ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

久留里線と大鰐線(メインは大鰐線)

2024年11月27日 19時50分00秒 | 社会・経済

 今日は三題噺ならぬ二題噺です。二題ともこのブログで取り上げたことがあります。

 まずはJR東日本の久留里線です。2024年11月27日、つまり今日、JR東日本千葉支社長が記者会見の場で例の久留里線の末端区間について発表しました。内容は「鉄道運行を取りやめる方針」であり、「今後、バスなど新たな交通体系への移行について市と協議する」とのことです(共同通信社が今日の15時41分付で報じた「JR東日本、久留里線の一部廃線発表 久留里~上総亀山間―バスなどへ移行協議」より)。但し、あくまでも方針を発表したのであり、廃止の時期などについては明言されなかったようです。実際のところ、明確な時期を示すことは無理でしょう。

 もう一つ、私にとってはこちらのほうが驚きでもあり、実は容易に予想されたことでもありましたが、弘南鉄道の大鰐線です。東奥日報社が今日付で「弘南鉄道、大鰐線を27年度末で運行休止の意向」として報じています。速報扱いですので短いですが、今日、弘前市役所で沿線市町村側との協議会が開かれたとのことです。2027年度末で運行休止する意向の理由として「物価高騰や人員不足で、収支改善が見込めない」ことがあげられています。こちらのほうも、弘南鉄道が一方的に決めるという訳にも行かないでしょう。そのため、もしかしたら運行休止にならないかもしれませんが、現在の大鰐線の状況からすれば、せいぜい、運行休止の時期がずれるくらいでしょう。

 むしろ、よくぞここまで延命したものだと思います。元々は弘前電気鉄道という会社によって運行されていた路線ですが、1960年代に廃止の危機に見舞われ、結局、弘前電気鉄道が解散し、大鰐線は弘南鉄道の手に渡ります。救済というところでしょうか。しかし、あまり儲かる路線でもなく、乗客も少なかったのか、弘南線と比較してもあまりに古すぎて見劣りする車両ばかりが走っていたくらいで、黒字になったことは一度もなかったとのことでした。弘南線が黒字であったから続けられたという訳でしょう。もっとも、弘南鉄道は国鉄の赤字ローカル線であった黒石線を引き受けて運行していましたが、この路線を1990年代に廃止させています。内部補助の限界に達した可能性もありますし、そもそも電化線と非電化線との違いなども理由として考えられるでしょう。

 私が知る限りですが、21世紀に入ってから、まず2013年6月27日、弘南鉄道の株主総会において大鰐線廃止の方針(のようなもの)が弘南鉄道社長から発せられました。このことについては「弘南鉄道の大鰐線が廃止されるか」(2031年6月30日15時8分8秒付)において取り上げました。株主総会の議題にも入っておらず、総会の冒頭における挨拶で述べられたので、会社として正式に決定した方針ではないということにはなりますが、どう考えても会社としての検討事項が公表されたと考えるべきでしょう。ただ、2016年度末、つまり2017年3月末に廃止という方向性も示されたことが周囲の反発を受けた可能性もあります。

 その後、2020年に沿線自治体(弘前市、平川市、黒石市、田舎館村および大鰐町)が弘南鉄道に対して2019年度および2020年度における経常損益の赤字分の全額補塡を行う方針を固めたと報じられました。このことは「鉄道関係二題」(2020年2月15日11時35分0秒付)で取り上げています。弘南線は2016年度まで黒字でしたが、2017年度から赤字が続いていたのでした。なお、「弘南鉄道への財政支援/JR北海道への支援策」(2021年1月25日0時0分0秒)も御覧ください。

 そして2024年2月28日、弘前市議会で大鰐線の廃止を求める発言が相次いだと報じられました。これについては「弘南鉄道大鰐線の廃止を求める声が」(2024年3月4日20時30分0秒付)で取り上げました。その記事で私は次のように述べました。

 「大鰐線の廃止は現実的に最も大きな選択肢であると思われます。この路線は、起点の大鰐駅から義塾高校前駅までJR奥羽本線と完全に並行しており、義塾高校前駅から中央弘前駅まではJR奥羽本線から少し離れた所を走っているものの、並行路線と言えます。また、終点の弘前中央駅は大鰐線のみの駅であり、弘南線の起点でもある弘前駅から1キロメートル以上離れています。弘南鉄道の路線となる前に廃止の議論が出ており、しかもその原因の一つが弘南バスとの競争に敗れたことという歴史を考えると、存続してきたことが一つの驚異とも言えます。」

 こうした流れを見ていけば、2027年度末、つまり2028年3月末で運行休止という選択も理解できます。むしろ、もう少し早めるほうがよいとも考えられます。下手な延命では傷もふさがらず、出血が続くでしょう。

 また、運行休止という表現に引っかかる方もおられるでしょう。おそらく、弘前市および大鰐町の住民などからの反発を予想して、廃止ではなく運行休止としたのでしょう。しかし、弘前市議会での動きなどを見ると、弘前市で大鰐線の廃止に反対する声は出るとしても大きくならないでしょうし、普段利用もしない人が廃止に反対する資格などありません。はっきりと廃止と表明すべきでしょう。遅きに失したとも言いうるからです。

 休止と言えば、同じ青森県に南部縦貫鉄道の例があります。野辺地駅〜七戸駅の南部縦貫鉄道線は、1997年に運行を休止しました。直接の理由は、野辺地駅〜西千曳駅の区間の路盤でした。ここは元々が東北本線であった区間であり、千曳駅の移転に伴って南部縦貫鉄道が国鉄から借り入れていたのです。JR東日本発足後も同様でしたが、1995年12月、当時の国鉄清算事業団はこの路盤の買い取りを南部縦貫鉄道に要請しました。これが南部縦貫鉄道にとっては大きすぎる負担であるということで、1997年5月の連休明けから南部縦貫鉄道線は運行休止となりました。その後、南部縦貫鉄道線はこの路盤を購入したそうです。しかし、休止の間に南部縦貫鉄道線全線の鉄道施設が荒廃してしまったようで、復活運転をするには多額の費用がかかるということで、結局2002年8月1日に廃止されてしまいました。

 弘南鉄道大鰐線が実際に運行休止するとなると、直接の理由は南部縦貫鉄道と異なりますが、結末は同様になるでしょう。つまり、休止が始まってから何の維持管理もなされなければ鉄道施設は(おそらく短期間で)荒廃してしまう訳です。そうなったら、営業を再開するにしても莫大な費用がかかることになります。まして、大鰐線の場合、2023年8月に脱線事故が発生し、同年9月25日には線路の不具合を理由として弘南線とともに運休が始まりました。元々路盤がよくないという可能性もあります。少なくとも線路規格はJR奥羽本線よりも格段に落ちるでしょう。無期限の運行休止ということであれば、とりもなおさず廃止ということです。

 今後、事態がどのように展開するかをみていく必要がありますが、大鰐線の運行休止あるいは廃止は、時間の問題でしょう。初代東急7000系が今でも運転されているので、見に行ってみたいとは思っていますが……。

 

 最後に。時代遅れのリニア新幹線と全国新幹線整備計画は一刻も早く廃止すべきです。北陸新幹線と西九州新幹線がいつまで経っても全通の見込みがないという無様さなのに、四国新幹線だの何だのと狂気の沙汰です。北陸新幹線の敦賀駅から新大阪駅までの区間やリニア新幹線を早く建設して開通させろという鉄道ファンもいますが、「何を考えているのやら」と言いたいところです。筒井康隆さんのエッセイ集のタイトルではないけれど「狂気の沙汰も金次第」なのでしょうか。


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