全訂第二版〕(1976年、弘文堂)24頁。

 まず、行政法は、国内における法であり、条約などの国際法とは区別される。そして「行政の組織及び作用並びにその統制に関する」とされるのは、同じ国内公法である憲法と区別するためである。憲法は、国家を中心にし(従って、立法および司法を含む)、国家の組織および国家の作用に関する根本的な事柄を定めているのである。そして、行政法が公法とされるのは、民法や商法などの私法とは異なる、特殊な、そして固有の法であることを主張するためである。

 もっとも、公法と私法との区別については、何を基準にするかによって見解が分かれ、両者の区別は相対的である。公益・私益を区別の基準とする説(利益説)もあるが、これだけでは区別できない。また、少なくとも一方の当事者が国または(地方)公共団体である法律関係を規律する法が公法であり、私人間の法的関係を規律する法が私法であるとする説(主体説)がある。これは、説明としてはわかりやすいが、国または(地方)公共団体が私人間の法的関係と同じ性質の法的関係を私人と結ぶときには私法であるとしなければならないし、かえって区別の規準が曖昧になるおそれがある。

 そこで、日本の行政法学は、ドイツの行政法学の影響を強く受けて、国家と私人との権力関係を規定する法が公法であり、(私人間の)対等な関係を規定する法が私法であるとする説(権力説)を採用する。

 しかし、実際に、何が公法であり、私法であるかを判断することは難しいし、実益があるかも問題である。公法は基本的に権力関係を規律する法であり、私法は対等関係を規律する法であるというのであるが、実際には、権力関係において私法の規定が適用される場面が存在する。具体的な例をみることとしよう。

 

 2.民法第177条は、行政法関係に適用されるのか

 民法第177条は、不動産の物権変動における対抗要件としての登記に関する規定である。ここでは、基本的に対等の当事者同士が或る不動産の所有権について争っている場合に、自己の所有権を主張し、それを裏付けるようなものとして登記が必要であるとされている。それでは、行政による権力的行為については、やはり登記という対抗要件が必要になるのであろうか。

 (1)最三小判昭和31年4月24日民集10巻4号417頁

 事案:原告が訴外A社から土地を購入し、代金を支払った上に、土地を自己の所有物とする財産税の申告をU税務署長に行ったが、所有権移転登記手続を済ませていなかった。A社が租税を滞納していたことがきっかけで、Y1(税務署長)はこの土地をA社名義のものとして差し押さえ、登記名義も変更した上で、Y2を競落人とする公売処分を執行した。そして土地の登記名義もY2になった。Xは、Y1に対しては一連の処分の無効確認を求め、Y2に対しては所有権移転登記の抹消登記手続を求める訴えを提起した。一審ではXが敗訴したが二審ではXが勝訴したため、Y1およびY2が上告した。最高裁判所第三小法廷は、以下のように述べて破棄差戻しの判断を示した。

 判旨:「国税滞納処分においては、国は、その有する租税債権につき、自ら執行機関として、強制執行の方法により、その満足を得ようとするものであつて、滞納者の財産を差し押えた国の地位は、あたかも、民事訴訟法上の強制執行における差押債権者の地位に類するものであり、租税債権がたまたま公法上のものであることは、この関係において、国が一般私法上の債権者より不利益の取扱を受ける理由となるものではない。それ故、滞納処分による差押の関係においても、民法一七七条の適用があるものと解するのが相当である」。その上で、「国が登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に当るかどうかが問題となるが、ここに、第三者が登記の欠缺を主張するにつき正当な利益を有しない場合とは、当該第三者に、不動産登記法四条、五条により登記の欠缺を主張することの許されない事由がある場合、その他これに類するような、登記の欠缺を主張することが信義に反すると認められる事由がある場合に限るものと解すべきである」(強調は引用者による)。

 なお、この判決には小林俊三裁判官の反対意見が付されている。同裁判官は「国といえども、ひと度租税債権者として納税人と私法の支配する関係に入つた以上、その特殊の性質から出て来る事項を除いては、法律の解釈適用についてすべて他の当事者と同等の地位に立つべきものである」と述べている。

 民法第177条の適用という点からすれば、民法において先取特権が規定されており、国税徴収法第19条ないし第21条、同第23条、同第26条などにおいて先取特権や質権などとの調整に関する規定が存在すること、地方税法第14条の13、同第14条の14、同第14条の17などにも国税徴収法と同種の規定が存在することから考えてみても、前掲最判昭和31年4月24日の論旨は妥当である。

 (2)最一小判昭和35年3月31日民集14巻4号663頁(Ⅰ-10)

 事案:前掲最三小判昭和31年4月24日により差し戻された事件である。名古屋高判昭和32年6月8日民集14巻4号708頁でXが敗訴したため、Xが上告した。最高裁判所第一小法廷はXの上告を認容し、前掲名古屋高判昭和32年6月8日を破棄した。

 判旨:「本件のような場合国が上告人の本件土地所有権の取得に対し登記の欠缺を主張するについて正当の利益を有する第三者に該当しないという為めには財産税の徴収に際し前控訴審判決の認定したような経緯、詳言すれば、上告人は前示差押登記前である昭和二一年二月一五日魚津税務署長に対し本件土地を自己の所有として申告し、同署長は該申告を受理して、上告人から財産税を徴税したという事実だけでは足りず、更に上告人において本件土地が所轄税務署長から上告人の所有として取り扱わるべきことを強く期待することがもっともと思われるような特段な事情がなければならない」。本件において認定された事実などを勘案すれば、所轄税務署長が本件土地をXの所有物として取り扱うべきであることをXが「強く期待することが、もっともと思われる事情があったものと認めるを相当と考え」られるのであり、Y1はXの「本件土地の所有権取得に対し登記の欠缺を主張するについて正当の利益を有する第三者に該当しないものと認むべき」である(強調は引用者による)。

 (3)最大判昭和28年2月18日民集7巻2号157頁(Ⅰ-9)

 事案:Xは訴外Aから農地を購入していたが、所有権移転登記手続を済ませていなかった。農地改革の折、地区の農地委員会は、農地の所有者は登記名義人であり、かつ不在地主のAであるとする認定を行い、買収計画を定めた。Xは、地区の農地委員会に対する異議申立て、および県農地委員会への訴願を行った。Xは、県農地委員会の裁決の取消しを求めて訴えを提起した。一審判決および二審判決はXの請求を認容したので、県農地委員会が上告した。

 判旨:最高裁判所大法廷は、農地買収処分が権力的な手段による強制的な買い上げであり、民法上の売買とは本質を異にするから、自作農創設特別措置法による農地買収処分に民法第177条の適用は認められないという旨を述べ、上告を棄却した。これに対しては、真野裁判官の補足意見、霜山裁判官の少数意見、および井上裁判官・岩松裁判官の少数意見がある。

 ※なお、最二小判昭和41年12月23日民集20巻10号2186頁などは反対の趣旨を述べている。

 ここで、公法と私法との区別が念頭に置かれていたのか否かについて疑問が生じるが、少なくとも、最高裁判所の判例においては、権力関係であるから公法の分野の事件であり、私法は適用されない、というような思考方法を採っていないことは明らかである。結局は、事案の性質、法律の趣旨などに照らし合わせて考えなければならないであろう。

 

 3.消滅時効(会計法第30条と民法第167条第1項など)

(1)最三小判昭和50年2月25日民集29巻2号143頁(Ⅰ-37)

 事案:訴外Aは陸上自衛隊員として某駐屯地に勤務していたが、昭和40年の某日、駐屯地内の武器隊車両整備工場において、訴外Bが運転していた大型自動車に轢かれ、即死した。Aの両親であるXらは、国家公務員災害補償法第15条による補償金として76万円を受領していたが、自動車損害賠償責任保険法による強制保険金と比較して補償額が低いことなどから、同法第3条に基づく損害賠償請求訴訟を提起した。東京地判昭和46年10月30日民集29巻2号160頁はXらの請求を棄却したため、XらはY(国)の安全配慮義務違反による債務不履行責任の主張を追加して控訴したが、東京高判昭和48年1月31日訟務月報19巻3号37頁は控訴を棄却した。Xらが上告し、最高裁判所第三小法廷は控訴審判決を破棄し、東京高等裁判所に事件を差し戻した。

 判旨:「会計法三〇条が金銭の給付を目的とする国の権利及び国に対する権利につき五年の消滅時効期間を定めたのは、国の権利義務を早期に決済する必要があるなど主として行政上の便宜を考慮したことに基づくものであるから、同条の五年の消滅時効期間の定めは、右のような行政上の便宜を考慮する必要がある金銭債権であつて他に時効期間につき特別の規定のないものについて適用されるものと解すべきである。そして、国が、公務員に対する安全配慮義務を懈怠し違法に公務員の生命、健康等を侵害して損害を受けた公務員に対し損害賠償の義務を負う事態は、その発生が偶発的であつて多発するものとはいえないから、右義務につき前記のような行政上の便宜を考慮する必要はなく、また、国が義務者であつても、被害者に損害を賠償すべき関係は、公平の理念に基づき被害者に生じた損害の公正な填補を目的とする点において、私人相互間における損害賠償の関係とその目的性質を異にするものではないから、国に対する右損害賠償請求権の消滅時効期間は、会計法三〇条所定の五年と解すべきではなく、民法一六七条一項により一〇年と解すべきである。」(強調は引用者による)

 (2)最二小判平成17年11月21日民集59巻9号2611頁

 事案:平成11年の某日、Yの次男Aは自動車を運転していたが、松戸市内で赤信号を見落として某交差点に進入した結果、横断中のBに衝突して転倒させ、重傷を負わせるという事故を起こした。Bは松戸市立病院に搬送され、入院治療を受けた。Bの診療費等の負担に関してX(松戸市)に交付された入院証書の連帯保証人の欄には、Yの実印による印影が示されていた。Yは、診療費等の負担についてXとの間で連帯保証契約を結んでいないと主張し、また、仮に連帯保証契約を結んでいたとしても、本件の訴状がYに送達されたのが平成15年8月30日であるから、それより3年以上前に発生した診療費請求権は時効消滅するとして、消滅時効の援用を主張した。これに対し、Xは、松戸市立病院が地方自治法第244条第1項にいう公の施設に該当することなどから、消滅時効期間は同法第236条第1項に規定される5年と解すべきであると主張した。千葉地松戸支部平成16年8月19日民集59巻9号2614頁はXの主張を認めたが、東京高判平成17年1月19日民集59巻9号2620頁は、前掲最一小判昭和59年12月13日を参照しつつ「公立病院の施設自体は,中核をなす診療行為に付随する利用関係にすぎないのであって,公立病院と病院利用者との間の法律関係は,基本的には私立病院と利用者の間の法律関係と異なるところはないから,その使用料は私法上の債権と解すべきである」として、Xの請求の大部分を棄却する判決を下した(3年の消滅時効にかからない部分のみ請求を認容した)。Xが上告したが、最高裁判所第二小法廷は上告を棄却した。

 判旨:「公立病院において行われる診療は、私立病院において行われる診療と本質的な差異はなく、その診療に関する法律関係は本質上私法関係」であり、「公立病院の診療に関する債権の消滅時効期間は、地方自治法236条1項所定の5年ではなく、民法170条1号により3年と解すべきである」。

 

 4.公営住宅の利用関係

 (1)最一小判昭和59年12月13日民集38巻12号1411頁

 事案:被告Yは昭和30年代から某都営住宅に居住していた。公営住宅法第21条の2、同施行令第6条の2など、および東京都営住宅条例第19条の3(いずれも当時)によれば、都営住宅を引き続き3年以上使用しており、かつ、一定の月額収入を超える者は割増賃料を支払う義務を負っており、Yはこれに該当していたが、割増賃料を一切支払わなかった。また、Yは、東京都の許可を得ることなく増築を行った。東京都は、これらが住宅の明渡事由に該当するとして、使用許可を取り消し(実際には撤回である)、割増賃料相当額の支払、増築した建物の収去、および土地の明渡を求めて出訴した。

 東京地判昭和54年5月30日下民集30巻5~8号275頁は、東京都の請求のうち、割増賃料相当分の支払に関する請求のみを認容した。東京都が控訴し(請求の一部を変更している)、東京高判昭和57年6月28日高民集35巻2号159頁は東京都の敗訴部分を取消し、Yに土地の明渡を命じた。Yが上告したが、最高裁判所第一小法廷は、Yの上告を棄却した。

 判旨:まず、最高裁判所第一小法廷は、公営住宅法および東京都営住宅条例の規定の趣旨から「公営住宅の使用関係には、公の営造物の利用関係として公法的な一面があることは否定しえない」としつつも、「入居者が右使用許可を受けて事業主体と入居者との間に公営住宅の使用関係が設定されたのちにおいては、前示のような法及び条例による規制はあつても、事業主体と入居者との間の法律関係は、基本的には私人間の家屋賃貸借関係と異なるところはなく、(中略)公営住宅の使用関係については、公営住宅法及びこれに基づく条例が特別法として民法及び借家法に優先して適用されるが、法及び条例に特別の定めがない限り、原則として一般法である民法及び借家法の適用があり、その契約関係を規律するについては、信頼関係の法理の適用があるものと解すべきである」と述べる(強調は引用者による)。その上で、Yによる増築に関して前記東京高判が信頼関係の法理が適用されないとした点を誤りとしつつも、増築の規模が大きかったなどの理由により、結論として前掲東京高判を支持した。

 (2)最一小判平成2年10月18日民集44巻7号1021頁

 事案:訴外Aは、昭和20年代に某都営住宅に入居し、原告の東京都に賃料を払っていたが、某日に死亡した。その日以降、Aの孫であるY1は、Aから代襲相続によってこの都営住宅の使用権を相続したとして、占有を続けていた。また、Y1の甥であるY2は、Y1から承諾を受けたとしてこの都営住宅に同居していた。東京都は、Y1が東京都営住宅条例第14条の2(現在は削除されている)に規定される使用権の承継の許可を得ていないとして、建物の明渡を請求した。

 東京地判昭和63年12月22日民集44巻7号1026頁は東京都の請求を認めたのでY1およびY2が控訴したが、東京高判平成元年9月18日民集44巻7号1033頁は控訴を棄却した。

 判旨:最高裁判所第一小法廷は、次のように述べて、Y1およびY2の上告を棄却した。

 「公営住宅法は、住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で住宅を賃貸することにより、国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的とするものであって(一条)、そのために、公営住宅の入居者を一定の条件を具備するものに限定し(一七条)、政令の定める選考基準に従い、条例で定めるところにより、公正な方法で選考して、入居者を決定しなければならないものとした上(一八条)、さらに入居者の収入が政令で定める基準を超えることになった場合には、その入居年数に応じて、入居者については、当該公営住宅を明け渡すように努めなければならない旨(二一条の二第一項)、事業主体の長については、当該公営住宅の明渡しを請求することができる旨(二一条の三第一項)を規定しているのである」から、「入居者が死亡した場合には、その相続人が公営住宅を使用する権利を当然に承継すると解する余地はないというべきである」。

 ▲既に、公法は国家と私人との権力関係を規定する法であると記したが、実は、公法は管理関係というものをも規律する(この場合は伝来的公法関係とも称される)。権力的な関係ではないが、契約締結の自由などが存在しない、または著しい制約を受けているという点において私法とは異なる関係のことで、主に国民の生存権の確保などを目的とするものである。

 

 5.契約の当事者の一方が行政法規に違反している場合の、私法上の効力の有無

 公法と私法との関係ということでは、「行政法規に違反する行為は、私法上、効力を有するのか?」という問題も重要である。よく引き合いに出される例として白タクの話がある。或る駅でタクシーを待っていたら、無許可のタクシー(白タク)がやってきて、それに乗ったところ、通常のタクシーより高い料金を支払わされた、とする。ここで、権利濫用(民法第1条第3項)や公序良俗(同第90条)などを問わないとすると、白タクに乗車して目的地まで行ってもらうという契約は有効なのであろうか。

 ここで、判例による考え方を示しておくと、公共の安全や秩序の維持を目的とする警察取締法規に違反した行為の場合は、私法上の効力は否定されない。これに対し、契約や取引の自由を規制することを目的とする統制法規に違反した行為の場合は、私法上の効力は否定される。

 (1)最二小判昭和35年3月18日民集14巻4号483頁(Ⅰ-12)

 X社は、A社(食品衛生法による許可を受けている)の代表取締役であるY(食品衛生法による許可を受けていない)に対して精肉を売り渡した。しかし、Yは内金を支払ってはいたが、代金のうちの残りの部分を払っていなかった。Xは、その残りの部分と遅延損害金の支払いを求めた。これに対し、Yは、自らが食品衛生法による許可を受けていないこと、取引の当事者はXとAであってYではないことなどを理由として、売買契約が無効であると主張したが、判決は、食品衛生法を警察取締法規と理解した上で、この法律による許可を受けていない当事者との取引は、私法上の効力を否定されないと判示した。

 (2)最二小判昭和30年9月30日民集9巻10号1498頁(Ⅰ-13)

 Xは煮干し鰯の売買について、当時の臨時物資需給調整法などによる資格を得ていなかった。XはYに煮干し鰯千貫を売り渡し、引渡しも済ませたが、Yが代金を支払わなかったので、Xが訴えを提起した。判決は、臨時物資需給調整法などを経済統制法規と理解した上で、この法律に定められた登録などを行っていない無資格者の取引は、私法上の契約としても無効である、と述べた。

 しかし、最近では、警察取締法規と統制法規との区別を絶対視しないという傾向がある。すなわち、警察取締法規に違反する行為が常に私法上有効であるとは限らないし、経済統制法規に違反する行為が常に私法上無効であるとも限らない。

 

 6.公法の規定により認められる(または禁止されていない)行為が私法に違反する場合の、私法上の効力の有無

 上記とは逆に、公法の規定において認められる、または禁止されていない行為が私法に違反する場合に、私法上の効力の有無が問題となる。例えば、建築基準法第65条に基づき、準防火地域において耐火構造の外壁による建築物が建てられたが、その建築物が民法第234条に違反する(境界線から外壁まで50cmも離れていなかった)という場合、その効力はどのようになるのであろうか。この問題については、次の二つの考え方が成り立ちうる。

 ①建築基準法第65条は民法第234条に対する特別法であるから、相隣者の同意などがなくとも、建築基準法第65条に規定される要件を満たせば、民法上も建築は許される。民法第234条が木造建築物しかなかった頃に制定されたこと、建築基準法第65条は一定の要件の下で許容する規定の形であり、規制の形をとっていないこと、建築基準法に接境建築を禁止する規定が存在しないことなどが、理由としてあげられている。

 ②建築基準法第65条は民法第234条に対する特別法ではない。従って、建築基準法第65条と民法第234条とは性質が全く異なる。建築基準法は行政法規であり、主に建築主事による建築確認の基準という意味を有するのに対し、民法は私人間の権利関係を調整するための基準という意味を持つ。そのため、前者によって許される建物であっても、後者に違反してはならない。民法第234条の目的は、隣地建物の建築や修繕の便宜、延焼の防止、日照や通風や採光などの環境利益の確保である。また、①の考え方をとると、結局、建物の建築や修繕に際して早い者勝ちということになる。

 この問題については、次の判決が参考になる。

 ■最三小判平成元年9月19日民集43巻8号955頁(Ⅰ-8)

 事案:Yは、大阪市内の商業地域に土地を有していた。この地域は準防火地域(都市計画法第8条第1項第5号)であったため、Yは自己の所有地上において、外壁が耐火構造となっている建造物の建築に着手した。これに対し、隣地を所有するXは、Yの建造物が境界線から50センチメートル以上の距離を置いておらず、民法第234条に違反するとして、建物の一部収去および損害賠償などを求めて出訴した。これに対し、Yは上記①の見解を採って抗弁した。

 大阪地判昭和57年8月30日判時1071号95頁は、Yが「建築基準法六五条との関係においては、本件(一)建物の外壁を隣地境界線に接して建築することができる」としつつ、「民法二三四条一項と建築基準法六五条との関係についてみると、建築基準法六五条は防火という公共的観点から定められたものでありながら、同時に私人間の生活関係の規律に密着するものであり、一方、民法二三四条一項の規定は、接境建築の建物によって、隣地の採光、通風、隣地上の建物の築造、修繕の便宜、その他利用上の障害を与えないという相隣土地所有権者相互の土地利用関係を調整するために定められたものである。そうだとすれば、建築基準法により防火地域又は準防火地域として指定を受けた市街地内にある建築物で、その外壁が耐火構造のものについて、それだけで直ちに民法二三四条一項の適用が排除されるものではなく、土地の高度、効率的利用のため、民法二三四条一項が保護する前記相隣者間の生活利益を犠牲にしても、なお接境建築を許すだけの合理的理由、例えば相隣者間の合意とか、民法二三六条の慣習等がある場合に限ってはじめて、建築基準法六五条が民法二三四条一項に優先適用されるものと解するのが相当である」と述べ、本件については「接境建築を許すだけの合理的理由」がないと判断した。Yは控訴したが、大阪高判昭和58年9月6日民集43巻8号982頁は控訴を棄却した。そのため、Yが上告した。

 判旨:最高裁判所第三小法廷(多数意見)は、次のように述べて上告を認容し、Xの請求を棄却した(上記①の見解を採ったこととなる)。

 「建築基準法六五条は、防火地域又は準防火地域内にある外壁が耐火構造の建築物について、その外壁を隣地境界線に接して設けることができる旨規定しているが、これは、同条所定の建築物に限り、その建築については民法二三四条一項の規定の適用が排除される旨を定めたものと解するのが相当である。けだし、建築基準法六五条は、耐火構造の外壁を設けることが防火上望ましいという見地や、防火地域又は準防火地域における土地の合理的ないし効率的な利用を図るという見地に基づき、相隣関係を規律する趣旨で、右各地域内にある建物で外壁が耐火構造のものについては、その外壁を隣地境界線に接して設けることができることを規定したものと解すべきであって、このことは、次の点からしても明らかである。すなわち、第一に、同条の文言上、それ自体として、同法六条一項に基づく確認申請の審査に際しよるべき基準を定めたものと理解することはできないこと、第二に、建築基準法及びその他の法令において、右確認申請の審査基準として、防火地域又は準防火地域における建築物の外壁と隣地境界線との間の距離につき直接規制している原則的な規定はない(建築基準法において、隣地境界線と建築物の外壁との間の距離につき直接規制しているものとしては、第一種住居専用地域内における外壁の後退距離の限定を定めている五四条の規定があるにとどまる。)から、建築基準法六五条を、何らかの建築確認申請の審査基準を緩和する趣旨の例外規定と理解することはできないことからすると、同条は、建物を建築するには、境界線から五〇センチメートル以上の距離を置くべきものとしている民法二三四条一項の特則を定めたものと解して初めて、その規定の意味を見いだしうるからである。」

 これに対し、伊藤正己裁判官は「建築基準法は、建築物の敷地、構造、設備及び用途について公益の観点から最低の基準を定めているのであり(同法一条)、公法上の見地から規制を加えているのであって、法律全体としてみれば、私人間の権利を調整しているわけではない」と述べ、多数意見に反対した。

 

 7.公法と私法の区別についての小括

 以上のように、公法と私法という分類には、公法の適用範囲とされる事案について私法の適用があるのかという問題があり、適用される場面が少なからず存在するということになると、行政法は公法であるという主張の妥当性が疑わしくなってくる。そのため、最近では、公法と私法との分類を否定する見解が勢力を増しており、とくに、戦後生まれの世代による学説の多くが、こうした説を採るように思われる(定着したという評価も多く見られる)。少なくとも、かつてのように公法・私法二分論が強調されることは少なくなっている。

 例えば、公法上の不当利得というような観念は、無用のものである、公権論についても同様である、というような説明がなされている。行政事件訴訟法には、公法上の当事者訴訟という訴訟類型が規定されているが、制度的・手続的に民事訴訟と大差なく、利用件数も少ない。私も、公法・私法二分論には疑問を抱いているが、それでは行政法の特質とは何かという問題に、公法・私法二分論批判説が十分に答えているとも思えない。

 たしかに、公法・私法二分論によって全てを割り切ることはできない。行政法学においても、従来からの行政行為論などとともに、行政契約論、その他、私法的行為に関する議論がなされざるをえなくなっている。

 しかし、行政法において、民法や商法などと異なる部分が存在することは、否定のしようがないところであろう。少なくとも、行政法は、民法などの私法と異なることが多い。例えば、自動車の運転免許証の交付を、私法における契約などと同じように考えることはできない。対等な当事者間における関係は、運転免許証の交付という場面においては見られない。むしろ、自動車の運転は、本来ならば国民の権利・自由に属する行為とも考えられるが、安全・秩序の維持という観点から、法律によって一般的に禁止し、一定の要件を充たす場合に、その禁止を行政が運転免許証の付与によって解除するのであり、この点において行政側が国民に優越する位置に立っているのである(行政法学における許可)。このように、行政法は、それなりに民法などとは異なる法なのである、と言うことはできる。

 

 8.行政法の基本類型

 この回の最後に、行政法の基本類型をみておく。これは行政法学の体系上のものであり、多くの行政法学の教科書がこれに従っているものである。

 (1)行政組織法(機構法)

 法律制度の枠組自体を規律する法が組織法(機構法)である。例として、国家行政組織法、裁判所法をあげることができる。また、憲法も、国家の基本組織を定めるという意味において、これに含まれる。地方自治法も、組織法の一つである。

 行政組織とは、行政主体が行政を行うために設置した組織である。行政組織法は、国・公共団体などの行政主体の組織(単位たる行政機関の設置・廃止・構成)・権限、機関相互間の関係に関する規律、国・公共団体などの行政主体相互間の規律(行政主体相互間の事務の分担)を内容とする。また、厳密に言うならば行政組織に関する法とは言い難い部分もあるが、公務員に関する法も、行政組織法の一部である。

 なお、行政法学においては、行政活動を行うものと行政活動の相手方との法的関係を中心に据える。その場合の行政活動を行う側が行政主体である(行政体と表現する論者もある)。国、地方公共団体の他、行政事務を行う公法人(日本銀行など)、法律などに基づいて組合員のために特定の事業を行う公法人(土地改良区、土地区画整理組合など)も行政主体である。但し、行政主体であるか否かの判断が困難な場合もある。民生委員や行政相談委員は、公の活動を行うが行政主体でない。逆に、日本放送協会は、放送法などを通じて国の監督権を受ける(予算も国会の決議の対象となる)が公の活動を行うとは言えない。

 (2)行政作用法

 一般的に、社会において行われる個々の行為を規律する法が行為法(作用法)である。行政作用法は、国・公共団体などの行政主体と私人との間の、公法上の法律関係に関する規律を内容とし、行政が私人に対していかなる行為をなしうるか・なすべきか・なさざるべきかを規律する。

 行政作用法は、総論と各論とに分けられる。一般的に言われる行政法総論は、行政作用法総論を中心とする(論者によって、また、大学のカリキュラムによって範囲に違いがあり、行政法総論に行政救済法や行政組織法総論が入ることもある)。この講義ノートは、行政作用法のうち、総論を扱う。

 行政作用法総論は、各行政分野において用いられる作用または手段の共通性に着目し、これらを取り上げて研究をなそうとする分野である。行政裁量、行政行為、行政立法などを扱う。これに対し、行政作用法各論は、各行政分野(警察行政、財務行政、社会保障行政など)毎に行政作用を扱い、研究の対象とするものである。一般には行政法各論と言われる(実際には行政組織法各論というべき部分も入ってくる)。現在では独立した分野として扱われる租税法や教育法なども、元来は行政作用法各論として扱われていた。

 (3)行政救済法

 行政活動は、憲法・法律・条例に従って適切に行われなければならない。しかし、常に適法かつ正当に行われるとは限らない。違法または不当な行政活動によって国民の権利・自由が侵害されたり、侵害されるおそれが存在することもある。そこで、このような行政活動から国民の権利・利益を救済し、行政活動を統制するために作られるのが行政救済法である。行政救済法は、主に行政活動の事後的な統制に関する法である(国家賠償法、行政不服審査法、行政事件訴訟法など)。

 (4)行政手続法

 行政活動の事前的な統制に関する法である。行政行為がなされる段階を基準とすれば、事前的な段階における行政手続と事後的な段階における行政手続とが考えられるが、一般的には事前的な段階における行政手続を指し、行政手続法もその段階を規律するものと理解される。従来、行政法の基本類型の中に行政手続法は含められていなかったが、行政手続法は純粋な行政作用法と言い難いし、行政救済法とも異なる。そのため、ここでは、行政手続法を一つの基本類型としておく。

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行政法講義ノート〔第6版〕を準備しています

2015年05月11日 01時57分13秒 | 行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版

 私の個人サイト「川崎高津公法研究室」に「行政法講義ノート〔第5版〕」を掲載しております。

 時折、「参考にしています」などの声を聞くことがあり、うれしく思うのですが、内容が古くなっていることは否めません。まだ行政不服審査法の全面改正などに対応していないのです。

 また、5月11日から大東文化大学法学部の法学研究所の講義「行政法」を担当することになっており、その内容にも対応する必要が出てきました。

 そこで、夏休み中の完成を目指して、「行政法講義ノート」を改めることとしました。現在、第6版の準備を進めております。順次、公表いたしますので、お待ちください。

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