ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

なつかしの東急東横線桜木町駅

2013年03月01日 02時44分24秒 | 写真

 いよいよ、今月16日より、東急東横線と東京メトロ副都心線との相互直通運転が始まります。これにより、(1)横浜高速鉄道みなとみらい線⇔東急東横線⇔東京メトロ副都心線⇔東武東上線、(2)横浜高速鉄道みなとみらい線⇔東急東横線⇔東京メトロ副都心線⇔西武有楽町線⇔西武池袋線、という相互乗り入れパターンが出来上がりました。実に複雑なものではありますが、利便性が高まることは否定できません。

 21世紀になってから、東急東横線は二度にわたって大きく変化しました。今月の変化は2回目でして、1回目は2004年1月の横浜から桜木町までの区間の廃止および2月からのみなとみらい線乗り入れです。たまたま、「待合室」第81回(2004年1月5日~10日)に東急東横線桜木町駅の様子を取り上げており、写真などのデータも残っておりますので、今回はそれを利用してみます。撮影は2003年12月28日です。

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 長らく東急東横線の終点であった桜木町駅で撮影した、東急9000系9002Fです。現在、この編成は5両で大井町線を走っています。東横線では特急、通勤特急、急行、各駅停車のいずれにも運用されましたが、大井町線では各駅停車専用です。

 この日、私は、大学時代の友人と久しぶりに会うため、東横線で桜木町駅まで乗りました。実は、この駅と隣の高島町駅が、今年1月30日を最後に廃止されることになっています。東横線は横浜までとなり、2月1日から、横浜高速鉄道のみなとみらい線と相互乗り入れをします。馬車道や元町・中華街駅まで走るようになるという点では便利になるのですが、運賃がどうなるのかなど、不安な点もあります。

 たしかに、桜木町まで路線が伸びていた時代に東横線に乗ると、ほとんどの客は横浜で降りてしまいました。2代目横浜駅があったという高島町駅は、東横線で最も乗降客数が少ない駅でした(横浜市営地下鉄の高島町駅も、乗降客数が最も少ない駅であるはずです)。特急も急行も停まりませんし、すぐ隣を走る京浜東北線には駅もありません。そして、初代横浜駅であった桜木町駅も、昔はともあれ、根岸線が走る現在では中途半端な感も否めなかったのでした。

 しかし、私にとっては、関内、伊勢佐木町あたりに行く時、この桜木町駅まで東横線に乗り、そこから歩いて行くことにしていました。桜川橋の近くに、小さいながらも良質の本を見つけられる古本屋があり、そこに寄るのを楽しみにしていたからです。そして、伊勢佐木町の古本屋や有隣堂などを周りました。さらに、中華街や元町まで歩くこともありました。

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 私が乗った各駅停車の桜木町行が終点に着き、方向幕が変わったところを撮影しました。この写真では見えにくくなっていますが、水色の幕には白い字で「各停」と書かれています。東急では東横線だけに見られるものですが、これも2003年12月になってからのことです。写真の9000系は1986(昭和61)年に登場したVVVF車で、日本で最初のものではないとは言え、かなり早い段階で登場したVVVF車です。いかにも東急らしさが出ている堅実なスタイルで、日本初のワンハンドルマスコン車、8000系以来の伝統を受け継ぐものとも言えます。当初から、みなとみらい線への直通を考えて製造されたそうです。

 余談ですが、私は、育った環境のせいなのか、東急線の車両、そして沿線が一番好きです。JRや多くの私鉄に見られる特急型車両などにあまり興味がわかず、通勤型電車のほうが好きなのです。そして、旧5000系以来の東急の車両には、地味ながらも先端性、技術性などが十二分にうかがわれ、堅実さ、渋さなどが表されているデザインが生きています。稲葉賀恵さんがデザインし、1990年代から使用されてきた先代の制服とともに、デザインのバランス感覚が最も高い次元で表現されているような気がします。

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 少々ブレが出てしまいました。この駅名標は、東急各線でも見られなくなった先代のタイプです。撮影の時点で「あと少しで見られなくなる」というものでした。回数こそあまり多くないのですが、幼い頃から、横浜へ行くという時には何度も利用した桜木町駅です。

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 JRと違い、地味な東急の桜木町駅です。右側が切符売場です。「東京急行」と記されているのが懐かしいですね。今は「東急電鉄」と書かれていますが、私は「東京急行」の表記のほうが格好の良いものと思っています。同じことは京浜急行にも言えます。何でも省略すればよいというものでもありません。

 現在、首都圏ではどこの駅でも自動改札機が当然なのですが、実は、関東地方では東急が最初に自動改札機を導入しました。1972(昭和47)年のことです。しかも、桜木町駅は最も早く導入された駅の一つです。奥のほうに自動改札機が見られますが、一体、何代目なのでしょうか。幼い頃から見慣れた東急の自動改札機は、たしか、入口が緑色、出口が黄色になっていたと思います。武蔵小杉駅も、私が小学生のころから自動改札機が入っていました。現在は田園都市線となっている新玉川線の各駅(渋谷を除く)も、かなり早い段階から自動改札機を導入していましたが、やはり、緑色と黄色とに色分けされていたはずです。そして、田園都市線の二子玉川駅、高津駅、鷺沼駅、たまプラーザ駅、長津田駅などでも。1980年代、溝の口駅にはまだ導入されていなかったのに、構内に電車とバスの博物館があった高津駅には自動改札機が導入されていたのです。

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 桜木町駅に貼られていたものです。やはり、東急線より初乗り運賃が高くなっていました(大手私鉄で、JRより初乗り運賃が安いのは東急、小田急および京王ですが、その中でも東急は長らく安く、それも格別の安さでした)。所要時間などを見ると、少し前までの東横線よりは速くなっています。田園都市線の速さを知っていますし、関西出身の友人に言わせれば、東横線は「とろい」(のろい)電車の代表格でしたので、かなり変わったな、という気はしました。

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 この日は、東横線桜木町駅の利用客が多かったようです。と言うより、みなとみらい21が出来てから、東横線の横浜~桜木町の利用客が増えたようです。やはり、廃止というのは惜しい気がしました。もっとも、それだけでなく、最近ではすっかり多くなった名残り乗車(一部では葬式鉄とも言われる行為)のためだったのかもしれません。

 まだ私が中央大学に通っていたころですが、東横線の横浜~桜木町の廃止は、行政事件訴訟にもなりました。その判決を読んだこともあります(行政事件裁判例集にも掲載されています)。近隣住民が、廃止認可の取り消しを求めて争ったという事案で、近隣住民が敗訴したものです。たしか、原告適格がないという理由だったはずです。

 今考えても、東横線の横浜~桜木町は、乗降客が少なかったとは言え、利用価値の高い区間でした。この区間ではJR京浜東北線、東急東横線、横浜市営地下鉄3号線が並走していましたが、この中で一番運賃が安いのが東急東横線で、一時期は、横浜市営地下鉄3号線の片道の運賃と東急東横線の往復の運賃が同額だったのです。どういうことかというと、東急東横線で桜木町から横浜まで90円だったのに対し、JR京浜東北線で同区間に乗ると120円、横浜市営地下鉄3号線で同区間に乗ると180円だったのです。ちなみに、その頃、桜木町から田園都市線あざみ野駅まで行くのに、横浜市営地下鉄3号線を使うよりも、東急東横線、大井町線、田園都市線を乗り継ぐほうが安かったのです。嘘ではありません。私も運賃表を見て驚いたほどです。

 元町方面まで、この区間を利用して延長することは出来なかったのでしょうか。

 いずれにせよ、東横線の横浜~桜木町は、2004年1月で廃止されました。今月で姿を消す、地上2階の東横線渋谷駅とともに、幼い頃からの思い出を、このページに込めて。


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