何年か前のこと、青葉台であったか、『エゴ 加藤和彦、『加藤和彦』を語る」という本を購入し、何度か読み返していました。或る事情で手放したのですが、昨年(2024年)、別の出版社から『あの素晴らしい日々 加藤和彦、『加藤和彦』を語る』として再出版されました。青葉台で知ったのですが、別の書籍を買わなければならなかったので見送り、今年になってから二子玉川で購入しました。
その174頁に書かれていた、前田祥丈氏による言葉が、何故か強く印象に残りました。少し長くなりますが、引用の上で紹介しておきます。
「はっぴいえんどが主題としていたのは、東京の戦後世代が抱く〈喪失感〉だった。彼らは、多感な思春期に東京オリンピックを体験していた。東京オリンピックは戦後復興した日本が高度成長に向かうジャンピングボードであるとともに、日本人が自信を回復したことを世界に宣言する祭典だった。
しかし、東京の子供たちのなかには、ある日突然、遊び場だった空き地が広い道路になったり、自分の家や友達の家が取り壊されるなど、身の回りの風景が一変してしまう体験をした者も少なくなかった。彼らは、東京が未来に向かって大きく変わろうとしていることにワクワクしながらも、それまでの日常にあった風景を奪い去られてしまった喪失感を同時に痛感していた。
人が成長するということは、子供の時代を喪失することでもあるというのは真理だけれど、東京オリンピックは、彼らにとって理不尽な通過儀礼でもあった。無理やりに子供時代の風景を奪われ、未知の世界に放り出された喪失感はトラウマとなるに十分なものであった。」
私は東京オリンピックの4年後に生まれたので、勿論、体験などしていません。しかし、理由はわからないけれどもしっくりくるのです。昨今、東京のあちらこちらで行われている再開発を見ているからでしょう。同じことの繰り返しのようにも思えるのです。
おそらくは前田さんが書かれたことと基本的に同じことを、まさにはっぴいえんどのメンバーであった細野晴臣さんは、もっと強い言葉で語っていました。細野晴臣・北中正和『細野晴臣インタビュー THE ENDLESS TALKING』(平凡社ライブラリー)を御覧ください(これも、残念ながら手放してしまいました)。
だいぶ前、まだ刊行されたばかりの時であったと記憶していますが、妻が島崎今日子『安井かずみがいた時代』(集英社)を購入しました。後に集英社文庫として出版されましたが、文庫ではなく単行本です。妻の何十倍、何百倍も私が繰り返し読んでいました。加藤和彦と安井かずみが夫婦であったことは、それこそ小学生時代か中学生時代から知っていましたし、加藤和彦の音楽、安井かずみの歌詞は、至る所で聞こえてきたからです。ただ、それだけではなく、何か特別の物があったから、私は『安井かずみがいた時代』を何度も読み、所々に赤鉛筆で線を引いていたのでしょう。