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ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

マーラーの交響曲第9番を生演奏で聴くことができて

2022年10月16日 01時05分00秒 | 音楽

 私に限らず、マーラーの交響曲第9番が大好きであるという人は多いようです。また、この曲のLPやCDのセットをいくつも持っているという人も少なくないようです。実際、名演と言われるものが多く、或る種の記念の意味をこめて演奏に臨む指揮者もいます。

 この曲を生演奏で聴きたいとかねがね思っていましたが、実現しました。ヘルベルト・ブロムシュテット氏指揮のNHK交響楽団です。

 時折入れられるヴィオラ独奏が非常に印象的でしたが、どの楽章もよく、私の頭の中でもすぐにフレーズが同期します。演奏に入り込んだという感じでしょうか。ニ長調でありながら重々しい第1楽章、レントラーの調子で時に滑稽に、時に荒々しく響くハ長調の第2楽章、激情のイ短調で穏やかさのニ長調を挟み込んだような第3楽章と続きます。この第3楽章の中間部では第4楽章のフレーズが先行して登場しており、そうかと思うと激しい曲調に戻り、強音で終わります。このあたりはかなり巧みだと感じます。そして、変ニ長調の第4楽章が短い序奏とともに始まります。第1主題を聴いて、すぐに目が潤んできたほどでした。このところ、様々なことがあっただけに、思いが溢れてきてしまい、それを何とか抑えようとしたほどです。第4楽章には特に印象的かつ心を動かされる箇所がいくつかあるのですが、そうした部分も申し分のないものでした。

 そして、ヴィオラがG、As、B、Asと弾いて、Sehr langsam und noch zurückhaltendの指示通り、消え入るようにこの曲が終わり、かなり長い余韻がありました。指揮者の腕はなかなか下がらず、消えてしまった音を追いかけているのかのようにも見えます。その後、割れんばかりの拍手が起こり、聴衆が総立ちになりました。それだけ素晴らしかったということでしょう。盛大な拍手はよくあっても、総立ちというのはそうめったにあるものではないのです。

 「この曲を知ることができてよかった」と思うことが、私には何度もありました。「当然だろう?」と言われるかもしれませんが、「一生付き合おう」と思える音楽に出会うことは、あまり多くないでしょう。私にとっては、今年コンサートで聴いたものとしてブルックナーの交響曲第7番とマーラーの交響曲第9番をあげることができます。その理由は、実際に聴いて判断していただくしかないでしょう。

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ファラオ・サンダース死去

2022年09月25日 23時32分50秒 | 音楽

 朝日新聞社のサイトで、ファラオ・サンダース氏が死去したというニュースを目にしました。81歳だったとのことです。

 私は、ファラオ・サンダースのアルバムを持っていませんが、コルトレーンの「アセンション」などサンダースの演奏を聴いています。

 上記記事にも書かれているコルトレーンの「ライヴ・イン・ジャパン」は、コルトレーンが一度だけ来日した際の最終公演の模様で、CDで2枚分なのに3曲しかないというものです。私が購入したのは学部生の時で、六本木WAVEで購入し、うちで聴いて打ちのめされたとともに、タイムマシンがあったらこの時の公演を生で見てみたいと思ったものでした(私が生まれる2年前のことなのです)。そう、この時、ファラオ・サンダースはコルトレーン・クインテットの一員として来日し、「レオ」ではコルトレーンとのアルト・サックス合戦も行った訳です。しかし、私が最もよく聴いたのは「マイ・フェイヴァリット・シングス」で、ジミー・ギャリソンのベース・ソロの後に続くコルトレーンのテナー・サックスによるソロこそ最高の「マイ・フェイヴァリット・シングス」だと思っています。とくに、マイナーからメジャーに転じた部分のフレーズの美しさは印象的で、この部分だけでも何度も頭に浮かんできます。そして、サンダーズのソロが続くのですが、ゴリゴリの、怨念が凝り固まったかのようなテナー・サックスの音でした。背後で、おそらくはコルトレーンが叩いていると思えるタンバリンの音なども聞こえてきます。

 訃報を見て思いだしたことを記しました。また聴いてみたくなります。

 

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ベサメ・ムーチョ 何拍子の曲?

2022年09月20日 22時30分00秒 | 音楽

 私の母がラテン・アメリカの音楽(例えばタンゴやマンボ)をラジオでよく聴いていたためか、幼い頃からベサメ・ムーチョという曲を知っていました。

 この曲はかなり有名で、ビートルズもカヴァーしたほどのものですが、私が最も好んで聴くのがウェス・モンゴメリー、そう、あのオクターブ奏法の元祖となるジャズ・ギタリストの演奏です。リヴァーサイド・レコードから発売された初期のアルバムに、オルガン、ドラムとの演奏で収録されています。しかも、かなり速いテンポとなっています。

 おそらく、多くの演奏では4分の4拍子ではないかと思われます。しかし、ウェスの演奏は違い、3拍子となっています。イントロだけ聴くとジャズ・ワルツにしか聞こえませんし、ウェスが弾くテーマを聴いても、ベサメ・ムーチョとわからないかもしれません。

 果たして、原曲は何拍子なのでしょう。

 ちなみに、作曲者はコンスエロ・ベラスケスというメキシコの女性で、作曲時にはまだ17歳だったそうです。

 クラシックで3拍子系(4分の3拍子の他、8分の3拍子、8分の6拍子、8分の9拍子、8分の12拍子、4分の6拍子など)は当然として、ジャズにも3拍子の曲はたくさんあります。ウェス自身の演奏であれば、あのフル・ハウスという名曲があります。しかし、ロック以降、3拍子の曲は極端なほどに少なくなりました。拍子という点では、現在の音楽は貧しくなったのでしょうか。

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YAMASHITA TRIO CLAY

2022年06月17日 18時00分00秒 | 音楽

 高校生時代に六本木WAVEでドイツ盤のLPを買い、それから何度となく聴き続けてきました。今日、渋谷のバス車庫近くで、ようやくCDで買い直しました。

 山下洋輔トリオの「クレイ」です。

 1974年6月2日、ドイツのメールス(Moers)で行われたニュー・ジャズ・フェスティバルでの実況録音で、ドイツのエンヤ(enja)レーベルから発売されました。

 演奏メンバーは、山下洋輔(ピアノ)、坂田明(クラリネット、アルト・サックス)、森山威男(ドラム)で、エンヤから発売された最初のアルバムであるとともに、山下洋輔トリオにとっても初の海外録音でもあります(そもそも初のヨーロッパ・ツアーでした)。

 山下さんの著作『ピアニストを笑え!』にもこの録音のことは書かれています。当初は、たしかリュブリャナでの演奏が録音されていて、そちらがレコードになるはずであったのが、あれやこれやの経緯があってメールスでの演奏が発売されることになったということが書かれていたと記憶しています。何曲かが録音されたようですが、LPには「ミナのセカンド・テーマ」と「クレイ」の2曲のみが収録されており、時間の都合で「ミナのセカンド・テーマ」が1面と2面(アメリカ盤やドイツ盤でA面、B面という表現をあまり見たことがありません)とに分割されていました(ちょうど、坂田さんによる無伴奏のクラリネット・ソロが始まるところで区切られています)。

 ドイツ盤LPを買って驚いたのが、その音質でした。とにかく生々しく聞こえたのです。とくに森山さんのドラムの音が凄く、日本のレコード会社ならもう少し音量を落とすだろうと思ったくらいです。今回買ったCDでも、その生々しさは変わっていません。

 全力疾走するような、攻撃的な演奏。フリージャズの典型であるように見えて、実は山下洋輔トリオのような演奏はそう多くありません。ペーター・ブロッツマン・オクテット(Peter Brötzmann Octet)の大傑作「マシンガン」(FMP 0090)でも、ここまで突っ走るような演奏ではないのです。

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ハープとヴァイオリンの響きが作り出すもの

2022年03月06日 11時30分00秒 | 音楽

 昨日(2022年3月5日)、横浜市は青葉台にあるフィリアホールに行きました。ハープ奏者の吉野直子さんとヴァイオリン奏者の白井圭さんのコンサートです。

 フィリアホールで行われる吉野さんのコンサートには何度も行きましたが、前回は2019年11月23日、フルート奏者のエマニュエル・パユさんとのコンサートでした。それから2年以上が経過しています。

 そもそも、COVID-19の影響でコンサートそのものの回数が激減しました。私も、2020年度に行くつもりで予約していたコンサートに行くことができず、キャンセルの手続をしています。延期、再延期を重ねたコンサートもありましたが、こうなると都合がつかなくなることもあるので、泣く泣くキャンセルしたという訳です。

 今回はハープとヴァイオリンということで期待していました。また、購入以来何度となく聴いている「ハープ・リサイタル6」の冒頭に収録されている「ハープのためのソナチネ」(マルセル・トゥルニエ作曲)がプログラムの中に入っていたので、「これは行くしかない」と思ったのでした。

 イッツコムのカメラなどが客席にありました。収録されたようなので、ケーブルテレビで放送されるのでしょう。

 演奏された曲を記しておきます。

 〈前半〉

 ヘンデル作曲、ヴァイオリン・ソナタイ長調Op.1-3, HWV361

 テレマン作曲、12のファンタジアより第⒈曲:変ロ長調TWV40:14(ヴァイオリンのみの演奏)

 モーツァルト作曲、ヴァイオリン・ソナタ第21番イ長調ホ短調K.304

 シュポーア作曲、モーツァルトの『魔笛』の主題によるポプリ(ソナタ・コンチェルタンテニ長調Op.114より)

 〈後半〉

 トゥルニエ作曲、ハープのためのソナチネOp.30(ハープのみの演奏)

 ドビュッシー作曲、美しき夕暮れ

 ドビュッシー作曲、レントより遅く

 サン=サーンス作曲、ヴァイオリンとハープのための幻想曲Op.124

 〈アンコール〉

 ラヴェル作曲、ハバネラ形式の小品

 ドビュッシー作曲、小組曲より小舟

 前半はドイツ・オーストリア系、後半はフランス系という点も興味深いものです。

 開始早々に、妻も私も驚いたのが、白井圭さんのヴァイオリンの音でした。ヘンデルとテレマンの曲を耳にして「バロックに合う音だ」と思ったのです。後半と比べて、あまりヴィブラートをかけていないかのような音でもあり、それがよく響いていました。現在、彼はNHK交響楽団のゲスト・コンサートマスターであるとのことですが「なるほど」と思いました。白井さんの音という点では前半のほうが深い印象を受けたのです。彼の生演奏でヘンデル、テレマンなどのバロック系や古典派を聴いてみたいと思っています。

 これまで、数は決して多くないもののコンサートで色々なヴァイオリン奏者の生演奏を見てきましたし、フィリアホールでもそうだったのですが、白井さんの音は非常に印象的でした。このように感じたのは、フィリアホールで聴いた中では2020年2月15日の木嶋真優さんの音と昨日の白井さんの音でした。木嶋さんの音は「ここまで、ピアノにかき消されず、客席に直線的に届く音もない」と感じたのですが、白井さんの場合はヴァイオリン全体が豊かに、会場に響きわたるという感じです。「ボウイングのおかげなのかな」と思ったのですが、いかがでしょうか。ボウイングは、右手で持つ弓の使い方のことで、ヴァイオリンなどの弦楽器の演奏には必須で、かつ基本的な、あるいは基礎的なことでもあるのですが、それだけに難しいものでもあります。どんなに良い楽器、例えばストラディヴァリウス、グァルネリ・デル・ジェス、ニコロ・アマティなどで演奏するにしても、ボウイングができていなければ良い音は出ません。

 前半では、とくにシュポーアの曲に対する反応がよかったようです(私も、この曲は面白いと感じました。何処へ行くのかわからないような感じがしたからでしょう)。

 トゥルニエのソナチネは、うちで何度も聴いている曲ですが、やはり生で聴くと違います。どのような楽器でも、録音だけ聴くのと生演奏を見て聴くのとでは印象が違うものですが、その差の大きさという点ではハープが一番であるような気がします。

 昨日演奏されたドビュッシーの曲のうち、「美しき夕暮れ」は歌曲です。原曲を聴いたことがないのですが、探して見ようかと思っています。また、「レントより遅く」は原曲であるピアノ独奏でも生で聴いたことがありますが、原曲は変ト長調で書かれているのに対し、ヴァイオリン版は「亜麻色の髪の乙女」と同じく、原曲より半音高いト長調となっています。白井さんの音は、前半とは違っていました。曲調に合わせたものでしょう。ドビュッシーなどの曲をバロック調で演奏しても似合わないからです。

 アンコールで演奏されたラヴェルの「ハバネラ形式の小品」には「選択がいいな」と思いました。この曲はラヴェルの曲としては初期のものですし、後期の「ボレロ」などに隠れてしまっていますが、「ボレロ」とは格段に違う名曲であると思っています。簡単に記せば、「ハバネラ形式の小品」は粋あるいは御洒落、「ボレロ」は野暮です。私は、「ハバネラ形式の小品」も含めて、ラヴェルは1910年代までに書かれた曲のほうがよいと常に思っています。これは無根拠な話でもありません。ラヴェルは、最後のピアノ独奏曲集となった「クープランの墓」以降、極端なほどに作曲のペースが遅くなります。1927年には記憶障害などに悩まされていたといいます。「ボレロ」はその後に書かれた曲です。

 少し脱線しましたが、ドビュッシーの「小舟」はピアノ連弾版(これが原曲)、管弦楽版があり、ドビュッシーらしさと「らしからぬ」部分とが混在していますが、ヴァイオリンとハープでの演奏もよいものだと思って聴いていました。ヴァイオリンの低音がよく利いています。

 終わって、CDを2枚買いました。吉野さんの新作「ハープ・リサイタル〜Intermezzo〜」と白井さんの「シューマン:ヴァイオリンとピアノのための作品集」です。白井さんのCDはまだ聴いていませんが、「ハープ・リサイタル〜Intermezzo〜」は、これから何度も聴くことになりそうです。以前、このブログに「もりでねてた 環境音楽:クラシック・ヒーリング・エレクトロニカ すべてを包み込む森林音浴」というCDのことを書きましたが、やはり加工をしすぎないハープの演奏のほうが、ヒーリングには適しています。

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「過ぎたるは及ばざるが如し」、または「及ばざるは過ぎたるに勝れり」という言葉は音楽にも妥当する

2021年10月08日 00時00分00秒 | 音楽

 7日の夜、突然の地震に驚きました。今使っているiPhone12で初めて緊急地震速報の警戒音が響き、近所の小学校でも緊急地震速報が大音量で鳴りました。川崎市高津区は震度4だったようです。

 さて、本題。

 最近、たまたまのことですが、渋谷のBUNKAMURA地下1階にあるナディッフ・モダンで「もりでねてた 環境音楽:クラシック・ヒーリング・エレクトロニカ すべてを包み込む森林音浴」(Off-Tone)というCDを見つけました。

 店で流れていて、おもしろいと思い、店員さんに聞いて購入したのです。かつての六本木WAVEの1階でよく流れていたアンビエントやヒーリングを思い出した、ということもありました。

 収録されているのは、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」、サティの「ジムノペディ第1番」などで、ハープによる演奏です。

 しかし、店で聞くのであればともあれ、自宅で聴くにはどうかな、と思います。もっと明確に記すならば、「過ぎたるは及ばざるが如し」、または「及ばざるは過ぎたるに勝れり」という言葉は音楽にも妥当する、ということです。

 もしかしたら、ヒーリング系のものは、店舗のような場所で聴くのと自宅で聴くのとは別物なのかもしれません。書店、百貨店、飲食店などで耳にするのであればよいのでしょうか。

 クラシック音楽を知らない人であればともあれ、親しんできた人には加工が過剰すぎて原曲のイメージが湧かず、加工をしないハープの演奏を聴きたいものです。多少のエコーやリバーブならわかるのですが(CDを作成する以上は当然でしょう)、「亜麻色の髪の乙女」のフレーズが断片的になったり、意図的なノイズが入ったりしており、「やりすぎ」、「ハープでの演奏そのものを聴きたい」と思いました。

 特に感じた疑問は、このCDの「ジムノペディ第1番」でヒーリング効果がどれほど期待されうるのかということです。純粋なピアノ演奏のみで十分に、一種のヒーリング、あるいはリラクゼイション効果があるとも言われているのに、加工することで台無しになるとは言えなくとも、効果が減少することは予想できなかったのでしょうか。あるいは、それこそ人によるのでしょうか。 

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何を聴こうかと迷った時には……(6)

2021年06月30日 12時00分00秒 | 音楽

 私の車の中には何枚かのCDが入っています。このブログでも取り上げた「E2-E4」や「千のナイフ」、そしてJean-Luc Pontyの"Fables"です。

 "Fables"については前にこのブログで触れていますが、今回少しばかり書いておきます。

 フランス人のジャズ・ヴァイオリニストであるPontyのリーダー作は多いのですが、私は"Fables"と"Cosmic Messenger"しか持っておらず、しかもよく聴くのは"Fables"です。このアルバムの2曲目"Elephants in Love"はテレビ番組のBGMとして流れることもあるため、実はお聴きになったことがある方も少なくないものと思われます。

 "Fables"を買ったのは1987年11月2日、六本木WAVEでのことでした。たしか、西武ライオンズの優勝記念セールが行われており(そう、WAVEは西武系でした)、そのセールで安く売られていたので買ったのです。或る意味で典型的なフュージョンですが、5弦のエレクトリック・ヴァイオリンとシンセサイザーが浮遊感ともいえる感覚を作り出しており、私ははまり込んだのです。

 内容は変化に富んでいるといえるでしょう。1曲目の"Infinite Persuit"は速い曲で、これは典型的なフュージョンともいえるでしょう。次の"Elephants in Love"は、何と言っても独特の浮遊感のあるイントロが印象的です。これはシンセサイザーの魅力の一つといえます。3曲目の"Radioactive Legacy"と次の"Cats Tales"は変拍子(あるいはそれらしいアクセントの置き方)を使った曲で、"Cats Tales"のほうでギターソロも聴けますが、エレクトリック・ヴァイオリンのソロのほうが圧倒的な存在感を放っています(ギターはバッキング演奏に徹したほうがよかったかもしれません)。5曲目の"Perpetual Rondo"は3拍子系の曲で、確かにクラシック音楽の小品のようにも聞こえる曲ですが、テーマ部分は断片的なフレーズで、エレクトリック・ヴァイオリンのソロとは対照的です。それにしても、最近のポップスなどが耳に入ってくると、4拍子の曲ばかり、というより、それしかないので「音楽もますます貧しくなっていき、リズム感も悪くなっていく」と思えてきます。チャイコフスキーには9拍子や5拍子の曲があり、実に上手いと感じます。「アンダンテ・カンタービレ」でおなじみの弦楽四重奏曲第1番の第1楽章は9拍子ですし、第2楽章(これが「アンダンテ・カンタービレ」です)は4分の2拍子であるものの、所々で4分の3拍子が入ります。また、交響曲第6番の第2楽章は5拍子です。チャイコフスキーなら他にも変拍子の曲があるはずですし、バッハにも8分の9拍子の曲などがあります。本当にリズム感があるのはクラシック音楽の演奏家ではないか、と常に感じています。ジャズであれば3拍子はよくありますし、あの名曲Take Fiveは5拍子ですが、9拍子などとなるとぎこちなくなります。

 横道に逸れましたので本題に戻ります。私は"Fables"を一気に聴き通してしまうのは、2曲目とともに6曲目の"In the Kingdom of Peace"と7曲目"Plastic Idols"のためです。最後の2曲はPontyの一人多重奏で、5弦のエレクトリック・ヴァイオリンとシンセサイザーの面白さが凝縮されているといえます。"Plastic Idols"のほうはフレーズとはいえないような断片がエコーで折り重なる感じのテーマとなっており(勿論、速弾きのテクニックも織り込まれています)、コード進行が面白いともいえます。ピッチカートも使われ、エコー処理が興味深いところです。 

 先に、内容は変化に富んでいると書きました。その通りではあるのですが、デジタル的というか(デジタル録音であったかどうかは覚えていません)テクノ的というか、人工的でかなりエコーやコーラスがかけられた、シンセサイザーを基軸とする太い音が循環するような空間を感じさせる録音であるため、アルバムの名称通りのイメージがあります。個々の曲名も"Fables"の名称に合うようにしたのでしょうか。ジャズ・フュージョンのアルバムではありますが、かなりの部分でテクノ的、あるいはテクノ・ポップ的と言えるかもしれません。

 ジャズ・フュージョンのヴァイオリニストといえば、インド人のL.Subramaniamを忘れる訳にはいきません。今ではインド音楽のヴァイオリニストとしてのほうが有名かもしれませんが、1980年代にはマイルストーン・レーベルから何枚かのジャズ・フュージョンのアルバムが出ていますし、浅井愼平氏が出演したキリンビールのCMでレゲエ調の"Comfortable"が流されていたことを御記憶の方もいらっしゃるでしょう。やはり六本木WAVEで、名前も"Comfortable"というLPを買って聴きましたが、実は日本盤のみの仕様であり、アメリカ盤は"Spanish Wave"というタイトルであって"Comfortable"が収録されていないことを、後日に知りました(参加メンバーが全く違うのです)。ちなみに、私が最もよく聴いたアルバムは"Indian Express"で、これも通しで聴いていました。"Blossom"も持っていますが、私にはあまりピンとこないアルバムでした。

 もう一人が、ジョン・ブレイクです。彼についてはこのブログで取り上げています。今回の3人のヴァイオリニストの中では最もジャズ・フュージョンの表現に相応しいでしょう。4枚のアルバム(3枚のLPと1枚のCD)を買いましたが、やはり、テレビ朝日の深夜番組「ピーク・ア・ブー」のオープニング曲であったLa Verdaが抜きん出ています。

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Miss Ann

2021年06月03日 08時00分00秒 | 音楽

 以前、このブログに、私が高校生になったばかりの1984年4月にエリック・ドルフィーの名を知り、秋葉原で"Last Date"をLPで買ったことを記しました。その時以来、このLPの最後に収録されている"Miss Ann"という曲を好んで聴いています。

 この曲が最初に録音されたのは1960年で、"Far Cry!"というアルバムのB面1曲目です。"Last Date"を買ってから1年経過した頃であったか、六本木WAVEでアメリカ盤(LP)を見つけて買いました(日本盤より安かったからです)。トランペットがブッカー・リトル、ピアノがジャッキー・バイヤード、ベースがロン・カーター、ドラムがロイ・ヘインズです。ドルフィーはこの曲を何度となく演奏していたためか、録音、録画も多く残っており、ヨーロッパでの演奏はドイツのエンヤ(Enja)などから発表されましたし、YouTubeでも見ることができます。

 それでも、最初に聴いたからなのかどうか、私は"Last Date"での演奏を好んでいます。オランダのヒルベルサムで録音されたこのアルバムのメンバーは、ドルフィー、ミシャ・メンゲルベルク(ピアノ。有名な指揮者であるウィレム・メンゲルベルクの親族)、ジャック・ショールズ(ベース)、ハン・ベニンク(ドラム)です。"Last Date"といえばYou Don't Know What Love Isでの名演(ドルフィーはフルートを吹いています)が有名ですが、そればかりでなく、どの曲も名演という表現に値するでしょう。私は、あのセロニアス・モンクの"Epistrophy"を最初に聴いたのがドルフィーの、まさに"Last Date"であったためか、この演奏こそ"Epistrophy"の最高傑作ではないかと思っていたほどです。この曲でのメンゲルベルクのピアノによるソロはなかなかのもので、後にベニンクらとともにICP(Instant Composers Pool)の設立者になったことも納得がいきます。

 同じことが"Miss Ann"にも言えます。私も色々なヴァージョンを聴いてきましたが、"Last Date"での演奏を除くと、ドルフィーがせっかく新しいアプローチを提示しても、他の奏者がハード・バップの枠内に留まっていたりしており、ドルフィーが吹き出すアドリブだけが浮いて聞こえるのです。しかし、おそらくはメンゲルベルクのためでしょう、"Last Date"での"Miss Ann"ではドルフィーも自らの枠を超えてさらに進むかのような、コルトレーンもインタヴューで「ドルフィーはもっと先へ行く」と答えたことが形として現れたような演奏になっていますし、この曲でのメンゲルベルクの演奏もハード・バップの枠から逸脱したようなものとなっており、このメンバーによるレギュラー・グループ(生前のドルフィーはメンゲルベルクかベニンクに手紙でアイディアを送っていたそうです)が実現しなかったことが惜しまれるほどのものとなっています。さらに、ICP 015における"Epistrophy"を聴けば、ドルフィーによる音楽表現の可能性の拡大がうかがえるところです。極端に悪い音質と反比例するかのような演奏は、もし生で聴いたらどのようなショックを受けただろうかと思わせます。ICP 015を六本木WAVEの4階で見つけた時には、心の中で狂喜し、すぐに手に取り、購入しました。

 もし、"Last Date"、とくに"Miss Ann"を聴かなかったら、ICPやFMP(Free Music Production)のアルバムを買って聴くようなこともなかったでしょう。ジャズを聴き続けることもなかったかもしれません。

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和泉宏隆氏が急死

2021年04月28日 10時01分00秒 | 音楽

 今朝、Yahoo! Japan Newsの記事を見て驚きました。

 ジャズ・ピアニストで、T-SQUAREのキーボード奏者でもあった和泉宏隆氏が、今月26日、62歳で急逝されました。

 私はT-SQUAREのCDを1枚しか持っていませんが(非常に有名なTRUTHが収録されています)、小学生時代から名前は知っており、時々、ラジオやテレビで聴いていました。T-SQUAREを代表する曲と言ってよいTRUTHの作曲者が和泉氏です。他に宝島という有名な曲も氏によるものです。

 T-SQUAREを脱退してから、和泉氏はジャズ・ピアノのほうで活躍されていました。YouTubeに、高田馬場にあるHot Houseのチャンネルがあり、何本かに和泉氏の演奏の動画があります。故宮本大路氏との演奏のものは、一体何度見たことか。そして、今もその動画を見ながら書いています。 

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「ハープ・リサイタル6」

2021年03月25日 00時00分00秒 | 音楽

 今月、朝日新聞夕刊で知り、1枚のCDを購入しました。吉野直子さんの「ハープ・リサイタル6〜トゥルニエ・ルニエ・カプレ・カゼッラ・サルツェート・フォーレ」です。

 これまで、「ハープ・リサイタル」のシリーズはコンサート会場で購入していましたが、このコロナ渦で多くのコンサートが中止または延期になったため、別の方法で入手しました。それから毎日のように聴いては、落ち込んでいる気分を少しでも上げようとしています。

 今回の収録曲は、トゥルニエ「ハープのためのソナチネ」、ルニエ「交響的小品」、カブレ「2つのディヴェルティスマン」、カゼッラ「ハープのためのソナタ」、サルツェード「バラード」、そしてフォーレ「即興曲」です。寺西基之さんの解説にもあるように「オリジナルの本格的なハープ作品を集めた玄人好みのアルバム」と言えます。

 私は、これまで2と4をよく聴いていました。2にはタイユフェール「ハープ・ソナタ」とヒンデミット「ハープ・ソナタ」が収録されており、4には吉松隆「ライラ小景」とケージ「ある風景の中で」とウィリアムズ「ヒラエス(郷愁)」が収められています

 6は、どの曲も魅力的だなと思えるものであり、一気に聴き通します。カゼッラを除いて全てフランスの作曲家であり、収録曲の全てが20世紀前半に書かれています。青葉台のフィリアホールで吉野さんの演奏によるヒンデミット「ハープ・ソナタ」を聴いた時に強く感じたことですが、現在のハープを発展させたのはフランスなのかな、と思えてきます。さらに聴き込んでいくと、私の好みではこの曲がよい、と書くことができるでしょう。

 歴史をよく知らないのですが、フランスの作曲家たちがハープに貢献したと考えられるエピソードもあります。ドビュッシーはプレイエル社が開発したクロマティック・ハープのために「神聖なな舞曲と世俗的な舞曲」を作曲していますし(但し、このタイプのハープは結局のところ普及しないままに終わりました)、ラヴェルは、現在の主流であるペダル付きハープの優位を示したいエラール社から依頼を受けて「序奏とアレグロ」を作曲しています。

 フィリアホールやサントリーホールでのコンサートに行く度に、吉野さんの演奏そのもの、そして演奏する曲の範囲の広さに感心しており、とくに現代音楽への目を見開かせられる思いがします。だからコンサートへ行ったりCDを買ったりするのです。

 そう言えば、2019年度にはよくコンサートへ行きました。そのことについては「映画館でスマートフォンを操作する?」で記しましたが、追加すると、同年12月7日にフィリアホールで行われた三浦友里枝さんの「ドビュッシー・ピアノ作品全曲演奏会第1回」、2020年1月11日にフィリアホールで行われた「ニューイヤー・ガラ2020『モーツァルト饗宴』」(横山幸雄さんとN響メンバー)、同年1月19日にフィリアホールで行われた「フィリアホール ミュージックアカデミー・プログラム  渡辺玲子×小林美恵×近藤嘉宏  V(ヴァイオリン)&V(ヴィルトゥオーゾ)!~ふたつのヴァイオリンが描く華麗なる音絵巻」(名前の通り、渡辺玲子さんと小林美恵さんのヴァイオリン、近藤嘉宏さんのピアノ、そして浦久俊彦さんがナヴィゲーター)、同年2月15日にフィリアホールで行われた木嶋真優さんとイリア・ラシュコフスキーさんのコンサート、そして同年2月22日にサントリーホールの大ホールで行われたアンネ・ゾフィー・ムターさんの「ベートーヴェン生誕250周年記念」コンサートに行きました。実は同じ日にサントリーホールのブルーローズで吉野さんのコンサートも開かれていたのですが、ムターさんのほうの開演時間と吉野さんのほうの閉演時間が重なっており、両方を掛け持ちで見ることは実質的に不可能でした(途中からというのは嫌ですから)。

 しかし、COVID-19の感染が拡がり、2020年3月から次々とコンサートが延期または中止となりました。私はフィリアホールへよく行くこともあって、同年3月7日に予定されていた千住真理子さんの「イザイ無伴奏ヴァイオリン作品全曲演奏会」(青葉区制25周年記念コンサート)などへ行く予定を立てており、チケットの予約も済ませていましたが、パンデミックはすぐに収束しないことを理解していましたので、払い戻しなどの手続をしました。仕事のことなどを考慮するとコンサートに行く気がしなくなり、時々CDを買う程度で済ませるようになりました。YouTubeでクラシックの名演などを聴くこともありますが、乱暴な形でCMが入って「TVと同じかそれよりひどい」と気を殺がれることもあります。さりとてFMでは、FM東京やJ-WAVEなど民放FMはもとより、NHK FMでも無駄なおしゃべりが長い番組があります。実際、1980年代の「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」の中継では、NHK-FMは番組開始から終了まで余計なアナウンスなどがなかったのに対し、FM東京では15分以上も無駄なおしゃべりと馬鹿笑いが続き、いつまで経っても演奏を聴けそうにないので、腹が立って消しました。今も大学の生協などで流れているのを聴くと相変わらずのようです。これではラジオ離れも当然でしょう。

 「馬鹿! iTunesなどからダウンロードすればいいだろう!」と言われそうです。私も何度か曲を購入しました。しかし、ファイルの性質によるためか、音質が今ひとつです。また、ノートンインターネットセキュリティでクリーン機能を使うと音楽ファイルまで消してくれることがあるので、ダウンロードをする気になれないのです。

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